第110話 商標『はちみつオーク』

「こちらをどうぞ」

「…すまない」


大きいお腹をさすりながら台所に下がったミエが、杯に飲み物を注ぎお茶請けと一緒に盆に載せて戻ってくる。

キャスバスィはすんと鼻を鳴らしすぐに酒と気づいたが、嗅いだことのない香しさだったのでそのまま口を付けた。


「…美味い」

「ありがとうございます。うちの自慢の蜂蜜酒ミードなんですよ」

「ミード…ああ最近王都でも流行ってるらしいな」


彼女は部下からそんな名前の酒の名を聞いたことがあった。


「はい。蜂蜜から作るんですけど…」

「…はちみつ? 蜂蜜と言ったのか今?」

「はい。うちの村の特産品ですから」


にこ、と微笑むミエになぜか気圧されるようにして押し黙るキャスバスィ。


(蜂蜜? オークの村で…?)


豪商か王侯貴族でもないとそうそう入手できない希少資源。

いや機会という話であれば彼らですら易々とは手に入れることができない逸品である。

それがオークの村で採れるなどということがあり得るのだろうか。


少なくともこのミードとやらの酒の質はとても良いけれど。


「お茶菓子もどうぞ。畑がないので小麦粉だけは外から手に入れるしかないですけど…」

「どれどれ…む、これも美味いな…!」

「はい。蜂蜜クッキーです」

「これも…!?」


それは人の顔のような形をしたクッキーで、素朴だが上質な甘さでなんとも後を引く。

何枚か食べた後、キャスバスィはそれがオークの似顔を模したものだと気づいた。

自らが手にしたそのクッキーをしげしげと眺め、何やら記憶を刺激される。


「そう言えばどこかで見たことがあるような…?」

「ひょっとしてこれじゃないですか?」


ミエが差し出したのは下半分が筒状になっていて、上の方に行くにしたがって細くなってゆく陶器の器だった。

そしてその先端は光沢のある栓のようなもので塞がれている。


「ガラス瓶の量産はまだ技術的に難しかったので陶器瓶で代用してみました。コルク代わりに木片を蜜蝋ワックスでコーティングしたものを使っています」


キャスバスィにはミエの説明がよく理解できなかったが、先端の栓を引き抜くとすぐに理解できた。

中から先程の蜂蜜酒の香りが漂ってきたのだ。


「酒の保存容器か!」


先端が細いのは注ぎ口、栓をしているのは劣化を防ぐためであろう。

それはちょうどガラス瓶のかわりに陶器を用いた携帯用の酒瓶であった。


そして…その酒瓶の表面には、何か薄い紙らしきものが貼られている。


そこには…デフォルメされた可愛らしいオークと、これまたデフォルメされた蜜蜂が描かれていて、その上にこう記されていた。


「はちみつオーク」


と。


キャスバスィは…確かにその絵に見覚えがあった。


「これは確かうちの部下たちが飲んでいた酒についていた…」

「まあ、王都の騎士の方にまで御愛飲して戴けていたなんて、とても光栄ですわ」


両手を合わせてミエが嬉しそうに微笑む。

キャスバスィはその時疑問に思っていたことを彼女に尋ねる。


「一体これはなんだ。なぜわざわざ嫌われ者のオークの絵を描く」

「それはです。この世k…ええっとこの地方だとちょっと馴染みがないかもしれませんね」

「商、標…?」


眉を顰めるキャスバスィを前に、ミエが頷く。


「うちの村の商品にはすべてそれがついています。同じマークの商品であれば、なじみ客でなくともそれがだって見分けがつきますよね?」

「む、確かに」

「キャスバスィさんがいみじくも仰った通り、オーク族は嫌われ者です。ですからうちの村以外にこんなマークを目印にして商品を売る人はいないでしょう。つまり商品に対するも確保できます」

「ほう…!」

「そしてそのマークの商品の値段が手頃であれば、たとえ嫌われ者が描かれていても買う人はいるでしょう? そしてもしその商品の品質が素晴らしかったなら、次からはを選んで買いますよね? おそらく…先日購入した品とは別の商品も一緒に」

「そうか……つまりこれはか……!!」



紋章とは騎士において欠かすことのできない意匠である。

特定の王国、特定の騎士団、或いは特定の家系の騎士を示す世襲制のものであり、他者が勝手にそれを模倣することは許されない。

紋章の知識は紋章学として確立されており、これを学べば他国の騎士が羽織っているサーコートや楯に記された紋章を見ただけでどこの国のどの騎士団かすぐに見分けることができる。


キャスバスィの騎士隊のサーコートや楯に描かれていた緑色の縁取りと太陽をモチーフにした図柄がまさにそれで、紋章学的な見地からこの図柄を見れば彼女たちがアルザス王国に所属する翡翠騎士団に所属していることがわかるだろう。



「あー…私は紋章には詳しくないですけど他商品との差別化、独自性の確保、他と区別がつくゆえの品質の担保…確かに紋章の意義とかを考えると通じるものがあるかもしれませんねえ」

「なかなか面白いことを考えるな…」


素直に感心しながらその商標ラベルをしげしげと眺める。

この商売の最大の問題は作り手がオークであるというイメージの悪さだが、王都での流通が確認されている以上オークを介さぬ商売ルートが確立されているのだろう。

そしてもしそれが暴露されたとしても気にせず開き直ればいい。なにせオークが作っていることはラベルで堂々と謳っているのだから。



「しかし…となると少し問題が残るな」

「ま。外からの意見はとても貴重ですわ。よろしければお聞かせ戴けないでしょうか」

「紋章であれば『紋章法』がある。勝手に他者の紋章を真似たり使ったりすれば罰せられる。だがこれにはそうしたものがないだろう? まだ広まっていない内はいい。確かにオークが記された紙切れなど誰も真似しようとは思わないだろう。だがもしこれが大流行したら? この紙切れを真似て偽の『はちみつオーク』を名乗る連中が大量に湧いて出るのでは?」


キャスバスィの意見に、ミエは嬉しそうに手を合わせて頭を下げる。


「仰る通りご指摘のことは起こり得ると思います。ですがうちの商品はとその関連商品。たとえ粗悪品であっても同種のものを用意するのは難しいかと」

「む、それは確かに」

「それに…そこまで広まってくれているなら別にんです。類似品が出回って話題になればそれだけ有名になっているってことですし、自分たちの商品の質さえ落とさなければは果たされますから」

「本来の、目的…?」


キャスバスィはそこまで言われて初めて気づいた。

そうだ。オークが商売をするなんておかしい。

だって彼らは襲撃や略奪だけで暮らしてゆけるのだ。


無論今回のように騎士団に討伐隊を向けられることもあるし、それで滅んだオークの部族も数多い。

けれどここの村のように癖地で村の場所が見つけにくく、かつ地理的に軍が派遣しづらい地域にあって、さらにあれだけの武力を有しているならば、ずっととはゆかずとも相当の間彼らの望むができるはずではないか。


「はい! 良質な商品を作るオーク族がいる、というです。は商売で暮らしてゆけるので人を襲う必要がありません。一方でオーク族の女性は数が少なく彼らは存亡の危機に直面しています。ですから彼らは…女性をとても大切にします」

「あ…!」


ここまで説明されてようやくキャスバスィにもこの村の目的が見えて来た。


「この村に来れば女性は皆仕事が与えられ、服が支給され、特産品である蜂蜜…正確には蜜蝋ですね…から作られる極上の化粧品や口紅もふんだんに使えます。オークは皆働き者で、飢える心配もまずありません……となったら、どうでしょう、相手がオーク族でも少しはと思いませんか?」


自分たちの商品…すなわりをまず世に広め、次に自分たちのを商標を利用し浸透させてゆく。

その時には既に広まっている彼らの仕事や商品の品質それ自体が信用の担保となる。


キャスバスィは部下達がこの商品を絶賛している理由が今更ながらに理解できた。

おそらくこの村の商品は品質に対する価格設定がだいぶのだ。


安くて高品質。

当然庶民は喜ぶだろう。

噂も瞬く間に広まるに違いない。

それでいて競合する他の商人達が易々と参入できぬ素材とくれば、商売上一人勝ちとなってもなんらおかしくない。


だがそれは商品を世に広めるための戦略。

なぜなら彼らは利潤を無視とまではゆかなくとも第一義としていないからだ。


利潤の代わりに求めているのは…とにかく広く流通し話題にしてもらうこと。

評判を得ることでいい印象を持ってもらうこと。






つまり今風に言えばミエは、そしてこの村のオーク達は…

商標…すなわちを利用し、外の世界にイメージ戦略を仕掛けているのである。





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