第108話 ようこそクラスク村へ

「まだ着かないのか」

「もうすぐダ」

「お前さっきからそればっかりじゃないか!」


両手首を縛られた上にその縄先をクラスクに掴まれたままなので暴れることも逃げ出すことも魔術の行使もできず、キャスバスィは仕方なくクラスクの後を付いて歩く。

二人きりになると妙に口が悪くなってしまうのは騎士になる前の彼女の地が出ているのだろうか。


歩きながら前方に歩くクラスクの背中を観察する。

オーク族の中でも大柄な方ではあるが巨漢というほどでもない。

だが時折妙に大きく見えるのは何故だろうか。


歩き方は鷹揚で、で見ると一見隙だらけのようにも見える。

だが彼が不意打ちを受けてもすぐに応じられる、洗練や技術とはまた異なった、経験と実戦で培われたを備えていることを彼女は先の戦いでしかと学んでいた。


背中に目があるわけでもないのに、時折こちらの一挙手一投足をじっくりと観察されているような妙な感覚に襲われる。

もし彼女がどうにかしてこの場から逃亡しようとしても、彼はきっと振り返りもせず縄を持つ手を引くだけでそれを留めてしまうだろう。


キャスバスィはどうにも打つ手がなく、ならばが利用できないものかと周囲を見回した。


「うん……?」


いつの間にか森の様子が変わっている。

それまでの鬱蒼とした木々がなりを潜め、かわりに左手には丈の低い木々が並んでいる。

右手に広がっているのはそれよりは丈が高いが、木々の感覚が広い。


「これは…葡萄と林檎か…!?」

「そうダ。うちの村で育テテル」

「オークが!?」


よく見ると木々の間で働いていている者達がいた。

女性である。

主に人間族で、汗水流しながら葡萄の収穫をしていた。


服装は動きやすさを重視し、胴衣にブラウス、丈の長いスカートにエプロンを付けている。

葡萄の収穫は結構な重労働なはずなのだがその表情はどこか楽しげで、肌も髪もびっくりするほど清潔で美しい。

王都ですら庶民はこんな小奇麗な様子ではなかった。


「あ、族長さん!」

「クラスク様! どーもですー!」

「オウ。やっテルな」

「「はいー!」」


クラスクが通りかかると女性達が次々に声をかけてくる。

彼もまた片手を挙げてそれに応え、当たり前のように歩を進めた。


「あら女を縛って御帰還だなんて珍しい。今夜はそういう趣向で? ミエ様がなんて仰るかしら」

「そうイうのじゃなイ。村を襲った連中の首領ダ」


クラスクに話しかけてきた女性の言葉に否が応でも己の身に降りかかるであろうことを想像して耳先を赤くしながら俯くキャスバスィ。


「あらまあ物騒ね。大丈夫かしら」

「村の連中は皆無事ダ。怪我シタ奴いルガ死んダ奴イなイ」

「ふう、よかった…」

「じゃあもうイくぞ」

「はい。お達者で」


手を振りながらクラスクを笑顔で送り出す女性達。

キャスバスィは目の前で起きていることが理解できず、混乱する。



女が働いている?

オークの村で?

それも逃げ出そうともせずに?

それにとはどういうことだ?



さらに先程の彼女たちの言動…あれは明らかにこの族長、クラスクに対し敬意をもったものだった。

つまり彼女らは自らの意志でオークの村に留まり、その仕事を手伝っていることになる。


女性の在り方もおかしいがそれ以前にまずオークの村で仕事、というのがおかしい。

彼女がこれまで見てきたオーク族と言えば略奪と襲撃が主な生業なりわいで、生産性のある仕事に従事している集落などまず見たことはなかった。



騎士隊長になる就任する前、彼女は騎士の一人として国の東部の幾つかのオークの部族を滅ぼしたことがあるが、それはそれは凄惨な有様だった。


住処はだいたい山腹の洞穴。

多少マシなところで木造の掘っ立て小屋。


不潔、不衛生…そしてなにより不快。


大概襲撃や略奪で奪った酒や食料とその食べ粕があちこちに散らばっていて、近隣の村から強奪した家畜の骨が散乱していた。


そして近くの集落から攫われ、奪われた女性達の惨たらしい扱い。


繋がれ、犯され、或いは放置され。

自由を奪われ、心と体を束縛され、

その上でろくなケアすらなく出産や育児を強要される。


病に倒れる娘。

産後の肥立ちが悪く亡くなる娘。

食事をろくに与えられず、或いは口に合わず、栄養失調で衰弱しきった娘もいた。


なにより彼女たちの心だ。

愛する者との離別…時には襲撃時の死別。

惨めな生活、失う希望。

それでいて肉体には快楽のあぎとを刻まれて、助け出されても社会復帰できぬこともあった。

オーク達の事を嫌悪して止まぬのに、オーク相手でなければその肢体カラダが満足できなくなってしまったという絶望。

それに耐えきれず気が触れ、心を壊してしまった娘すらいた。



だからオークの集落などみんなそうだと、例外なくそういうものだと思い込んでいた。



だのにこれはどうしたことだろう。

あの女性達の在り様は。


それも単なる態度だけではない。

服も全裸や布の切れ端などではなく、街娘が着るようなちゃんとした代物だったし、肌も綺麗で瑞々しかった。

なによりその顔や髪の艶やかさといったら貴族の娘もかくやといった風である。



「なんだ、これは…?」



混乱し、思い悩みながら歩いていたキャスバスィは鼻腔に甘い香りを感じて顔を上げた。

彼女の目の前に広がっていたのは…一面の美しい花畑だった。


「な…っ!?」


赤、白、青、黄色、紫、黒…

様々な色の花が区画ごとに整然と咲いて、陽光の下、風に揺れ佇んでいる。

女性達が歌を歌いながら水を撒き、施肥をして、その周囲を大きな蜜蜂どもが飛び回っている。


蜂というのはもう少し攻撃的だと思っていたのだけれど、彼女たちを外敵と認識していないのか特に襲う様子はなく、娘たちも彼女らの二の腕程も大きい蜂が周囲を飛び回っていても気にする様子もない。



その美しい光景はそのまま観光地として人が呼べそうなほどであった。



「いや…待て。ちょっと待て…!」



なんなのだろう、これは。

自分は何を見せられているのだろう。

キャスバスィは混乱の極みにあった。



今から自分が向かおうとしている先は、本当にオークの村なのか……?



「エルフ…!」


その時、花畑で水撒きをしていた少女の一人が顔を輝かせ、ぱたぱたと近寄ってくる。

それはエルフ族の少女だった。

見たところ年は100歳前後くらいだろうか。


彼女は色とりどりの花を摘んだ花籠を差し出して、天使のような笑みで微笑むと、鈴の鳴るような声音で、そして流暢なエルフ語で歓迎の言葉を述べた。





ようこそクラスク村へウアムトゥラ クゥ クラスク フェミカ!」







キャスバスィは頭は遂に混迷の極みに達した。

けれど後にして思えば…この程度の困惑、この先彼女に襲い来る混乱に比べればまだ序の口だったのである。





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