第107話 オーク流演説術
「た、たい、たい、たいちょ……っ!?」
栄えある王国騎士団第七騎士隊副隊長のエモニモがまるで魚のように口をぱくぱくさせている。
もし手が自由だったら隊長に対して不敬にも指を差していた事だろう。
サーコートは本来騎士や兵士達が鎧の反射を抑え遠くから見つからぬようにするためと、雨で鎧がさび付くのを防ぐために鎧の上に纏う羽織の一種であったが、時代が下がるにつれて凝った刺繍などが施され、それぞれの所属を表す目印としての役目も担うようになった。
今でいえば学生たちが相手の制服を見てどの学校の生徒かを見分けるようなものだろうか。
つまり彼らの女隊長であるキャスバスィは…今でいえば裸セーラーや裸Yシャツ姿で皆の前に現れたのだと言っても過言ではない。
…過言かもしれない。
ともあれ気の強い女騎士が、
あられもない姿で、
それも縄で拘束されて、
しかもオークに連れられてやってきたのだ。
これで邪まな妄想を抱かぬ成人男子などまずあり得まいというようなシチュエーションのフルコンボである。
ごくりと息を飲む騎士一同。
そんな彼らの様子を満足げに見渡すクラスク。
演説前に注目が集まるのは良いことだ。
なにせこれが村の外の集団…組織との初めての対話である。
できれば平和裏に、けれどオーク族として武力行使の可能性もちらつかせつつ、それでいてこちらの度量が広いところも見せておきたいところだ。
つまり務めて冷静に事実を確認し、
続いて彼らのリーダーと条件の折り合いがつき、協力を取り付けたことを伝え、
情報漏洩を防ぐため彼らに箝口令を敷き、
最後に彼女を無事返還すると宣言することでオーク族の気前の良さを知らしめる。
悪くない筋書きではないか。
クラスクは一人うんうんと頷いた。
「アー、お前らの隊長、俺が倒しタ。俺強イ」
ざわつく騎士達の前でクラスクが己の勝利を宣言し、ざわめきと動揺が一層大きくなった。
務めて冷静な事実確認である。
「お前タちの隊長ト約束シタ、お前タち解放すル。かわりにこの隊長はうちの村に来ル」
騎士達からどよめきが起こり、エモニモが感極まって涙目になった。
我らの隊長は囚われの部下たちを救うため自ら羞恥と屈辱を受け入れこのオークの虜囚となったのだ…!
なんと気高く誇り高く尊い人物なのだろう…
騎士達は彼女の姿に猥らな妄想を抱いたことを恥じ入り、各々慙愧に堪えぬと言った面持ちで俯いた。
これで彼女と条件を取り交わし協力を取り付けたことを伝えた。
「お前たちの隊長が村にイル間、お前タち以外の誰にもこのこトは漏らすナ。逆らえばドウなるか…わかるナ?」
クラスクが顎をくいと動かして縄を引く。
彼が指し示した先には裸サーコート姿(正確には外から見えぬだけで下着を着用しているのだが)の隊長がいて、縄を引かれたことで彼に強引に引き寄せられ、その厚い胸板に倒れ込んで普段上げぬような女らしいくぐもった声を上げた。
クラスク的にはこれはオーク族の恐ろしさもちゃんと伝えるべき、という判断の元に行った演出である。
平和的交渉は望んでいるけれど、武力に訴えるならこちらも暴力で返す準備があると、武器は置いてもその牙を失ったわけではないと伝えたかったのだ。
迂闊に情報を漏らせば、この騎士隊長の命が危ないと威圧交じりに伝えたかったのである。
…けれど、その意図は全く伝わっていなかった。
常に冷静で凛としていた騎士隊長のあられもない姿。
女騎士とオークの組み合わせ。
肌面積の多い女隊長が大柄なオークの胸板に倒れ込むシチュエーション。
なによりその当の隊長本人からしてそいういう目に遭うと思い込んでおり、羞恥と屈辱で頬を染め涙目で歯噛みしているその表情。
印刷技術の問題でこの世界には成人雑誌などは存在していないけれど、もし猥談専門の吟遊詩人がいたなら喜び勇んで題材にし村々に流布したこと請け合いである。
ともあれこれで情報漏洩を防ぐための箝口令を敷いた。
クラスクは知っている。
上に立つ者として理解している。
鞭の次にはちゃんを蜂蜜を与えるべきなのだと。
「心配すルナ。お前タちの隊長ハちゃんト帰シテやル!」
堂々と、両手を広げてクラスクは宣言する。
「三ヶ月ダ! 三ヶ月経っタラお前タちの隊長を解放すル!」
気前の良さを見せつつ、それでも彼女の説得が成功した場合の事もきちんと伝えなければならない。
「勿論…その時お前たちの隊長サンが戻りタイト言っタらの話ダガナア?」
そして、オーク族らしくニタリと笑う。
なにせ彼らは笑顔を作るのが苦手なのだ。
それが、とどめだった。
女騎士とオーク族の期限付き拘束契約などこれはもう卑猥な妄想抜きで語るのはむしろ失礼と言ったレベルの組み合わせである。
その場にいた騎士全員がそう思った。
配下のオーク達すらそう考えた。
当の女騎士ですらそう誤解していた。
その場で正確に状況を理解していたのは…クラスクただ一人だったのである。
「たい、ちょお……」
副隊長エモニモがふらふらと頭を揺らし、その場にぶっ倒れた。
どうやら脳の許容量を超えてしまったようだ。
「副隊長ー! しっかりー!」
「お気持ちは! お気持ちはわかりますが!」
目を回している彼女の脳裏には思いつく限りの卑猥な行為がキャスバス隊長に対して繰り広げられていた。
もっとも未だ
× × ×
「……ラオ。コイツら森の外まデ連れテ行け。お前の仕切りダ」
「ワカッタ」
クラスクが騎士達を顎で指しながらラオに命令する。
「武器と鎧は森を出ル時に返シテヤレ」
「……ワカッタ」
ラオクィクの返事からやや迷いが感じられる。
クラスクは片目を閉じて彼の言葉を待った。
「コイツラガサッキノ約束ヲ守ル保証ハ」
「俺ノ勘トこの女ノ人徳ダナ。後はマア…守らなくても別に構わなイ」
「アン?」
クラスクの言葉を怪訝そうに聞き返すラオクィク。
「結局うちの村の場所は誰にもバレてネエ。コイツらの誰一人オーク語が喋れねえから情報が洩れる心配もネエ。それにコイツらの家は遠イらシイ。行っテ戻っテくルダケの時間が稼げりゃそれデ構わネエンダ」
「ナルホド」
肩を竦め、地面に突きたてていた槍を引き抜くラオクィク。
「了解シタ。オ前ノ勘ガ一番信用デキル」
「オウ、俺ハこの女を村に案内すル」
「ワカッタ」
ラオクィクは他のオーク達を引き連れ騎士達を連行してゆく。
エモニモはすっかり放心状態のためラオの肩に担がれて行った。
「さて…これデようやくお前ヲ村ニ案内デきルルな」
「わかった。もう掻くだけの恥は掻いたしな。覚悟を決めたよ」
嘆息したキャスバスィは顔を上げクラスクを見上げた。
己の意志が、意識が残っている内に、
恭順と隷属をこの
このオークの村の場所を、様子を、余すところなく観察し、覚えておこうと、そう心に決めながら。
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