第90話 オークの村、人間族の娘

だらだら。

だらだら。

総身に汗を掻き、顔は真っ青。


猫の獣人アーリンツ・スフォラポルは椅子に座り背筋を伸ばしカチコチに固まっていた。


(ナンニャ…ナンニャ…一体コレどういう状況ニャアアアアアアアアアアアアア~~~!!?)


わからない。

わからない。

自分の身に降りかかっていることがさっぱりわからない。


ここはオークの集落の家の一軒、その台所兼応接間らしき場所。

そのはずだ。


先程アーリンツを助けた(?)オークは、彼女と子狼の首を摘まんでぶらぶらぶら下げたままここに連行し、椅子に座らせ去っていった。


「あらあら、まあまあ! 珍しいお客さんが二人も! ちょっと待っててくださいね~?」


家には女性が一人。

驚くべきことに人間族の女性のようだ。


彼女は慣れた感じで鍋や壺などを用意し、さっと陶器の杯に飲み物を注いでアーリンツの前に置いた。


どういうことだろう。

何者なのだろう。


そもそもオーク族と言えば女性を無理矢理攫っては自分達の種族の子を孕ませるという悪逆非道な種族のはず。

これまで冒険者や騎士団などがたくさんのオークの部族と戦い、その幾つかを滅ぼしてきたけれど、彼らの集落では例外なく異種族の娘たちが囚われ、鎖に繋がれ、自由を奪われ、暴力を振るわれ、時には正気すら失って、哀れで惨めな暮らしを強制させられていたという。


だというのにこの娘は一体どうしたことだ。

縛られてもいなければ繋がれてもいない。


きびきびと、まめまめしく動くその身体には生気がみなぎり健康的で、髪艶も肌の張りも恐ろしく良い。

むしろそこらの街娘より健やかにすら見える。

そしてなによりその明るく闊達な表情は到底誰かに強要されたそれではない。


というか、ここに連れてこられるまでの村の中でも、女性達が当たり前のように闊歩していた。

そして誰も彼も驚くほどに綺麗だった。


わからない。

さっぱりわからない。


アーリンツは混乱した。


家に住んでいるオーク?

女を自由にさせているオーク?

そもそも女性達がオークの村から逃げ出さないのは何故?

もしかして彼らはオークに似た新種の人型生物フェインミューブかなにかなのでは?


ついそんなことまで考えてしまう。


「…あ、美味いニャ!」


くんかくんかと鼻を鳴らし、危険はないと判断して舌を伸ばし舐めたその飲み物は彼女の知らぬ味で、だがとても美味しかった。


酒精を感じる。自家製のお酒だろうか。

彼女のお手製だとしたら大したものだ。

これなら普通に売っても金になるだろう。

アーリンツは商売人らしくそんなことを考える。


「ありがとうございます。蜂蜜酒ミードって言うんです。それは私の手製ですけど、この村の名物なんですよ?」

「ふうん…みーどとか知らない名前ニャ…」


ほへーと素直に感心するアーリンツ。

だが彼女はようやく解けた緊張で今更ながらに自分以外にもう一匹連行者がいたことに、そしてそれが自分の足元近くを元気に跳ね回っていることに気づいた。


「ニ゛ャ…ッ!」


アーリンツの足首を前に、いざ噛みつかんとあーんと大きく口を開ける子狼。

真っ青になって飛び上がらんとするアーリンツ。



…そして子狼の頭上にぱぐうという鈍い音と共に振り下ろされるチョップ。



「きゃわんっ!?」

「だーめでーすよー勝手に噛んじゃ~」


その女性が子狼の悪戯に即反応し、噛みつこうとした瞬間におしおきチョップを決めていた。


「ウゥゥ~~…!!」

「あらあらどうしたんですかそんなに吠えちゃって。もう怖いものはいませんよ~ほりほり~」

「わきゃ…きゃわん! きゃんきゃん♪」


牙を剥き出しに唸り声を上げる子狼の口を閉じさせ、両手で左右の耳の付け根あたりをわしゃわしゃと撫でる。

これで子狼はすっかり戦意を奪われた。


「お腹がすいてるのかしら? じゃあごはんをあげましょう! もうお肉は食べられるかしら?」


机のすぐわきにある台所ですっと大きな肉の塊に包丁を入れ、薄めに幾枚かスライスすると皿に乗せて子狼の前に出す。

子狼は飛び上がらんばかりに喜んで生肉に突進しむしゃぶりついた。


こわい。

やさしい。

ごはんをくれる。


短い間に3つほど学んで、子狼はすっかりその女性に傾倒した。

このボスについていけば大丈夫! 的な野生の本能が働いたのかもしれない。




「…今帰ったオラクル ヘル パスト


その時、外からオーク族の男が何か言いながら家に入ってくる。

独り言…というよりは家の中にいる誰かに話しかけるような口調だ。


おかえりなさいませミクスゥイ ゲウイ!」


そして顔を輝かせた先程の女性がそのオークに飛びつき、相手の首に腕を巻き付け背伸びをして頬にキスをした。


アーリンツはすぐに察する。

今のはきっとだ。

そして彼女もまたオーク語を話せるのだ。


オーク語を学び、オークと共に暮らし、そして鎖や縄で束縛されていない…

それはつまり彼女がオークと共に生きることを選んだ、であるという証に他ならない。


オークの村落でオーク以外の種族に会えた。

だがそれは別に僥倖でもなんでもないのではないのかもしれない。

むしろこちらの言葉が全てオーク族に伝えられてしまう本格的な危機なのではないだろうか…

アーリンツはごくりと喉を鳴らした。


抱擁と接吻を女性に返したオークは、テーブルの向こう、アーリンツの対面にどっかと腰を下ろし、彼女を存分に怯えさせる。

一方先程の女性は食べ物と飲み物を用意すべく調理台に立ち、こちらに背を向けた。


「…子狼、カ。珍しイナ」


アーリンツに目を向け、その後足元に視線を移したそのオークの言葉が唐突に理解できるようになる。

それは商用共通語ギンニムだった。

あの襲撃隊のオーク達同様、このオークも共通語を話せるのだ。

それもこちらにオークでないことを認識したうえで言語を変えて来た。

発音も今まで会ってどのオークよりも巧みである。


アーリンツは耳と猫髭をピンと立て目を輝かせた。

つまりこのオークはのだ。

どんな恐ろしい相手だろうと暴力でなく言葉で挑んでくるならば商人として望むところである。

ふんふんふん…と少し興奮したように鼻を鳴らし、アーリンツは商人流のを整えた。


「そうなんですよー。可愛いですよね子い…イヌイヌ? って何て言うんだろ……え、狼? 狼なんですか、この子?」

「狼ダ。この辺りデハ俺達ガトっくにさせタはずダガ」

「まあ、そうだったんですか?」


背中を向けたまま顔だけこちらに向けてオークと語らう女性。

一方でオークの足元でじゃれついていた子狼が、今度はアーリンツの足に興味を示しテーブルの下を通って駆け寄ってくる。


(あっ…あっ! 来るニャ! 来るニャ! 来るニャアアアアアアアッ!)


小声で必死に呟きつつ足をぶんぶんと振り回し迎撃しようとするが、むしろ動く標的に大はしゃぎの子狼。

見る間に平静さを失いせっかくの心構えがべりべりと剥がれ落ちて総身を汗で滲ませるアーリンツ。


「全滅…なぜそんなことを? 食用とかですか?」

「…あ~、もしそうダっタラ、ドうすル?」


台所で包丁を研ぎながら、オークの言葉にん~、と顎に指を当て考え込んでいたその娘が、静かな声で呟く。




「そうですねえ…もしそうなら…

「ワニャンッ!?」「ワキャンッ!?」





オークが口をあんぐりと開け愕然とした表情をして、アーリンツと子狼が同時に飛び上がった。


無論狼に人間の言葉などわかろうはずもない。

はずなのだが、その子狼はアーリンツともども野生の本能で察した。







包丁を研ぐ所作になんの変化もない。

表情も変わらない。

その背中、その佇まいには優しさと柔和さすら感じさせる。




けれど、確かに…

彼女にはさも当たり前のように己の発言を実行するような圧倒的なを感じた。




「フニャアアアアアアアアアッ!」

「ワフウウウウウウウウウウッ!」


先程までの毛嫌いはどこへやら。

一人と一匹は半泣きで互いに抱き合い、恐怖で震えあがる。


「喰わネエヨ」

「まあ、よかった!」


ぽん、と手を叩いて笑顔で振り返る女性。


「じゃあこの子飼っても?!」

「飼ウ!? 狼をカ!」

「ハイ! 旦那様、ダメですか…?」

「…ガそうしタイナラ」

「まあ、まあまあまあ! よかったですね~、今日から貴方うちの子ですよ~…あら?」





その女性…ミエが笑顔で話しかけた先には…

床に仰向けになり手足を縮こめ腹を向け従属の姿勢を取った犬と猫が一匹ずつ、いた。



どうやらその日、アーリンツは…見事狼への苦手を克服したようであった。






理由:よのなかにはもっとこわいものがある。





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