第89話 猫の獣人
(ぜ、絶対…絶対大丈夫だニャ…! そのはずニャ…!)
アーリンツ・スフォラポルは行商人である。
まあ小売りはともかく、まだまともに大きな商売を手掛けたことは一度もないのだが。
(最近このあたりのオークは無用な殺生とかしないって噂だニャ…だから助かるハズ…助かるハズニャ!)
語尾がやや特殊なのは彼女の種族性による。
彼女は
猫の獣人なのだ。
獣人とは人間、エルフ、ドワーフのようなこの世界でいういわゆる
基本的に二足歩行だが首から上の造作は獣のそれに近く、また全身に獣に似た体毛が生えており、尻尾もある。
一口に獣人と言っても狼獣人、鹿獣人、山羊獣人、そして彼女のような猫獣人と様々な種類があり、多くの場合人間より高い身体能力を持つ。
彼らはそれを生かして傭兵や人足などに従事することが多いようだ。
彼女のように行商人を営む獣人はかなり珍しいと言えよう。
アーリンツは先刻まで馬車に乗って森の中を通過中だった。
商売人としてではない。乗り合いの乗客の一人としてである。
今回は三台の幌馬車を引き連れた比較的大きな隊列であり、こういう場合同じ目的地に向かう者を乗客として乗せる場合もある。
彼女以外にも幾人か同乗者がいるようだ。
だが…その馬車は先刻オーク族の襲撃に遭い急停止、現在彼ら乗客は全員縄で縛られ地面に転がされている。
(大丈夫…落ち着くニャ…大丈夫…)
商人達の間で流れている噂によればこの辺りのオーク族の跳梁が減ったという話だ。
襲われても命を奪われず解放された隊商も少なくないという。
馬車に女が乗っていたのに攫われなかったというのは流石に眉唾物だろうが、とにかく命だけは奪われないはず。
そうだ女でもなければ。
女でも…
「ハッ! 私女だニャ!?」
「女?」
「女カ?」
今更なことを言い出して愕然とするアーリンツ。
見張りをしていたオーク達がその声に興味を覚えたのか数人群がってくる。
「しまったニャー! 思わず声に出しちゃったニャァァァァァァァ!!」
「女? 女カ。女ダ!」
「オー、獣人カ」
「もふもふイイヨネ…」
「エー毛ダラケデ面倒ジャネ?」
「ヨシオマエコロス(チャキ」
胴と腕、さらに足首を縛られていたアーリンツは周囲にわらわらと集うオーク共に気圧され惑乱し混乱する。
「お、犯された後殺されて埋められちゃうニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?」
「埋メナイ埋メナイ」
「ソノ前ニ殺サナイ」
「同意ナイト犯サナイ」
オーク達に総ツッコミを喰らうアーリンツ。
「こ、殺さないのかニャ…?」
「「「殺サナイ(コクコクコク)」」」
オーク達が全員で幾度も頷く。
まあ彼らの『殺さない』は別に不殺主義というわけではなく抵抗しなければの前提付きではあるのだが。
「お、犯さないニャ…?」
「他のオーク族知ラナイ。デモ俺達無理矢理ハシナイ」
「「「デモイツデモ嫁ハ募集中!」」」
オーク達が同時に筋肉を強調するようなポーズを取り親指を立てた。
アーリンツは思った以上に話がわかる相手であることに安堵し力を抜く。
「キャン!」
だがその時…唐突に背後でなにやら物騒な鳴き声が、した。
「ギニャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!?」
激痛のあまり飛び上がり、同時に獣人の身体能力と相まって縛りのやや甘かった足首を紐がすっぽ抜ける。
身体を震わせギチギチギチ、と首を後ろに向けたときそこにいたのは…
彼女の尻尾をばくりと咥えている子犬のような生き物だった。
「ア、狼ダ」
「子狼ダ」
「珍シイナ、狼」
「コノアタリジャ全滅サセタハズナンダガ…山カラ迷イ込ンダカ?」
頭を掻きながらのんきに言葉を交わすオークども。
だがその話は一切彼女の耳には入っていない。
「ニャ、ニャ、ニャ…狼ダニ゛ャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
ばびゅん、とその場から疾走し一気に崖を駆け上り、森の中へとすっとんでゆくアーリンツ。
げに恐るべきスピードである。
「…行ッチマッタ」
「ドウスル?」
「ドウシヨウ」
「スグニ族長ニ伝エル! 俺達バカ! 報告、連絡、相談! コレ大事!」
「ソウダッタソウダッタ。ジャア俺ガ言ッテクル!」
ばたばたばた、とオークの一人が駆けてゆく。
他の乗り合い客たちは…そんなオーク達の様子を見ながら自分たちが抱いているイメージとのあまりの乖離に呆気にとられていた。
× × ×
「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 狼! 狼! 狼大嫌いニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
ずどどどどどどど…と森の中を疾走しながらアーリンツが泣き叫ぶ。
猫が嫌いと言えばこちらの世界では大概犬が定番なのだけれど。
まあ犬族と言う枠組みで考えれば大差はあるまい。
彼女は猫獣人であり、狼が種族特性レベルで苦手なようだ。
無論彼女は行商人であり、客の中には狼獣人などもいるだろう。
そうした時客に失礼がないようにと彼女は必死に修行を重ね、獣人種であれば狼だろうと対応できるようにはなった(ややぎこちないけれど)。
だが原種は別である。
彼女は速度を上げ、恐る恐る後ろを確認し、再び恐怖にひきつった顔で疾走を続ける。
「まだ追っかけてくるニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?」
その表現には少し語弊がある。
子狼は決して彼女を追いかけてなどいない。
先刻からそのぶらぶらと揺れる尻尾にがぶりと噛みついたままなのだ。
逆に言えばその顔面を鷲掴みにして無理矢理引き剥がさない限り幾ら逃げても常に背後にその子狼が控えていることになる。
だが混乱している彼女はそれに気づくことができない。
「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 誰か! 誰か助けてニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンブッ!??」
ばつん! と何かにぶつかって彼女はもんどりうって倒れそのままごろごろと回転し近くの樹に激突した。
「ギニャッ!?」
ぶつかった勢いで樹ががさがさと揺れ、小さな木の実が彼女の頭にコーンと落ちた。
まるで絵に描いたようなオチの付け方である。
「助ケテトハ、何カラダ」
「狼! 狼! 狼が追っかけてくるニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
木の下でうつ伏せになったまま丸まって半泣きで懇願する。
彼女の尻尾がその上でぶんぶんと勢いよく左右に揺れていて、それに噛みついたままの愛らしい獣が右に左に振り回されながら楽しげにその遊興に耽っていた。
「狼カ…珍シイナ」
そう呟いたその男は、彼女の尻尾にがっちり噛みついているその子狼の顔面を後ろから掴むと、強引にその口を開けさせ尻尾を吐き出させた。
「モウ大丈夫ダ」
「ホントかニャ!? いやー助かったニャーどこのどなたか存じませんがニャンとお礼を言ったらいいか…ニャ?」
頭を掻きながら立ち上がり、埃をはたいた後軽く舌で毛づくろいをして身なりを整えたアーリンツは…
そこで今更ながら自分を助けた相手の正体に気づく。
オークである。
結構な長身だ。
さきほどぶつかったのは彼の分厚い胸板だったわけだ。
そのオークは唸り声を上げる小狼の首を摘まんだままアーリンツを見下ろしている。
「ニャ…ニャーン…?」
なにか不味い気がする。
話題。なにか話題。
アーリンツはキョロキョロとあたりを見回して…
自分が、いつの間にやら花畑の中にいることに気が付いた。
「ニャ…?!」
いや正確にはまだ花畑ではない。
だが耕された土、等間隔で育ちつつあるその芽、そして葉の形…それは間違いなく火輪草の花畑だ。
花畑になる予定の土地だ。
そして…その奥に村が見える。
助けてくれたオークの背後に村が見える。
明らかに人の村のように見えるのに、なぜかオーク達が闊歩している村が。
そして…
ああそして
さっきから隣で畑に水撒きをしている幼いエルフの少女は一体何者だろう。
「
「あ、これはその…ご丁寧にどうもニャ…」
鈴の鳴るような声で礼儀正しい挨拶を述べるそのエルフの少女に、アーリンツはぺこぺこと頭を下げ挨拶を返す。
(…あれ? なんか変じゃないかニャ?)
なぜ花畑?
あの村落はなに?
どうしてそんなところにオークが?
このエルフの少女は何者?
なんか村にオークがわらわらいるしここはオークの村?
ならなんで女性が解放されて出歩いてるの?
というかこの子もしかして仕事してる?
オークの村で?
なんで?
頭に大量の疑問符が浮かび困惑し首を捻るアーリンツ。
だが…そんな彼女も…
次の瞬間、冷や水を浴びせられたように血の気が引いた。
ぽむ、と彼女の肩を叩いたそのオークが呟いた、一言を聞いて。
「見タナ」
「み…見てない見てない見てない見てないなんかオークの村っぽいところもお花畑もエルフの女の子もなにもかも全部まったく見てないニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!?」
アーリンツ・スフォラポルは……捕まった。
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