第88話 手強い襲撃者

三台の幌馬車が森の中を走る。


白銀山嶺ターポル・ヴォエクトの西の麓にして多島丘陵エルグファヴォレジファートの東に位置するこの森は、無事に抜ければ山岳用の装備を必要とせず南北を結ぶ数少ないルートであり、商人達にとってその重要度は高い。


かつてこの辺りは凶悪なオーク共の縄張りであり、襲われれば命はないとまで言われていた。

だが最近は無事に通過する馬車も多く、また襲われても命までは奪われないと噂されており、比較的安全なルートとなった…



はずだった。



沢筋の街道には大きなカーブが多い。

速度を緩めて曲がり切ろうとしたところ、その先に大きな柵とこちらに突き出た杭のようなものが設置されていて、御者は慌てて馬車を止めた。


そして止まった…と思ったときには既に包囲が完了していた。

一体何処に潜んでいたのか、斧を構えたオーク達が馬車をずらりと取り囲んでいた。


念のためにと雇われていた傭兵たちが慌てて外に出ようとするが、幌馬車の後部はがっちりと囲まれていて、迂闊に外に出ようとすればそのまま斧で両断されかねない勢いである。


各馬車の御者の元には比較的小柄なオークどもが急行し、手綱から手を離させて手際よく縄でぐるぐる巻きにしてゆく。


それでもなお抵抗しようと怪しい動きをした者には…樹上から即座に矢が放たれ目の前の地面に突き立ってその気力を削いだ。


実に鮮やかな手並みである。

到底オークのすることとは思えない。

恐るべき膂力と大斧の破壊力に無類の頑健さ…オーク族が有するそれらの長所は、同時に知能の低さと愚かしさがあってこそのものだ。

そうでなくば種族としてのバランスが崩れてしまう。


「どうする?」

「従っとくか?」

「すぐに殺すつもりはなさそうだが…」

「おい、いつでも反撃できるよう合図だけは決めとくぞ」

「フンフン。デ合図ッテナンダ?」

「合図は…そうだな。『糞くらえ』にでもしとくか」

「ナルホド。糞クラエカ。ワカッタ」

「「「あん…?」」」


馬車の中で傭兵たちが小声で相談しているところに、途中からオーク達が幌をめくって顔を出し、当たり前のように会話に加わっていた。



商用共通語ギンニムで、だ。



慌てて武器を構えようとするが、オーク達の背後の森に幾つかの不自然な輝きがあるのを目にして傭兵たちの野伏レンジャーが危険を告げる。


「オ前達危ナイ。一人ズツ馬車出テコッチ来イ。順番ニ…アー、ブソウカイジョ? スル。ブソウカイジョ。ワカルカ? 応ジルナラ命取ラナイ。嫌ナラミナゴロス。ドッチガイイ? 俺達ドッチデモイイ」


オーク族は老いも若きも歴戦の戦士である。

絡め手に弱いことを除けばその強さは戦場でも無類と言ってよい。

彼ら傭兵はそれをよくよく知悉していた。

そんな彼らが共通語を解し、飛び道具を備え、かつ理知的に交渉を持ち掛けてくる。


眉根を寄せた傭兵たちは顔を見合わせ、肩を竦めてこう結論付けた。


「こりゃダメだ。諦めよう」


傭兵たちが早々に降伏したことで商人たちも観念したようだ。

役立たずと罵倒したいところだけれど、所詮金で雇った傭兵である。忠誠心など到底期待できまい。

彼らはあくまで倒せる相手を倒してくれるだけである。


だがそんな傭兵たちでもそれなりに意味はあった。

彼らは生き汚く、命が危ういとなれば報酬をもらわずに逃亡することだって珍しくない。


そんな彼らが戦わず、かつ武装解除に応じているということは…

第一にこのオーク達がかなり強力な集団であること、そして第二に彼らがいたずらに命を弄ぶような邪悪な連中ではないであろうということだ。


つまり大人しく従っていれば命だけは助かる公算が高いのではないか…商人達をはそう結論付けると、互いに小声で相談しながら特に大切な商品を素早く片付け、隠し、その後両手を上げて投降する。


馬車に乗っていた者は全員武器を奪われた上紐で縛られ、馬車の横に転がされた。

商人達、傭兵たち、そして金を出してこの馬車を移動手段として利用しているの連中。


特に乗り合いの連中はいつオークに斬り殺されるかと気が気でないようだ。


「ア、アー、ワタシ、オーク語、少シ、話ス。命、助ケル、アー…交渉?」

「下手糞なオーク語ダな。無理しなくテイイぞ」

「「「!!?」」」


相手のリーダーらしき体格の優れたオーク…他のオーク達のへりくだった態度を見ても間違いないだろう…に向かって隊商の長が知っているオーク語の単語を繋ぎ合わせてなんとか助命を願い出ようとしたところ、思った以上に流暢な商用共通語ギンニムで返されて愕然とする。


「お前、共通語、喋れ…」

「ン? 黙っテタ。お前タちガ必要なコトのまデな」

「あ…ああ…っ!」


共通語がわかるということは。

全部理解できるということは。

つまり縛られている前に、そして縛られている間に交わしていた会話も全部目の前で堂々と聞いていたことになる。

とっさに隠した希少な商品の隠し場所まで、全部。


「クラスクノ兄貴ー! コイツラガ言ッテタ場所ニアッタ! 隠レテタ!」


馬車の中から顔を出した小太りのオークの朗らかな声で長は全てを察した。



狡猾に、そして巧妙に。

彼らはオーク達の策に絡めとられていたのだ。


観念してがっくりと肩を落とす彼の前で、先刻兄貴と呼ばれたオークがにんまりと笑う。


「サ、観念しロ。酒は全部。メシは半分。それ以外の財貨は…もらっテく」

「そんなっ! せめて半分は……え?」


反射的に悲鳴を上げてから言われた内容を徐々に頭で理解する。



…少なくない?



それじゃまるでタチの悪い国を抜ける際に支払うに足が生えた程度の損失である。

とてもではないがオークに襲撃を受けて全面降伏した時の被害ではない。


「なんダ。半分もらっテイイノカ?」


ぶんぶんぶん、と首を振る長。

顔面は蒼白で額からだらだらと汗が滲んでいる。


商人にとって一番恐ろしいのは商売上の無知である。

相場という情報を金に換える彼らにとって、己が知らぬことを突き付けられるのは恐怖に等しいものであった。


罠か?

それとも本気なのか?

目の前のオーク部隊のリーダーらしきオークの表情を探るが、何を考えているのかさっぱりわからない。


頭に幾つも疑問符を浮かべた彼は、商人の損得勘定に重大なエラーが発生させだらだらと汗を流す。

そんな彼の顔を覗き込むようにして身を乗り出したオーク族の隊長は…

犬歯を剥き出しにして野蛮に笑いかけると、隊商の長の肩をばんと叩いた。


「そうイえバ、忘れテタ」

「や、やっぱり追加の…あ、あの女性は乗り合いで一人だけしか…じゅ、獣人の娘なんですが……!」


そうだ。

オーク族。オーク族である。

オーク族と言えば女性の略奪。

そう、悪名高きだ。

もしそれがろくに用意できないと知られたら…!!


「お前、さっき下手糞ダガちゃんとオーク語喋っタ。喋ろうトシタ。とてもイイ。財貨の取り分ハ二割デイイ」

「ッ!?」




今度こそ完全に度肝を抜かれたその隊商の長は…

なにか見てはいけないものでも見るような目で、そのオークを仰ぎ見上げた。







その時…背後で唐突に大きな叫び声が、上がった。

女性の、悲鳴だった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る