第77話 族長ウッケ・ハヴシ

久々に村に帰ってきた族長ウッケ・ハヴシ。


身長は2m10cmを優に超えるだろうか。

間違いなくこの村の誰よりも高い。

だが一見するとあまり背が高いという印象は受けないだろう。


その盛り上がった肩、太い腕、地面から根が生えたかのような足…

上背だけでなく体格も優れている彼は、長身というよりむしろ巨躯と表現した方が相応しいからだ。


体中に無数の傷痕を刻んだその肉体を、だが彼はむしろ誇らしげに周囲に見せつける。

オーク族の在り方としてそれは誇りの証なのだ。


特に顔面に刻まれた右目から鼻辺りを通って右唇に抜ける三日月形の傷は彼のお気に入りで、かつて人間族のとの激闘を制した折に刻み付けられた武勇伝と共に彼の自慢となっている。


肩に担いでいるのは両刃の大斧で、ワッフが使っているものよりさらに大きく、かつ鈍重に見える。

だが彼はこれを水に浮かぶ木の葉のように軽やかに操って、多くの多くの異種族どもを屠ってきた。



…そして、なによりその表情である。



見るからに高慢。

並外れて不遜。

そしてあまりにも傲岸。



ありとあらゆるものを力で奪って来た彼の実力と、それに裏打ちされた自信がこれでもかと溢れている。


その外見と雰囲気からわかるのは…彼が対話や指導力でこの村を総べていたのではなく、ひたすらに武断と畏怖と恐怖とで村を支配してきたであろう、ということだった。



「ヒッ!」

「ゾ、族長…!?」



ハヴシがぎろり、と一瞥しただけで村のオーク共が震えあがり、建築作業をしていた者はその手を止めた。

彼はその中を肩を怒らせ、斧を担ぎながらのっしのしと歩く。


さて村に戻ったハヴシはその様子を見て眉を顰めた。

村の様子が大きく変わってしまっていたからだ。


知らぬ建物が建てられようとしている。

オークが建築なんぞにうつつを抜かすのも変な話だがそれにオーク達が大人しく従事しているのももっと変だ。


そしてもっとおかしいのは村の女どもである。

なぜこいつらは生意気にも村の中を当たり前のように闊歩している?

それに家々に繋がれていた娘どもはもっと打ちひしがれ見すぼらしい恰好だった気がするが皆妙に小奇麗になっているではないか。



なにより彼らの表情だ。

オーク同士、そしてオークと女同士がなぜ笑い合う?

そんな関係をいつ誰が許容した?



大きく変わった…いや変わりつつある村を観察していた彼は見る間に不機嫌になっていった。

かつて彼が村を出る時には存在せず今ここにあるもの、そしてそこからは彼の支配には不要なものだったからだ。



「オイオ前ラ…ソノ手ヲ止メロ」

「ヒッ!?」



脅えるオークどもを威嚇しながら公衆浴場の建築を止めさせる。

まあクラスクの家に注進に行ったリーパグといつの間にやらどこかに隠れたらしきシャミルが不在のため彼らだけではこれ以上作業を進められないのだけれど。


「……………」


ハヴシにはこれがなんの建物なのかはわからない。

どういう用途で建てるのかもわからないし、わかるつもりもない。


ただ彼は建造中の建物の壁面をじろりと眺め、肩に担いだ斧を軽く振る。

ただそれだけで次の瞬間その壁は木っ端微塵に砕け散り、破片を浴びたオーク達は恐怖のあまり蒼白となって慌てて彼から距離を開けた。



そうだ。それでいい。

己に対する怯えこそが支配に求められているものなのだから。



だいぶ彼好みになりつつある村とその住人どもに睨みを利かせていたハヴシは…ふとに目を止めた。

金髪碧眼のエルフの少女だ。


手に小袋を携え、何かに夢中になって鼻息荒く己の目の前を通り過ぎようとしている。

自分に対する畏怖も恐怖もないままに。



それは彼が族長である限り…決して許されることでは、ない。



「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」



エルフの少女…サフィナがハヴシに摘まみ上げられ、悲鳴を上げる。

事態が呑み込めず慌ててキョロキョロ周囲を見回した彼女は、己を持ち上げた相手と目が合った。


ぬたり、と笑うそのオーク族に…サフィナは喩えようのない恐怖を感じる。


それは目の前の相手の事を…サフィナのことを何一つ考えていない顔だった。

己の都合、己の我意、己の欲望しか考えていない。

彼女が知っているオーク達とまるで異なる存在。



だが…それこそがオークの姿。

オークのあるべき姿である。



ミエによって人としての情緒を覚えたクラスクと、元からオークとしては奇跡的に優しいワッフ、そんな彼らに影響されて少しずつ人としての機微を覚えつつあったラオクィクとリーパグ。

彼らの方こそ元来のオーク族から見れば異端であり、異分子なのだ。


「サテ…誰ガ出テクルカナ…」


じたじたと暴れるサフィナを摘まみ上げたまま周囲を睥睨するハヴシ。

彼の眼光にたじろいで誰一人少女を助けに行こうなどとは思わない。

それもまた強き者に従う本来のオーク的で、彼は満足げに唇を歪めた。


「サフィナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!! オ前サフィナにナニスルダァァァァ!!!」

「ワッフ-! ワッフー!」


そこに土ならしを終えて一段落させたワッフがやってきて、怯えたサフィナの様子を見るや否や激しい怒りにその身を燃やす。

鍬を放り捨ててどすどすどす、と目の色を変えてハヴシの前にやってきた彼は…だが次の瞬間ハヴシの横拳でその頬を激しく打たれ、顔面を派手に歪ませながら数mほど真横に吹っ飛んだ。



どすん、ばすん、ぼてん。



背中で一回、肩で一回、さらに後頭部で一回。

それぞれ地面に強く打ちつけてその都度さらに後方にもんどりうって…

最後にうつ伏せに倒れたワッフは、そのままぴくりとも動かなくなった。


「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


サフィナの顔が絶望に染まり、悲鳴を上げる。


「ワッフー! ワッフー!」


ぽろぽろと涙を零しながら彼の方に必死で手を伸ばす。

だが届かない。届かない。

その手は空しく宙を掴むだけ。

オーク族に実に相応しい蹂躙の姿を見せつけたハヴシは…だがつまらなそうに呟いた。


「テメエミテエナ雑魚ジャネエ」


そして目線を移し、目の前にいる女に問いかける。


「デ、オ前ハナンダムゲ ウクィ イエア

オークの妻ですオークック ドゥルボ!!」

「ドゥルボ…?」


先程ワッフがハヴシの元に駆け寄った際、別の方向から彼に忍び寄った者がいた。

無論ハヴシはそれに気づいていたが、気配から大して脅威にならぬ存在だとあえて泳がせていたのだ。


彼の目の前に来たミエは…よいしょっと飛び上がりサフィナの肩の留め具を外し、帯を引き抜く。

身体に簡易に巻き付けてあるその服はすぐに解け、ミエは全裸のサフィナを強引に引き抜くと両腕で抱え彼女を庇った。


「ホウ…?」


その娘の沈着な行動にハヴシは目を瞠った。

男は死んでも構わない威力で殴りつける。

だが女は使こそ価値があるものだ。その心をへし折って隷属させるためには痛めつけはしても殺しては意味がない。

だから多かれ少なかれ必ず手加減する。



目の前の女は飛び出してきた。



だがすぐに逃げ出せば追撃を受けてしまう。

女が虜囚の身であればオークの手練で如何様にでも屈服させることができようが、それはあくまで捕らえた後の話である。


逃がしては意味がないから彼女が逃走を図ればハヴシには手加減ができぬ。

エルフの小娘を抱えたままでそんな一撃を喰らえば女の体ではひとたまりもあるまい。

ゆえにこの娘はその場から動かず、膝をつきながらこちらを睨みつけているのだ。


そして…その目!

殺意でも敵意でもない。

けれど決して屈しはしないという鋼が如き強靭な意志が形を為したかのような瞳。

彼はかつて女がそんな目つきをするのを見たことがなかった。



…この女はだ。

ハヴシにはすぐに分かった。



この村を己の好まぬ方向へと変えようとしているオークがいるとして、間違いなくその協力か手伝いをしている者だ。


ならばなぜこの女は…明らかに己の歯向かう立場だというのに、こちらに敵意を向けないのだ?




それに




この村で定着しつつある『ドゥルボ』という言葉は、だがオーク語には本来存在しない。

そもそもオーク族には嫁などというがなかった…或いは失われてしまったのだから当たり前の話である。

ミエが教えた嫁と言う単語も、そしてクラスクが普段使っている嫁と言う言葉も、元は商用共通語ギンニムなのだ。


さてハヴシに理解できぬ単語を喚くその娘は…けれどそれ以外は流暢なオーク語を話す。

こちらの言っていることも全部理解できているようだ。

そんな女もまた、彼は今まで見たことがなかった。



「面白イ女ダ。今晩ノ楽シミガ増エタ」



不気味に笑うハヴシ。伸ばされる手。

必死にサフィナを奪ったけれど、ミエにはもうこれ以上打つ手がない。


その脅えるエルフの少女をぎゅっと抱きしめ…彼女は必死に心の中で叫び続けた。




(旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様旦那様…ああ、ああ、旦那様……っ!)




そして次の瞬間…荒く息を切らしながら二人の間に割って入ったクラスクが、その戦斧の先端をハヴシに突きつけた。




「ハァ…ハァ…ハァ…オイ、ウッケ・ハヴシ。人のドゥルボニ手ェ出スナよ」

「旦那さまぁっ!」




ミエの歓喜の声が響き、周囲のオークどもからどよめきが上がる。

この村の変革、その最後にして最終関門。






族長打倒の幕が、遂に切って落とされたのだ。




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