第70話 激闘!蜂蜜狩り

「きゃあああああああああああああああああああああああ!!?」


ミエが思わず悲鳴を上げる。

ぶんぶんと響く羽音は重低音。

今まさにオークどもがの真っ最中だ。


蜜蜂というと養蜂がすぐに思い浮かぶが、自然界での蜜蜂の巣とは一体どのようなものなのだろうか?


蜂の巣というとよくイメージされるボールやとっくりのような形状の巣…あれは主にスズメバチやアシナガバチの巣であり、蜜蜂の巣はあのような形状を取らない。


あの蜂の代名詞である六角形のハニカム構造が連なった板のような巣…が、数十センチほど垂れ下がり伸び広がっているのが本来の自然界の蜜蜂の巣である。


ある程度の大きさの巣になると、その横に同じような巣板が二つ、三つと等間隔にぶら下がっている。

洋服ダンスに並べ吊り下げられている衣服をイメージすればわかりやすいだろうか。


これが樹木のや民家の屋根裏などに作られるのが一般的な蜜蜂の巣…である。


だが一部の地域の蜜蜂の巣にはと呼ばれるタイプもある。

これは字の如く開放された…木の枝などにぶら下がっている巣の事だ。

ただ通常はスズメバチなどに襲われるためそういった巣作りをすることは稀である。


さて、ミエが熱心に欲しがった蜂蜜…それを貯めこんでいる蜜蜂の巣は確かにあった。

形状的にはミエがかつて図鑑で見たによく似ている。



…問題は大きさである。



大きな樹木の幹に垂れ下がるその巣板は…長さmほどもあるのだ。

それはみしみしと太い枝をしならせ、大きくなる過程で他の枝を巻き込んで、樹木と半ば一体化したような巨大な五層の巣板を構築していた。


ちょっとしたボスステージの要塞にすら見える。


「おーおー、よくやるのう」

「ハチさん可哀そう…」

「可哀そうって相手か、アレが」

「なんか思ってたのと違う!」


数十m離れた木々の隙間からオーク達の激闘を見物する女性陣。

蜂の巣の前で手斧を振り回し斬った張ったの乱闘をしているオークども。


蜂の巣目当てなのだから相手は当然蜜蜂である。


ただ…蜜蜂ではあるのだが少々大きい。

蜜蜂1匹が直径15cmほどもある。

虫嫌いの人なら見ただけで卒倒しかねないレベルの大きさだ。

それが数十匹数百匹でわんわんと羽音を鳴らし威嚇しながらオークどもに襲い掛かっているのである。


「蜜蜂の尾には針があってこれで相手を刺すんじゃが…この針は一度しか使えんでな。鈎がついておって相手に刺すとそのまま抜けなくなって蜜蜂の尾から取れてしまうのじゃ」

「そ、それは知ってますけど…」

「針を失った蜂は死んでしまうが、体に突き刺さった半アング(約1.2センチ強)程の長さの針はそこから延々と毒を体内に流し続ける」

「垂れ流されるとどうなるんです…?」

「まあ人間なら二刺しで致死量、一刺しでもショック症状が出ればそのままお陀仏じゃろうな」

「なんか思てたのと違う!?」


あまりに凶悪さに思わず叫ぶミエ。

言われてみればワッフが言っていた蜜蜂ノキヴル ピィというのは蜜蜂というよりむしろ「暴れ蜂」のようなニュアンスである。


あの時は蜂蜜のインパクトに負けて聞き流してしまったけれど。


「サフィナ知ってる。クマさん甘いもの好き。だから蜜蜂の巣を襲いに行く」

「それも知ってますね…」

「それでよく負けて逃げ出す」

「それは知らない!? え? 負け…? 熊がですか!?」

「うん。たまに死んでる」

「うむ。そうした熊の死骸を人間が回収して素材として売ったりしておるな。森の恵みとか称してのう」

「私の知ってる生態系と違うううううう!?」


ミエの蜜蜂の常識が足元から崩れてゆく。

大概の事は元の世界の知識や常識に当てはめてなんとかしてきた彼女だけれど、どうやら今回に限ってはだいぶズレがあるようだ。


「ええっと…でも皆さんは蜂蜜の事御存知ですよね」

「まあ噂くらいはな。アタシゃ高すぎて喰った事ねえけど」

「わしもないのう。手強い相手ゆえ王侯貴族や豪商などが熟練の冒険者を大金で雇って採取させたりするらしいが、口にできるのはせいぜいその程度じゃ。庶民の口にはとてもとても」

「サフィナはある。エルフにはそういうの採ってくるの得意な人いる…」

「「「おおお~」」」


サフィナの発言に歓声が上がる。


「…で、ミエはどうなんじゃ。蜂蜜を食したことは?」

「それは…よく覚えてないですけど、その、好物だったのでよく食べていたような…」

「まじか」

「どこぞの王侯貴族の道楽学者娘かなにかかお主は。それが記憶喪失であまつさえオークの嫁とはのう…少々属性過積載ではないか?」

「あはははははははは…」


乾いた声で笑いながらミエはオーク達の戦いを見守る。


ミエにはようやく理解できた。

この世界の蜂蜜は、その危険性からおそらくのだ。

王侯貴族だけが味わえる希少品だから、として定着しなかったのである。


ゆえに表現としてはにしかならず、直接対象を言い表す一般名詞…つまり彼女の世界で言うところの蜂蜜ハニーという単語がのだろう。


ミエはこの世界の商用共通語ギンニム北方語ミルスフォルムを知っている。

だがその用語知識を思い返してもという対象それそのものを示す単語は出てこなかった。

ゆえに今日まで失念していたわけである。


巨大な蜜蜂たちが羽音で威嚇しながら次々とオークに群がり、その尾を蠢かせて針を突き刺してゆく。

そのあまりの痛々しさにミエは思わず顔を覆った。


彼女の世界では珍しい開放巣を形成している理由もよくわかった。

彼らは隠れて巣を作らなければならない敵ほどのが存在しないのだ。

なにせ熊が退散する程の大きさと暴力である。

森で恐れるものなどないではないか。


「あああ私があんなこと言っちゃったからあああああ…ごめんなさいごめんなさい…っ!」


夫は無事なのだろうか。

まさか妻が愚かなおねだりをしたせいで夫が死亡して新妻にして未亡人……なんて悲劇が待ち受けていようだなどと誰が想像できただろう。


「それがそうでもなさそうじゃぞ。ほれ見てみい」

「ふぇ…?」


ミエがそっと目を開けよくよく見てみると、先ほどからずっと戦い続けているのも関わらずオーク達は誰一人倒れていない。

二刺しどころか明らかにそれ以上の針を突き立てられているにもかかわらず、である。

逆に針が刺さった瞬間蜜蜂を掴んで地べたに叩きつけ斧でとどめを刺している。


それは…刺されること前提の戦い方である。

それも彼らはその戦い方に手慣れている。

既知の戦術のようなのだ。


蜜蜂の針は一度しか使えない。使えば蜜蜂自身が死んでしまう。

ならば蜜蜂の毒で死なない相手であればいいたずらに数を減らすのみだ。


「あれ…?」

「オーク族の肉体は相当頑丈じゃからな…蜜蜂の毒に耐性があるのやもしれん」

「そういや出撃前に気合は入れたたけどこれが初めてって感じじゃあなかったなアイツら」

「うむ。痛くて面倒なだけで連中には採ろうと思えば採れるんじゃろうな。まさかオークどもが王侯貴族に負けぬ贅を尽くしておるだなどと種族大全にも載っておらなんだわ。これはよい知見を得られた」


ゲルダとシャミルの会話の間にも蜜蜂は少しずつ数を減らし…遂に最後の一匹が撃ち落される。



森の中にオーク達の勝利の凱歌が響き…遂に蜂蜜の前に聳えていた障害は全て駆逐された。



「ミエ! 終わったゾ!」

「きゃー旦那様ー!?」



体中をぶくぶくに腫らしながらクラスクがミエたちの元へやってくる。

クラスクだけでなく他のオーク達も皆体中にたんこぶのような腫物を生やしていた。


「ぶふっ! ラオお前その顔…!」

「名誉ノ負傷ダゾゲルダ。笑ウトコロジャナイ」

「そうかもしんないけどさあ…ブハハハハ!」


「フッヘッヘ…コレデ蜂蜜喰エルゾ、サフィナ!」

「…うんっ!」


「イタタタタタ…俺モ頑張ッタ俺モ頑張ッタ俺モ頑張ッタカラナアアアア!」

「はいはいリーパグや。おぬしもようやったようやったえらいえらい(棒読み」

「俺ダケ扱イ雑ジャネエエエエ!?」


皆で凱歌を上げながら肩を叩き合い笑顔で帰還する戦士たち。

それを眺めながら…ミエの頭の中で何かが組み上がってゆく。


(え…? つまりこの世界の蜂蜜って…ものっすごい希少品なの…? 普通の人だと危険すぎて手に入らないレベルで? でもそれをってこと…?)


…オーク達の村を改革し、女性を奪うのでなく呼び込める村にする。

今までそれは単なる目的だった。

叶えようとする意志と不断の努力とを地道に積み重ね、手を伸ばし続ける遠い目標に過ぎなかった。



けれど…今ミエの中でそこに至るための路が、細いけれど確実に一本、伸びた気がしたのだ。



「えーっと…なんだっけ。なんかこういう時に相応しい言い回しがあった気がするんだけど…!」


腕を組んで必死に記憶を手繰る。

あれは確か一時的に退院して実家に戻った時、父親がテレビで見ていた作品の中で誰だかが言っていた台詞だったような…


「ドうしタ、ミエ」

「思い出した!(ぽむ) 確かこう…『コイツはデカイシノギのニオイがするぜ』…だったかな?」

「「「シノギ!?」」」


ミエの母国語の呟き…その語感が妙にオーク達のツボに入ったらしい。


「シノギ!」

「デカイシノギ!」

「シノギ! シノギ!」

「コイツハデカイシノギノニオイガスルゼェェェェェ!」

「「「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」」」

「え? え? なに? なんですか!?」




こうしてオーク語にミエから伝来した妙な語録がまた増えて…







そして、ミエの自宅には凄まじい量の蜂蜜入りの壺が残されたのだった。




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