第47話 エルフ小娘追跡行

「マママ待ッテクレヨウ兄貴ィィィィィィィ!」


ワッフの情けない声がかなり後方で響く。

クラスクの全力疾走にまるで付いてゆけいないようだ。


クラスクは足を早めながら自分がこれだけ走ってもまるで疲れていないことに驚いていた。

確かに他のオークより走るのが早かった方ではあるが、以前ならこのくらいの距離を駆けたらかなりへばっていた気がする。


走る。走る。走る。

川の支流を飛び越え藪を掻き分け繁茂した草を踏み越えて、クラスクは全力で川のほとりを駆け抜けた。



遠くで、絹を裂くような悲鳴が聞こえる。



「聞こえタ! おおイワッフ! 折れテ左ダ!」


振り返って大声で吠える。

かなり遠くから「ワガッタァァァァァ」と小さな声が届く。

それを耳にすると同時にクラスクは大地を蹴り、森の奥へと飛び込みつつ前方に意識を集中させた。


(しかしダイブ近イナ…?)


いなくなったであろう推定時刻と逃げた相手の種族を考慮して、クラスクはもっとずっと遠くまで逃亡しているものと踏んでいた。

この距離は彼が想定ものよりはるかに近い。

エルフ族を過大評価していたのか、まだ子供で早く歩けなかったのか、それとも慣れぬオーク族の村の暮らしで衰弱しきっていたのか。

最後の推測は当たらないでくれと思いながら、クラスクはさらに速度を上げた。


(イタ…ッ!)


木々の幹の隙間、藪の枝の先、ワッフの家で見かけたエルフの小娘を見つける。

地べたにへたり込んで、泣きそうな顔で震えていて、



そして…彼女の視線の先に、大きな猪がいた。



(デカイゾ…ッ!?)


全長2mを優に超えている。かなりの大物だ。

牙も相当に育っていて、オークの戦士でもまともに喰らえば簡単に串刺しになってしまうだろう。

それがエルフの娘の前、5mほど離れて嘶きながら地面を引っ掻いている。

相当興奮しているようだ。

いつ目の前の娘が轢殺かくし刺しにされてもおかしくない。


だが間に合う。

大声で威圧してこちらに注意を引いて、向かってくる猪の眉間を背中の戦斧を引き抜きざまにで一撃。

自分なら…今の自分にならそれが…!



(ッテ阿呆! それじゃダメだろォガァ…ッ!!!)



だがギリギリの、実にギリギリのところでどすん、と己の右足を前方の地面に叩きつけ、急ブレーキをかけながら踏みとどまる。



(俺が! 助けちゃ! ダメなンダ…ッ!)



大きく荒い息を吐いてミエの言葉を思い出す。

彼女は『ワッフの事を頼む』と言ったのだ。


このまま突撃すればきっとあの猪は倒せるだろう。

幸いまだしていない個体のようだ。

それなら一人でも十分勝機はある。


今の自分になら脅えている小娘の前に立って彼女を守り庇いながらあの巨躯の猪を屠ることすらできるだろう。

以前より遥かに強くなった今の自分なら。


できる。

できるはずだ。

クラスクにはそんな確信があった。


けれど今日の目的は猪を倒すことではない。

あのエルフの娘をオークの村に連れ帰り、ワッフの元に留め置くことなのだ。


そのためにはワッフがあの娘を救って恩を売っておく必要がある。

御立派な荷馬車を襲って攫ってきた経緯が経緯だけに好意を持ってもらえるかどうかは怪しいが、出来得るならワッフを気に入ってもらってあの村に住んでもらいたい。

なんとも身勝手な話だが。


その目的を達成するためにはワッフがあの猪を倒して彼女を救い出す、というがどうしても欲しい。

クラスクが倒しては意味がないのだ。


だがこのままではきっと間に合わない。

ワッフの足では間に合わない。



(その間をのガ…今の俺の仕事ダ……!)



大きな木の幹に身を顰め、顔だけ覗かせて素早く猪の背中を目視したクラスクは、背中に負った大斧ではなく腰に下げていた手斧を二挺、それぞれ右手と左手に構えた。


戦斧にくらべてだいぶ小ぶりだが色々細かい作業ができる手斧は、その手ごろな大きさ故に投擲武器として用いることもできる。

弓などに比べ射程は短く命中率も低いが、重量がある分当たれば結構なダメージが出せるのだ。


クラスクは投擲も一通り習ってはいたが実はあまり得意ではなかった。

けれど今はそんなことを言っていられる状況ではない。

物陰から上半身だけ出して、右手の手斧を振りかぶりゆらゆら揺らしながら狙いを定める。


まだ。

まだだ。

もう少し。


じっくりと、息を顰めて、チャンスを窺って…



「キャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



巨大な猪が大きくいななき竿立ちになり、エルフの少女が悲鳴を上げてどさりと崩れ落ちる。

その隙を逃さずクラスクは後方に大きく振った手斧を勢いをつけてぶんとなげうった。


後ろ脚で立ち上がった猪の…耳の後ろに、手斧が狙い過たず突き刺さる。

こめかみは猪の急所のひとつであり、背後からでは狙いにくかったためずっとこの瞬間を待っていたのだ。



「ウソォ! 当タッター!?」



自分でしてのけながらガビーンとショックを受けるクラスク。

片刃の手斧は投擲時回転しながら標的に向かうため、狙った場所にきっちり命中させるのはかなり難しい。

しかも今回は刺さった角度やめり込み具合も申し分ない。

彼の技量自体が上昇していたことと、ミエの≪応援(旦那様/クラスク)≫の効果で彼の器用度が底上げされていたのが主な要因である。


その獣は猪というよりはむしろ豚に近い悲鳴を上げ、その場でどすん、どすんと前足を踏み鳴らし顔を大きく振る。

牙か前脚が例の少女にかすりでもしたらそれだけでミンチになりかねない勢いだが、クラスクもそこは十分に計算していた。

あれだけ離れていれば多少暴れても娘に被害が及ぶリスクは低いはずだ。



(今の俺ナラ…!!)



左手に持っていた手斧を素早く右手に持ち替え、いななく猪のこめかみ近くにもう一発。

これまた命中。



「スゴイナ俺!?」



オーク族は優れた戦士であり、クラスクも己の実力はよく把握しているつもりだった。

兄貴分であるイフクィクを倒す前から自分が強くなっている実感はあったのである。

だが…修練していない投擲技術まで上がっているのは彼にも予想外だったようだ。


猪はさらなる悲鳴を上げてその場で暴れまわる。

エルフの少女は気を失ったのか腰が抜けたのかその場で倒れたまま動かないが、それはむしろクラスクにとっては有難かった。

野生の獣は動かないものをあえて襲ったりはしないからだ。


(ま、何かのついデに踏み潰されるかもしれんガ)


ともあれこれで時間は稼いだ。

クラスクは緊張を崩さず少しだけ息を吐く。

あとはワッフさえ間に合えば…


「アアアアアアア兄貴ィィィィィィィィィィ!!」


遠くから情けない声が近づいてくる。


「ハァ、ゼェ、ハァ…兄貴足早スギ…ゼェ…ゼェ…」

「そんなこと言ってる場合カッ!」

「ワッフゥゥゥゥゥッl?」



息も絶え絶えなワッフの尻を叩いたクラスクは、飛び上がったワッフの前に腕を突き出し前方を指差した。



「あそこ! お前の女イル! 襲われてル! お前が助けロ!」

「ア、ア、イタアアアアアアア! ッテエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!?」



逃げたした娘と暴れまわる猪に同時に気づいて一瞬動転したワッフだったが、少女の危機に気づいてその目を血走らせると…






「オオオオオラノ! ニ! ナニスルダアアアアアアアアアアッ!!!!!」






背中の両刃斧を引き抜きながら巨大な猪へと突撃した。

クラスクが広めた、その言葉を叫びながら。


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