第46話 オーク族の推理

(どうする? …どうしよう?!)


捕らえるか。

見逃すか。


選び難い二択を突き付けられたミエは一瞬パニックに陥る。


オーク族の妻になった身としてはここで誰かに逃げられてこの村の場所が外に知られるのは困る。

困る。


けれど元の世界の倫理観で考えるなら、もしその女性が酷い扱いを受けていて堪らず逃げ出したというのであれば是非逃げ延びてほしい。


相反する想い。

だがそのどちらも今の彼女には大切で、ミエは思わず救いを求めるようにクラスクの方を見た。


だがクラスクの切迫感もまたミエに負けないものだった。

ワッフの言葉を聞いて顔面蒼白となり冷や汗を流している。


(マズイ…マズイゾ…! もしこのママ逃がしテ族長アイツにバレタら…!!)


現在所用があって村に不在の族長。

この村を率いてきた強力なオーク。



…ウッケ・ハヴシ。



今の時点のクラスクの所業程度であれば村に貢献し続ける限り許されるはずだ。

けれど彼がを、きっと族長は許さない。

だからクラスクは悩みながらもミエに相談し村を変えてゆこうとする踏ん切りがつかなかった。

もっと族長を説得するのに十分な手間や準備が必要なのではと躊躇していたのだ。


だがもしここで彼の取り巻きであるワッフが女に逃げられたと知られたら完全にクラスクの失策にされるだろう。


そうしたらきっと罰として全てが奪われる。

命も、これまで築き上げた評価も、立場も、そしておそらくはミエも。

なにもかも。根こそぎ。



それだけは、それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。

たとえどんな手を使ってでも……!



「兄貴ィ!」



半泣きのワッフの声でミエとクラスクははっと我に返った。


「そうダ…森はそろそろ獣どものダ。狂暴になってルあいつらの縄張りに迂闊に入ったら小娘ごとき突き殺されかねんゾ…!」

「アアアアア兄貴ィィィィィィ!! 脅カサナイデクレヨウ!」


クラスクの呟きでミエの覚悟は決まった。

どんな理由であれ死なせるのはダメだ。

生き延びなければその女性の事情を聴くこともできない。対処もできない。

とにかく助けなければ。

そうと決心するとミエの行動は早かった。


「旦那様! すぐにその子を追ってください! その、ワッフさんの事…しっかりお願いします!」

「わかっタ! 任せロ!」


斧を背負って外に出たクラスクを慌てて追いかけようとするワッフ。


「ワッフさん待って!」

「ワフ?」


そんな彼を呼び止めて、その手を包み込むように握って激励する。


「頑張って…助けてあげてくださいね!」

「ム、ム、ムハー! ガ、ガンバルヨオラー!」


頭から蒸気を噴出し舞い上がってこけつまろびつ外に飛び出すクラスク。

村の外、森へと走り去る二人の背を手を振って送り出しながら…





ミエは大きく息を吐くと腕まくりとして、彼らが無事帰宅した時のためのを始めた。





    ×         ×         ×



「アネゴハスゲーナー。ナンカヤル気ガモリモリ湧イテキタ!」


むほーと鼻息荒く藪を踏み越えるワッフ。

彼にとっては初めての≪応援≫である。

身体が驚くほどに軽く感じているのだ。


「…ダろうナ」

「オラモアノコト兄貴達ミテエニナレタラナァ」

「今逃ゲ出してんダロ」

「ソソソソウダッタ! アアアアア兄貴ィ!」

「落ち着け」

「デデデデデデデデモヨウ! コウシテル間ニモドンドン遠クニ逃ゲチマッテルカモシレネエ! コンナトコロデウロウロシテル暇ネエヨ兄貴ィ!」


そう言いながら当人がうろうろおろおろと左右に走り回るワッフ。

ミエの≪応援≫で向上している身体能力を持て余しているのである。


「イつイなくなっタんダ?」

「ワワワワカンネエ気ヅイタライナクナッテテヨウ!」

「じゃあ最後に見タのハ何時ダ」

「エーット、エット、森ニ果物取リニ行ク前ダカラ…」

「ダイブ前ダナ…」

「ソソソソウナンダヨ兄貴ィ! ダカラ早ク追イカケネエトォ!」

「別に意味なく立ち止まってるワケじゃネエヨ」


急き立てるワッフの前で、だが兄貴分のクラスクは落ち着いて森を見渡し考え込んだままだ。


「ナナナナニジットシテルンダヨウ兄貴ィ! 早ク早クゥ!」

「デ、お前はドッチに行ったかわかるのカ」

「エ…?」


クラスクに指摘されてようやくワッフの動きが止まった。

言われてみれば、あの娘は一体どっちの方角に逃げたのだろう。


「逃げるところを見たワケじゃネエンダヨナ?」

「ウ、ウン。縄ヲ外シテ目ヲ離シタ隙ニイナクナッテタ!」

「フン…?」

「アアア兄貴ィ…ドドドコニ逃ゲタカモワカラネエ。モシカシテ道ニ迷ッテ野垂レ死ンダリシテタラドウシヨウ…!」


ワッフのもっともな不安を、だがクラスクは一蹴した。


「…その心配はネエナ」

「エ? ナンデ?」

「そりゃお前…ありゃあダろ?」

「エルフダト森デ迷ワネエノカ?!」

「…オメエは本当に物知らずダナ」

「ウウ、ゴメンヨウ」


オーク達は他の家で飼われている女の名前を大概知らない。

そもそも攫ってくるのは異種族の娘であり、互いに相手の言葉がわからないのだから、仮に相手が名乗っていたところでオーク達にわかりようがないのだけれど。

ミエのようなオーク語を喋れる娘は実に希少なのである。


だから彼らは女たちにあだ名を付ける。

クラスクはワッフが飼っている娘をと呼んでいた。オーク語で『ガキ』という意味である。

ちなみに小ささで言うならお調子者のリーパグのところで飼っている娘の方がさらに小さいのだが、こちらは小さい割にあまり子供っぽい感じがしないため、クラスクは『チビクァヴル』と呼んでいる。


そのガキドッキィは確かエルフ族の娘だった。

本来はかなり可憐で愛らしい容姿なのだろうが、オーク族に捕らえられ紐で繋がれ水浴びもろくにできない今の生活ですっかり見すぼらしい様子になっていたはずだ。


それでも鎖ではなく紐でしか繋いでいないワッフは、オーク族の中ではまだ優しい方だと言える。

彼女が肉を食べないため果物をたくさん取ってきたり、襲撃で肉や酒より甘い菓子などを分け前としてもらって彼女にあげたりと彼なりに親身に世話をしているつもりなのだろうが、いかんせん言葉の壁と種族間の常識の差による断絶が激しすぎる。


エルフは知性と魔力に優れた種族ではあるがその反面肉体的に脆弱な者が多く、特に未成熟な女性などを無理に鎖で繋ぎ止めておけばその重さとストレスと疲労だけで命に関わりかねない。

クラスクの知る限り、エルフの娘が村でした例はないはずだ。


…そんなエルフ族のホームグラウンドは森である。

森の中なら彼らはあたかも木々が存在しないかのような速度で走り回り、藪の中に巧みに潜み、その器用な指先で弓を操り遠くから敵の喉笛を射抜く技量を誇る。

その上オーク族の苦手なの使い手だ。

森でのエルフは厄介極まりない存在なのである。


(エルフが森の中デ道に迷うハズがネエ…その上ガキドッキィのあのちっこさと身軽さダ。足跡も期待しネエ方がイイダロ)


ミエに≪応援≫されたクラスクは、現在判断力および捜索判定にボーナスを得ている。

追跡に向いたステータスになっているのだ。


(ダガここハあのガキドッキィの森じゃあねえ。ドコが安全か、ドコが危険か、ドコに行けば森を抜ける近道かマデはわからねえはずダ…!)


ならばどうするだろう。

そんな時自分ならどうするだろう。

クラスクは逃亡者の気持ちになって考える。



道には迷わない。

だが正しい道がわからない。

でも森からは出たい。

けれどこの森がどれくらい続くかもわからない。



「ワッフ! 家からメシや酒は消えたカ?!」

「ウ、ウンニャ! 何モナクナッテネエト思ウ!」


絶好のチャンスが訪れ取るものも取らず慌てて逃げ出したなら食料も水も持っていない可能性は高い。

村の連中にざっと確認しても誰も彼女を目撃していなかった。

物陰に隠れて逃げだしたのだろうか。

それとも単に小さくで目に止まらなかっただけか。


なによりワッフが森で果物を採ってきた帰り道で出くわさなかったという。

ワッフがよほど愚鈍で見過ごした可能性もないではないが、仮にそちら方面に逃げたのではないと仮定してみる。



村の構造、ワッフの家の位置、物陰、食糧、そしてなにより



「……川沿いカ!」


クラスクはがば、と顔を上げる。


「ワッフ! 川を全力で下るゾ!」

「ワ、ワ、ワカッタァ!」





ワッフの返事を聞くより早く…クラスクは全力で走りだしていた。





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