第34話 洞窟の帰り道
目当てのものを手に入れ、二人は帰路に就いた。
長い洞窟の一番奥の壁に、そのキノコは生えていた。
ミエが「お塩」と呼び、クラスクが「キノコ」と返すそれは、確かに太いエノキダケのような見た目のキノコだった。
ただ家にあったそれとは異なり、まだ瑞々しく、手触りがじめっとしている。
クラスクが言うにはこれを数日天日干しにして保存し、必要なときは降って食料(主に肉)に塩を振りかけるのだという。
彼らは別の場所に暮らしていた際、先刻の洞窟のような場所に住み着いていて、そこで塩キノコを採取して調味料として使用していたらしい。
今の村に住み着いた後、森で狩りをしていたオークの1人があの洞窟を見つけ、そこで同じように塩キノコを見つけたのだという。
森の中をクラスクと歩きながら、手にしたキノコを弄りつつ色んな方向から観察するミエ。
もし彼の知力と判断力がもう少し上がっていたら、彼女の手に持つそれから己の股間を想起し、そのいじくり回す指先からいらぬ妄想を掻き立てられて色々と大変なことになっていたろうが、残念ながら彼は未だ連想や見立てをそこまで使いこなせてはいないようで、彼女の指先を眺めても格別な感想はないようだった。
「洞窟でたまたま…ということはこのキノコ自体割とどこでも取れるもの…?」
キノコは奥の岩場に結構な量が生えていたようだが(なにせ真っ暗闇の中で彼女には一切見えなかったのだ)、摂りすぎると次から生える量が減るらしい。
「よく知らン。オークは特に
「よくあるものだとして…なんで洞窟の奥、しかも塩でキノコなんだろう…」
「知らン」
「ですよね」
塩キノコが生えていた場所は時折水滴の音が響いていて、かなり湿度が高かった。
だからキノコが生えるには悪くない環境ではあったかもしれないが、だからといって彼女の世界の常識から考えるとそれがキノコから塩が取れる理由にはならない。
(ひょっとして…だけど)
ミエはふと思いついたことがあったが、現状自分にどうにかできるような話ではないので黙っていた。
もしかしたら夫たるクラスクに協力を頼めば手伝ってくれるかもしれないけれど、確証もなしにやるのは少々リスクが高い行為なのだ。
塩キノコの採取場所は部族の共用だし、失敗して他のオークに迷惑をかければクラスクの部族内の地位が危うくなる。
ミエの目的のためにも、そして夫を盛り立てる妻としても、できうる限りそれは避けたかった。
ただもしミエの推測が正しいとするなら、彼女が密かに考えていた「自宅であわよくば塩キノコの養殖を…」という計画に黄信号が灯る。
(う~ん塩を増産して村のみんなに配れば旦那様の評判も上がるんだけどなあ…残念)
世の中そうそう上手くはいかないものらしい。
塩だけに問屋が卸さなかったのだろうか。
彼女はクラスクが部族内部で偉くなるためのサポートを全力で行うと決めていた。
無論妻として夫の出世を応援したいという気持ちが主ではあるが彼女なりの目論見もある。
ミエは己が思いつく限りの手で村の生活水準を向上させ、その功績によってクラスクの影響力を増大させ、彼の発言で村の環境を良くできないだろうか、などと考えていたのだ。
もちろんそれにはクラスク自身の協力が不可欠である。
けれどいつか切り出さねば…などと思いつつ。ミエはなかなかそれを言い出せずにいた。
損得勘定で動く女だと思われ、夫に呆れられ、嫌われるのが怖かったのである。
(あれ…?)
ミエは己の心の呟きに自分自身で驚いた。
嫌われるのが怖い。
嫌われたくない。
それは当たり前のことだ
妻が(それも新妻が!)夫に抱く感情としては至極当然のものだろう。
けれど二人が結ばれた経緯はどうだったろう。
確かにミエは会ったばかりの彼の求婚を受け入れたけれど。
そのオークを夫として己にできうる限りの精いっぱいで尽くそうと心に決めたけれど。
でも好きになれるかどうかはその先の話だったはずだ。
はずだった、のに。
(あれ、私…あれ?)
いつからだろう。
どこからだろう。
何がきっかけだったろう。
(私、いつの間に…?!)
確かに色々あったけれど…それでもまだ会ったばかりなのに。
この生活も始まったばかりなのに。
なんで…隣で一緒に歩いているこの人を…こんなにも好もしいと感じているのだろうか。
優しいから?
もちろんそれもある。
逞しいから?
確かに健康的で頑健な
でも違う。
きっと違う。
彼を好きになったのに…たぶん理由なんてない。
ただ一昨日より昨日、昨日より今日の方が…確かに、彼のことを好きになっている気が、する。
(これが恋ってこと…? それと夫婦だから…?!)
かぁぁぁぁぁぁぁ、とただでさえ赤い顔を一層に紅に染める。
運命だの赤い糸だの、己に都合のいい言葉が次々に脳裏に浮かんで思考を埋め尽くす。
…だが別にそれは運命的な出会いでもなければ宿命の恋でもない。
実にありきたりで単純な理由がある。
ミエは感受性が豊かで、他人の好意に敏感であり、さらに相手の言動を好意的に解釈しやすい。
またすぐに他人を信じるし、人の粗を探すよりは美点を見つけることの方が大得意だ。
それを多少言葉悪く表現するなら、要は彼女は「ちょろい」のである。
かつての人生において、彼女は長い間世俗から離れた病院生活だったためそうした傾向は大した問題にならなかった。
いやむしろ病院での純粋培養のような生活が彼女のそうした性質を助長させたと言えなくもないのだが、いずれにせよ両親や周囲の大人たちのお陰で彼女は健やかに(少なくとも精神的には)成長できた。
けれど今のミエにはそうした庇護がない。
彼女自身そうした自分に無自覚で、知らず危ない橋を渡ろうとしてしまう。
そもそも今の暮らしに至る経緯そのものが彼女の盛大かつ好意的な勘違いから始まっているのだけれど、ミエはそのことに今もって気づいていない。
けれど…それは果たして彼女にとって本当に不幸なことなのだろうか。
「ミエ」
「ふぁっ!? は、はひなんでしょう旦那様っ!」
あらためてクラスクを強烈に意識してしまったミエは、思わずろれつの廻っていない口調で反応してしまう。
「あーなんダ。うー…」
けれど様子がおかしいのはクラスクも同様だった。
深くものを考えないがゆえにはっきりとした物言いをするオーク族にしては珍しく歯切れが悪い。
何かを言いかけて口ごもり、頭を掻いてそっぽを向く。
およそオークにあるまじき挙動不審ぶりである。
「あのー…旦那様?」
「オウ!? あー、その、なんダ…」
さすがに不振に思ったミエがクラスクに身を寄せ、下から覗き込むようにして尋ねる。
そんな彼女のしぐさにクラスクはさらにしどろもどろになったが、やがてぶんぶんと首を振って本音を語った。
「さ、さっきのダ!」
「さっきの?」
「そうダ! さっきの、穴の中デやってたヤツ!」
「穴…洞窟の中で…?」
「こ、これダ!」
きょとんとするミエに業を煮やしたのか、クラスクは強引に彼女の手を掴み、不格好に強く握りしめた。
「あ…っ!」
ここにきてようやくミエにも得心がいった。
クラスクはミエと手を繋ぎたかったのだ。
夫からの思わぬ積極的な行為にぷしゅー…と頭部から湯気を噴出したミエは、けれどやがておずおずと自分からも握り返す。
けれどクラスクの握り方が先刻と違う。
これでは彼の方が一方的にミエの手を掴んでいるだけだ。
それを無言で指摘するように…ミエが、クラスクの手指に己の指を優しく絡めた。
「そう! それダ!」
「は、はい…」
クラスクは我が意を得たりとミエを見て、ミエは己のしたことが夫の意に沿うたものかと確認のため彼を見上げて…
互いを見つめ合った二人は、だが急に恥ずかしくなって慌てて視線を逸らした。
「ミ、ミエ…」
「は、はい…」
「その…なんダ」
「はい…なんでしょうか…」
二人とも妙に 挙動不審になりながら。
けれど互いの手のぬくもりを感じ合って。
「今度…人間族ノ言葉、教えテくれなイか」
「!! …はい! はい! 喜んで!!」
ぱああ、と顔を輝かせて笑うミエ。
その眩しさに思わず赤くなって顔を逸らすクラスク。
そしてそんな彼の態度に…自らも気恥ずかしくなって頬を染め俯くミエ。
それ以上言葉を交わすことはなく。
互いに無言のまま。
けれど互いの手を握り合ったまま…二人は帰路に就いた。
…その日の夜、クラスクはぎこちないながらもとても優しくて。
ミエの応援もあって、彼は魅力と耐久力を向上させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます