第33話 光届かぬ闇の中で

「よし取って来ル」

「あ旦那様待ってください待ってくださぁ~い!」


無造作に洞窟へと入ってゆくクラスクを慌てて追いかけるミエ。

一歩遅れたのは中に入る前にすべきことがあると思い込んでいたからだ。


洞窟は自然洞のようで中には一切光源がなく、角を二つも曲がると完全な真っ暗闇だった。

ミエは手探りで先に進もうとするがその手は空を泳ぎ、何も掴めない。


「だ、だんなさまぁ~」


ぶんぶんと闇雲に手を振りながら周囲を探るが手応えがない。

声の反響具合からするとどうやら結構広い空間に出たようだ。

足元も妙に凸凹で、よたよたと彷徨いながら不安のあまり情けない鼻声を上げるミエ。


返事もない。

自分のいる場所もわからない。

うろうろしていたら入口の方角すらわからなくなってしまった。


なにより暗い。

何も見えない。

暗いのは、こわい。


彼女がかつて住んでいた世界は夜でも電飾の光に満ちていた。

田舎に行けばそうした街明かりこそ影を潜めるが、かわりに澄んだ空が月と星の光を届けてくれた。

そんな彼女にとって、これほどまでに完全な暗闇は初めてだった。



「だ、旦那さま…だんなさまぁ~~…クラスクさぁ~ん…」

「大丈夫カ」



突然近くに人の気配がして、同時に聞き知った声が聞こえる。

その声を聴いた途端湧き上がる安堵感たるや!



ミエはどっと力が抜けてへなへなとクラスクの方に倒れ込みしがみついた。


「すいませんはぐれてしまって……」

「イヤ俺の方こそ悪かっタ。人間ハ暗イトよく見えナイんダっタナ」

「旦那様はこの暗闇の中で物が見えるんですか?!」

「当然ダ。俺達オーク族ハ闇の中デモ昼間ト同じように見えル」

「ふぇぇぇぇぇぇ…」


オーク族は種族特性として≪暗視≫を有している。

これは月光や星明りの下で物がよく見える≪夜目≫…エルフ族や野生動物の多くが持っている特性だが…よりさらに優れた、特殊視力だ。


そう、洞窟に入る際ミエがクラスクに置いて行かれたのは虚を突かれついてゆくのが遅れたから。

そしてなぜ虚を突かれたかと言えば…彼がランタンや松明といった光源を準備するに違いないという思い込みのせいだったわけだ。


暗闇の中で視界が確保できるなら確かに光源は不要だろう。

言われてみれば確かに彼は自宅でも一切の光源を用意したことがなかったし、使用した形跡もなかった。

村自体も夜になると完全に闇の中に沈んでいた。


これまではてっきり油が希少なので日が暮れたらすぐ就寝してしまう(または夜の営みに耽る)ため明かりを用意する必要がないのだと解釈していたのだけれど。


「じゃあ夜の狩りとかの方が得意なんですか?」

「昼デも夜デも変わらん。ダガ夜の方が人間ドモは弱くなル。俺たちの方ガ強イ」

「あれ…でも旦那様というかオークの皆さんって昼間に襲撃に出かけてません…?」


素朴な疑問が浮かんでくる。

人間だからこれまでオーク達が朝出かけて夕方帰ってくることになんの疑問も抱かなかったけれど、種族特性として夜戦の方が得意なら、なんで夜に襲撃に出ないのだろうか。


「アイツら森の近くでキャンプしなイ。近く通るの昼間ダケ。ダから仕方なイ」

「ああ、やっぱり警戒されてるんですね…」


ただそれはそれとして別の疑問が残る。

なぜオーク族が住んでいる森だとわかっていて、毎度襲撃されるほどこの森の近くを通るのか? という疑問である。

ただそれに関してはクラスクに尋ねてもわからないだろう。

隊商側の理由だからだ。


「それにしても昼でも夜でも見えるだなんてオークって凄いんですねえ」

「そうダ。オークはスゴイ」


闇の中、直に触れている相手の顔すらわからぬミエの言葉に、クラスクは得意げに頷く。


「…マア実ハ昼間ノ一番明ルイ頃ハ少し眩しくテ苦手ダ」

「まあ、そうだったんですか…」


少ない情報からの推察でしかないけれど、オーク族の闇への適性は夜行性というよりもっと深い闇への関わりではなかろうか…などとミエは考える。

例えば彼らのかつての棲息圏が一切光が届かない…そう、地底などであったなら合点が行く。

まあオーク達が自分たちの種族の過去を気にするとは思えないから、尋ねてもわからないだろうけれど。


「ともかくキノコワクキューはこの奥ダ。ミエはドうすル。外デ待っテルカ?」

「いえ、旦那様と一緒に行きたいです」

「そうカ。なら行く……ぞ?」


歩き出そうとしたクラスクの腕を、だがミエが掴んだまま離さない。


「…ミエ?」

「あっいえそのっ! えっと、何も見えないので、その、迷わないように、手、握っても…いいですか?」

「ああ…うン。イイ」

「で、では…」


妙に緊張した面持ちで、ミエはクラスクの右手に己の左手指を絡める。


「ムウ…!?」

「あ、あのどうかしましたか…もしかして私汗掻いちゃってます?」

「イヤ…イイ」


オークだとて手と手を握ることはある。

主に力比べの腕相撲がその用途だが、大規模な戦争などの折、他部族のオークと協力する際に彼らと交わす握手などがそうだ。

ただこれは別に友好を表すのが目的というわけではなく、単に利き手に武器を持っていないことの明示であり、より原始的な意味での握手の用途と言えるだろう。


だがミエと交わしたそれは違っていた。

いわゆる恋人繋ぎと称されるその握り方は、彼女の細い手指がクラスクのごつごつした手指に絡みついて、彼がミエの指に己の指を絡めると、より強く絡み返してくる。


湧き上がる不思議な気持ち。

それはミエとの夜の営みのそれと似ていて、けれどもっと落ち着いて安らいで…それでいて心地よい高揚があった。

クラスクは己に訪れたその未知なる心の所作がよく理解できなかったけれど…もし共通語が理解できたなら、それはきっと『甘い』と呼ばれる感覚に近いものだったに違いない。




寄り添って、無言。

互いに頬を赤らめて。





けれどその手はしっかり握りあったまま…二人は洞窟の奥へと進んだ。





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