第28話 クラスクの変化

「ミエー?」


夕暮れになり戦利品を抱えて帰宅したクラスクが我が家を覗くが先日と同様ミエの姿はない。

けれど今日の彼は特に慌てる風もなく、荷物をどさりと机の上に置いて散歩するような足取りで外に出た。

どうやら昨日のやり取りで彼はすっかりミエのことを信用してしまったようだ。


それに家の囲炉裏で鍋が火にかけられていた。

だが不思議と食べ物の匂いはしない。

つまりまた彼女が何かをしようとしているのだ。

一体何をしでかそうというのだろう。


知りたい。興味がある。


クラスクはオークらしからぬ好奇心を満たすため、家の外をきょろきょろと眺めた。


「ミエ、イルかー」

「あ、旦那様!」


家のすぐ外で彼女とばったり会った。

水を汲む用の桶を2つ運んでいる。

ただし両手で持つのではなく、長い棒の左右にそれぞれ桶を括り付けて運んでいた。

いわゆる手製の天秤棒である。


「お帰りなさいませ!」

「ン? ああ、いま帰っタ」


言葉を返しながら首を傾げるクラスクを見て、ミエがこれまた不思議そうに同じ角度に傾ける。


「どうかなさいました?」

「あー、そのなんダ、お前にそう…『オカエリナサイ』と言われたラ、俺はなんと返したらイイ?」

「えーっと…『ただいま』でしょうか。『ただいま戻りました』ってことです」

「なるほド」


ふんふんと肯いたクラスクは、改めてミエの方に向き直って言い直す。


「『たダいま』ダ、ミエ」

「はい、お帰りなさいませ、旦那様!」


自分に合わせてくれた事が嬉しくて破顔するミエ。

その笑顔を見ていると何故だか自分まで嬉しくなってくるクラスク。

二人はそんな風にしばし互いを見つめあっていた。


「トころデその水はなんダ?」

「あ、えーっと、お風呂に使うんです」

「フロ…?」

「えっと、水を使って体を濡らして綺麗にする…みたいな?」

「ああ、水浴びプルギカ」

「はい!」

「…川ジャダメナノカ?」


クラスクにとっての水浴びは体が酷く汚れたときに川でするもの、という認識だった。

あるいは雨が降ってきたときについでに体を擦って垢を落としたりとか、せいぜいその程度である。


「えっと川の水そのままだと、その…安全とは言いにくくって」

「昨日言っていタ『エイセイ』って奴カ?」

「はい!」


それがどれほど大事なものなのかクラスクには未だよくわかっていなかったけれど、ミエがやりたがっていることなら手伝ってやろう、などと考えてしまう。

これまたオーク族としては珍しい思考である。

ミエの≪応援≫スキルによる知力や判断力の上昇が彼のこうしたオークらしからぬ側面…いわゆる『人間味』を増幅させているのだ。


「俺ニナニカデきルコトあルカ?」

「あ、えっと…じゃあこの桶をあの小屋の中に運んでいただけますか? その後できればいつも水浴びする格好で待っててください!」


ミエが指差したのはこの家の周りにある小屋のひとつだった。

クラスクは言われるがままに桶を受け取るとその小屋に向かう。

入口にはこれまた水が湛えられた桶が置かれていた。


クラスクは水浴びにしても少し水が多すぎじゃないか? と思ったがそのまま小屋に入り、言われるがままに桶を置く。


かつて散らかっていた小屋の中はすっかり綺麗になっていて、かわりにかつて存在しなかったものがあった。


大きな石…いやむしろ小さな岩だろうか。

多少丈が低いがオークが座れる程度の大きさだ。それが2つ、床に置かれている。

もし彼女が運んできたとするなら結構な労力だったろう。


「うン…?」


何か妙な感じがする。

まず小屋の中が妙に薄暗い。

のだが、その理由は気になる。


クラスクはかつてこの小屋を不要物入れ程度にしか使っていなかったけれど、彼が記憶している限り確か格子のついた採光用の窓が取り付けてあったはずなのだ。


確認してみてすぐにわかった。かつて窓のあったところに板がはめ込んである。

それが外の光を遮り、この小屋を暗くしているのだ。

ただその板にはところどころ不格好ながら穴が空いている。それが薄暗いながらも光が差し込んでいる理由だろう。


けれど一体それがなんのため? となると彼にはさっぱり想像がつかなかった。


さらにこの小屋には他にもおかしなところがある。

小屋の中が綺麗に片付けられている…のはまあミエの仕業だとして、その壁面が妙にじめじめしている気がするのだ。


「?? ????」


クラスクが首を捻っているところに、突然背後の扉が勢いよく開く。

そこには全力で走って来たらしく息を切らしたミエがいた。


「旦那様! だんなさま!」

「なんダ?」

「これ! これなんですか!?」


妙に興奮しているミエが手に持っていたものは巻かれた長い布であった。素材は不明だがずいぶんと薄く、通気性もよさそうだ。


「今回ノ俺ノダ。その…ナンダ。ミエが欲しイかもと思っタ」


普通オークが戦利品として最優先で選ぶのはまず女、女がいなければ次に酒でその次が食い物であり、こうした食物でも飲物でもない品の価値は相対的に低い。オークの視点からすればいわゆるである。


だがクラスクはなぜかその布きれを取り分として選んでしまった。

彼自身化粧や衣服などに一切頓着することはないのだが、これまで攫ってきた女の中にはオーク族にはさっぱりわからぬ様々な色の服を着ている者がいた。

だからもしかしたらミエが喜ぶかも…と思って旅商襲撃の戦利品として頂戴したのである。


「本当ですか!? ありがとうございます! すっごく嬉しい…っ!」


ミエはぱああ、と顔を輝かせてその布をぎゅっと抱きしめる。


「ちょうどこんなのが欲しかったところだったんです! それじゃあすぐ準備しますから!」


ぱたぱたと家に駆けてゆく。

やけに騒がしい娘だが不思議と嫌な感じはしないし、苛立ちもしない。


(うン…? 俺ハもっト怒りっぽかっタようナ…?)


ミエが持ち込んだらしき岩に座りながら思索に耽る。

だがその黙考も長くは続かなかった。

背後で音がする。ミエが到着したようだ。


「なにをしテイ…タ…?!」


振り返ったクラスクは絶句した。

そこにはやけに艶めかしい出で立ちのミエが立っていたからだ。


先ほどの薄めの布を適当な長さに裁断してその身に直接巻き付けている。

いわば簡易的な下着姿とでも言うべきものだろうか。

確かに全裸ではない。全裸ではないが…体のラインはくっきりと浮き出ていた。



その艶姿に、クラスクは思わず目を奪われ、息を呑む。




「さ、お風呂に入りましょう!」




シャワーもなければ浴槽もない小屋で…ミエは闊達にそう告げた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る