第18話 最初の試練

「ここが俺の家ダ」

「わあ!」


手を合わせ歓声を上げるミエ。

なにせ彼女の認識では夫婦の愛の巣。夢のマイホームなのだ。

喜ぶのも当然だろう。



「ここが私たちの…い、え…」



だが家の中を見た瞬間、彼女は絶句した。

床に散乱したゴミ、喰いカス、骨。

そこらに放り捨てられたかつての住人のものらしき食器類、食卓用の刃物など。


汚い。不潔。不衛生。そして散らかり放題。

それは凡そオークという種族の粗雑さそのものといっていい部屋の有様だった。

とはいえクラスクはオーク族の中では知力判断力ともに高く、身なりなどにも気を使う方だ。


そう…


だからこの家はオーク族の住居としては相当マシな方なのだ。

なにせのだから。


「適当に座レ…ドうしタ」


椅子に腰かけ一息つこうとしたクラスクは、女…ミエの様子がおかしいことに気づいた。


身体を震わせ、何やら憤怒のような気合いをほとばしらせている。

まるでオーク族が戦場で決戦前に己を鼓舞しているかのようだ。

その醸し出される気迫に思わず身構えてしまうクラスク。



だがふんすと荒い鼻息を吐いた彼女は…むんと腕まくりをすると、すぐさま床のゴミを拾い始めた。



「何をしていル?」

「お任せください! 最初のお仕事ですもの! やり甲斐があります!」

「? うン??」


テキパキと、小気味よく、彼女は部屋を片付けてゆく。

食べカスや枯れ草などのゴミは外にまとめててーい! と捨てて、使わなそうなものは外の倉庫に突っ込み、ミエが今後使いそうな食器類や炊事道具などはキッチンの上に整理して置き、瞬く間に部屋を綺麗にしてのけた。


クラスクはオークとしての粗雑さゆえに多少散らかっていても別段気にはならなかったが、ミエが楽しそうに掃除している姿は特に不愉快なものではなかったため、そのままやりたいようにさせていた。


ただ妙なことをする女だな…? などと首を捻りはしたけれど。


なにせこの村に連れてきた女達は、オークだらけのこの村の様子を見て泣き叫ぶか、絶望に打ちひしがれて地べたに座り込むか、眼の光を失ってその場から石のように動かなくなるか、だいたいそのいずれかになるのが通例だ。


そうでない女も稀にいないではいが、繋がれてもいないのに逃げ出そうともせず、あまつさえ部屋の片づけを始める女など皆無と言っていい。


ただしミエが雑巾を探しに外の小屋に向かった時に限り、クラスクはその後ろを黙ってついてゆく。


「うわちゃ~、これはちょっと洗って汚れ落とさないと…」


字の如くボロ雑巾と呼ぶに相応しい布の切れ端を摘まみながらミエが呟く。


川は家のすぐ裏手にあった。

川というか幅1mもない小川である。

彼女はそのままそこで雑巾を洗おう…として左右に視線を走らせ、そのまま黙って川上に向かって歩を進めた。


他のオーク達が川べりで行っているを目にして、村外れまで出ないと川の水をそのまま使えないと判断したのである。


「あの…旦那様、これくらいの距離なら一人でも大丈夫ですけど…」

「…………」


ミエはそういって遠慮するが、クラスクはむっつりした顔でその後ろを歩く。


なにせ彼は今回の襲撃で己の取り分として彼女を選んだのだ。


確かに今日一番の活躍はクラスクであって、仲間内の分け前を仕切ったのも彼だった。

だからといって奪ったものを全て自分の懐には入れられない。それでは仲間が付いてこない。


ミエは他のオーク達にも妙に人気があったし、食糧と違ってである。

馬車に積まれていた酒や食料の大部分は、だから彼女を手にしたことで我慢しなければならなかった。


そんな彼からしてみれば、まだ鎖で繋いでもいない娘にここで逃げられでもしたら大損である。

家の外に出た彼女から、たとえ少しでも目を離すわけにはいかない。

見張りとしてついてくるのはむしろ当然の話なのだ。


けれどそんな事情を全く知らぬミエからしてみれば、彼の行為は、



(やだ、こんな近くなのにわざわざついてきてくれるなんて、心配してくれてるのかな。優しい…!)



そんな風に映ってしまって勝手に好感度を上げてしまう。


「さて、と…!」


クラスクに言われて放置した小屋一つを除いてゴミを片付け、埃を掃いて、机を拭いて、部屋を磨き上げて…

ミエがすっかり新婚夫婦の新居に相応しい家に仕立てたころには、だいぶ日が暮れかけていた。


「…よく動くな。お前ハ」

「はい! 体が動かせるっていいですねえ!」

「?」


実際この大掃除、ミエはにとっては労苦でもなんでもなかった。

自分の足で歩き、自分の手でゴミを拾い、雑巾がけをする。


いやするというより

それが


こんなに嬉しいことがあるだろうか。

こんなに幸せなことがあるだろうか。


長い間病床にあった彼女にとって、存分に体を動かせることは幸福であり、充足であった。


それもこんな自分に情熱的に求婚してくれた夫との愛の巣の掃除なのだ。

嫌なことなどあろうはずがないのである。


さて綺麗になった屋内を改めて見直してみると、どうやら家の中は元々二部屋で構成されていたようだ。

玄関を入ってすぐが大部屋で、ここが台所で食堂でかつ応接間だった。

大きさは畳にして十畳くらいだろうか。

大概のことは全部この部屋で済ませる造りのようだ。


そして奥の部屋が寝室である。

家主がほったらかしにして一切使っていないらしき家具や調度類と、大きなベッドがある。


大きい。実に大きい。

ダブルベッドなど話にならない。4~5人は雑魚寝できそうなほどの大きさのベッドである。

家族用なのだろうか。



(こ、ここ、ここで、わたし、わたし…!)



今晩起こるであろうことを想像し、耳先まで真っ赤に染まるミエ。

だがそんな彼女の妄想を、高らかに鳴った夫の腹の虫が邪魔をした。


「あ、すいません! ご飯ですよね! すぐにご用意しますから!」


我に返って慌ててぱたぱたと台所に戻る。


「ええと、食材とか…あるんでしょうか…?」

「ああ、ついて来イ」


手斧を持ったクラスクに言われるがままついていった先は家の隣の納屋だった。

先ほどクラスクに言われて放置していた場所である。

なぜ斧を…? といぶかしがるミエの前で、クラスクは納屋の扉を開けた。


納屋の中には獣が吊るされていた。

既に死んでいる。

どうやら彼が狩った獲物らしい。

ずいぶんと狂暴そうな見た目をしているが、どうやら猪の一種のようだ。


クラスクは手斧でざっくりと猪の毛皮に切れ目を入れ、手でべりべりと皮を剥いでゆく。

そして手際よく肉を剝ぎ取って、簡単に大きな肉の塊を数個作り上げた。


ミエは動物の解体を見るのが初めてだったので気づかなかったが、どうやら血抜きは既に済んでおり、内臓も抜き取った後のようだ。


「デきタ」

「おお~」


多少血まみれになりながらも大きな肉塊を手にした夫をミエは拍手で迎える。

残酷だなどと言ってはいられない。妻として一刻も早くこの生活に慣れなければ。


ミエはそんな決意を新たに…している場合だろうか。


「ええと、旦那様。オーク族は…その~、これをどうやって食べるんですか?」

「このままダ」

「え?」

「このまま喰ウ」


ここに来てようやくミエは己が抱いていると夫のとの決定的な違いに気が付いた。

なにせ彼の提示するそれにはどうやら調の過程がない。


目の前の…クラスクの腕からぶら下がっている大きな塊を見つめながらミエは思わず呟いた。



「なまにく」



さらにもう一度呟いた。




「なま

 にく」





…新妻に試練の到来である。

まあこの村に試練以外の何が待ち受けているのかと言う話だが。



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