第16話 プロポーズの返事

(え? え? 会っていきなり告白だなんてそんな大胆な…え? ふえええええ?!)


ミエはすっかり動転して目をぐるぐると回す。


クラスクがミエに対して隷属を強要する意図で用いた『オークの花嫁』という言葉。

その言葉に込められた寓意と悪意は、この世界のオーク族の蛮行の歴史あってこそのものである。


けれどミエはこの世界の記憶を持ち合わせていない。意識も記憶も完全に転生前のままなのだから。

ゆえに彼女の耳にはそれは単なる『オーク族の嫁』という意味でしか伝わらず、ミエ自身もそれを直訳で解釈してしまった。



つまりはまあ、オーク族である自分の妻になれ、と聞こえてしまったわけだ。



(ま、まだお互いのこともよくわかてないっていうかそもそも人間とは違う種族の方なのに私なんかじゃ迷惑かけちゃうかもってああこんなことなら真面目に花嫁修業しておくんだっt…って何言ってるの私! まず受け入れるか受け入れないかを決めないと……ってなに? 受け入れるって、受け入れるって何を?! どこに!?? きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!)



これである。



(そ、そ、それに子供! 子供もたくさん欲しいって…欲しいって…そそそそんなの気が早いっていうか性急すぎるっていうかでもでもそれがこの人たちのならわしなのかもしれないし……わ、私がんばれるかなぁ……ってちっがーうっ!)


「だ、だいたいまだお互いの名前だって知らないのに…あ私はさっき言ったけど…っ!」

「名前? クラスクだ」

「はうっ! こ、これはご丁寧にどうもっ!」

「うン…うン???」


ぶんと頭を下げる礼を述べるその娘の挙動不審にクラスクが首を傾げる。

ミエはすっかり動転してまともな思考ができていない。

とはいえそれを「ちょろい」の一言で片づけてしまうのは少々酷かもしれない。

彼女には彼女なりにそうなってしまうだけの理由があるのだから。



…だって、夢だったのだ。



幼いころから病弱で、家より学校より病院にいる方がずっと長かった。

医者から大人になるまで生きていられないだろうとも言われていた。

だからいわゆる女性の幸せとされる恋愛も、結婚も、出産も、育児も…自分には関係のない、遠い遠い世界の出来事だと諦観していた。


もしかしたら望めば恋愛くらいはできたかもしれない。

けれど価値観がやや古風な彼女にとって、遠からずいなくなる自分がもし誰かと愛し合ったとしても、己を失った後にその相手が悲しむだけなのではないか、苦しむだけなのではないか…などと自らを戒め、壁を作り、異性から距離を取っていた。




だが…諦めていたということは決して憧れていなかったということと同義ではない。




いやむしろ諦めていたからこそ、強く、強く憧れていた。

彼女なりの夢を思い描いていた。


いつか、いつか、医学がすごくすごく発展したなら、この病気の治療法が見つかりはしないだろうか。

いやそれが幸運でも魔法でも奇跡でもいい。もしそれで自分の病気が治ったなら、万が一にでもこの体が健康になれたのなら。



自分だってきっときっと素敵な恋をして、好きな人と結ばれて、その人の子供を産んで育てみせるんだから…っ!



…そんな機会も、

幸運も、

結局死ぬまで訪れなかったけれど。



でも今は違う。

今は新しい世界で、健康な体で、あの時諦めていた、そして同時に強く焦がれていた夢を追うことができる。


そのチャンスが今目の前に転がってきたのである。

ミエが動転するのもだから無理からぬことなのだ。


さらに言えば彼女は同世代の友人との交流も少なく、世間的な美的感覚にやや欠けているところがあった。

美醜は本能ではなくである。

同じ国でも地域によって基準が変わるし、人種や時代の違いによっても変容する。

最近は情報媒体の進化で多くの人が同じ価値観を共有するようになってきたけれど、彼女はそうしたものにも疎く、結果ミエの美的感覚は世間の常識と少々離れたというか、やや浮世離れしたところがあった。


そこにさらに彼女のファンタジー知識の欠如が追い打ちをかける。


やれオークは不細工。

オークは雑魚。

オークは邪悪。


ファンタジー物のゲームをプレイしたり漫画やラノベでも読んだことがあればそんなことは誰だって常識として弁えているだろう。


けれどミエにはそれがない。

彼女のファンタジー知識はむしろ絵本や童話のそれであり、そこにはそうしたいわゆる『一般的な』オークに対する知識が含まれていなかったからだ、


オークに関して彼女が理解しているのはだから彼女自身が見知ったことだけ。

彼らの容貌が人間と異なること。

彼らが人間の荷馬車を襲ったこと。

その荷馬車を護衛した兵士を殺したこと。

それだけだ。


その経験からミエは彼らが残酷なことは学びはしたが、下劣さや醜悪さまでは知らない。

事前の知識でバイアスがかかっていない分、オーク達への負のイメージが少ないのである。


自らに求婚した(と思い込んでいる)男を上目遣いで見つめるミエ。

相手の背丈は190センチ以上あるだろうか。

今の彼女も元に比べてだいぶ背が伸びているはずだけれど、それよりさらに上背がある。


「ン?」

「はうっ!」


ギロリと睨まれ胸がきゅんとする。

がっしりとした体躯、鍛えられた肉体、厚い胸板。

人間族に比べ優れたオーク族の肉体的特性。

それらは元々病弱で健康な体に憧れ続けてきた彼女にとってとても眩しく、また魅力的に映った。


慌てて目を反らす彼女に、自らの恫喝が功を奏していると勘違いしたクラスクがニタリとその牙が如き犬歯を見せつけ獰猛に嘲笑わらう。


「はううっ!」


けれど痘痕あばたえくぼというべきか、それすら今の彼女にとってはイケメンの爽やかな笑顔のように映ってしまうのだ。

相当な重症と言っていいだろう。


(こんなの、こんなの絶対おかしいよ! だって恋愛なんてしとこともないのにいきなり結婚だなんて…でもでもっ、でもっ! この人は、この人は…!)



そうだ。この人は、目の前の緑肌の異種の人は…



そう、彼女…ミエは長い間己というものに大きな価値を見出せないでいた。


だって自分は遠からずいなくなってしまうのだ、この世から消えてしまうのだ。

それなら他の長い人生を控えているみんなの方が、のではないか?


もちろんそんなこと両親にも友人にも言えなかったけれど、もし言ったらきっと全力で否定されただろうけれど、泣きながら怒られただろうけれど、それでもそんな思いが彼女の心の奥底にずっとずっと燻っていた。


生前あの最期の瞬間に子供を助けに車道に突っ込んだのも、ついさっき少女を助けるため危険な戦場に飛び込んだのも、言うなれば勇気と同時にそうした自分自身への評価の低さ、自暴自棄に近い感情が根底にあったからだ。


自分には価値がない。

家族以外の誰の一番にもなれない。


でもそれでいい。それが相応しい。

自分には、きっとそれが分相応なのだ。

ずっとそう思い込んで生きてきた。




だのにさっき、彼に言われたのだ。

と言われたのだ。




両親以外で、誰かと比較された上で自分が選ばれたのは…

彼女にとって、もしかしたらそれが初めてのことかもしれなかった。




それが嬉しくて。

本当に嬉しくて。

ああ、もう。

泣きそうなほどに嬉しくて。




だから彼女は…ふとこんなことを思ってしまったのだ。



いきなり結婚だなんて言われても急すぎるけれど。

心の準備なんてなんにもできていないけれど。

まだ会ったばかりで好きだとか恋だとかよくわからないけれど…




この先、一緒にいたら、この人のことを好きになれるかもしれない。

恋することが、愛することができるかもしれない。




…そんな、を。




そのオーク…クラスクにとっては、言葉が通じるだけ暴力で調教する手間が省ける、すぐに使える便利な子作りの道具、程度のニュアンスで放った言葉だったというのに…



彼女は…ミエは、そこで人生の大きな大きな決断を下してしまったのだ。



「ン…?」


クラスクの前で、彼女…はミエは、ゆっくりと両膝をつき、スカートの裾を直して正座した。


「あ、あのっ! わ、私こっちに来たばっかりで! 右も左もわからなくって! それに貴方達の種族のこともよく知らなくって! それに…え~っとそれに…か、家事とか炊事とかは経験はあるけどまだ全然慣れてなくって色々ご迷惑をおかけするかもしれませんけどっ! えっと、その、一生懸命頑張りますからっ!」




そして…目の前のオークを見上げ、見つめ、耳先からうなじまで真っ赤に染め上げながら…三つ指をついて頭を下げた。




「そ、その…ふ、ふつつかものですが…よろしくお願いしますっ!!」

「オ、オウ…?」


ミエから放たれる凄まじい気迫に気圧されながら、クラスクは思わず頷いてしまう。


よくわからぬが要は地べたにはいつくばって平伏しているのだ。こちらの要望は全部通ったということだろう。

クラスクはそんな風に勝手に解釈し、満足した。



…ああ、なんということだろう。


交通事故で亡くなって、異世界に送られて、まだ半刻も経っていないというのに…






彼女は…ミエは、オークの花嫁となってしまったのだ。





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