第2話 「雪原の訪問者」
人間の女性と出会ったのは、相変わらず激しく吹雪く視界の悪い雪の中で仲間の
帰りを待っている時だった。
『――…遅いな』
いつまで待っても遠吠えすら聞こえない状態に内心でイライラとし始めた頃、仲間
とは明らかに違う大きな影がぼやりと見えてグレンは殺気立つ。
荒れた雪の中に混じって微かに鼻を突く人間と――仲間の血の匂い。
まさかこんな時に獣人狩りが近づいてくるとは想定外で、相手がこちらを認識する
前に一息で仕留めてやろうと身構えたとき。
『待った!兄貴!早まんないでくれ!』
『ボスのそれはシャレにならんぞ!』
矢継ぎ早に飛んでくる仲間の声と慌てて走って来た姿に、先程の苛立ちと帰って来た
安心感とがないまぜになった複雑な心境になりながらグレンは警戒を解かずに問う。
『どういうことだ…?』
威圧的に発せられた彼の言葉に子分たちは姿勢を低くして逆らう意が無いことを示し
一人が重い口を開いた。
『実は…その、新入りが雪に隠れた崖を踏み外して落ちてしまいやして…。見捨てる
ことも出来ないんで仕留めた獲物含め、どうやって戻るか考えてたら…えっと…』
『旅の人間に会い、助けられ戻ってきた。か?』
『へ、へい…っ』
村からついてきた成人したての新入りが不器用でおっちょこちょいなことはグレンも
よくよく知っていた。
だからといって、甘やかし仲間と違うことをさせ贔屓することはその者を集団の中で
孤立させる原因にもなるし争いの元となりやすい。
ただでさえ厳しい環境下に晒されているのだから群れの士気は決して落とせない。
なれば心を鬼にして、不器用だろうと足手まといだろうと関わらず仲間と共に外へ
出して本人の成長を見守る他無いのだ。
ふう。と大きくため息を吐いた後に遅れて増してきた人間の匂いに視線をやれば、
ローブを深く被って雪を凌ぎながら新入りを支えて近づく女性の姿。
人間は他の動物とは違って表面だけでは本当にわからない未知の生き物だ。
口で『仲間だ』『味方だ』と平気な顔をしながら嘘を吐いて、自分が楽をする為
だけに他者を簡単に傷つけ、快感を得る為だけに無駄に殺す残酷な存在。
同じ自然界を生きる者とは到底思えないモノだとグレンは認識している。
それでも大事な仲間を助けてくれたのは事実で、受けた恩を必ず返すのが自分たち
オオカミ族の気高く誇り高い精神である。
相手が理解し難い人間であったとしても――例外は無い。
「わあ…っ更に大きいオオカミだ…」
グレンの姿を認めた女性は何度か目を瞬いた後に驚きを口にしたが怖がる様子は
一切見せなかった。
獣を見慣れているのか肝が据わっているのか。
『女。我が同胞を助けたことには感謝しよう。だが…少しでも変な動きをすれば
命の保証はしないからな。』
警告の意味を含めて発した言葉はオオカミの姿では当然通じないが、こちらが警戒
して唸っていることくらいはわかるだろう。
「えっと…オオカミだけ…?飼い主さんとかは…」
怪我をした新入りは仲間に回収させ、グレンはテントに入ってきた女性の行動を
適度な距離を保って観察する。
雪まみれだったローブを払う隙間から見えた華奢な体つきは、今まで見た獣人狩りの
それに該当しないどころか旅人としても危ういほどに細い。
武器らしい武器も全く身につけておらず、荷物らしい小さな革袋が一つあるだけ。
この女性は――死にたいのだろうか。
あまりの軽装と用意の無さに呆れを通り越して哀れみを抱きそうになりながら、
もしやこれも何かの企みの一つかもしれないとすぐに思い直す。
人間は時に同族を犠牲にして他者を出し抜くことがある。
女性が仮に良い人間だったとして、第三者にうまく騙され仕向けられたとしたら
迂闊に近寄って手を出すべきではない。
「……くしゅんっ」
グレンがあらゆる可能性を考えている合間、その思考を断ち切るようにくしゃみを
した女性に意識が持っていかれる。
利用されていようがいまいが彼女は仲間の恩人。
こちらには助ける義理があるし、万が一にもヒト化して追求しようにも体調を崩され
たり勝手に死なれては元も子も無い。
それに、襲われたとしても一瞬で相手の息の根を止められる自信もある。
『…仕方ないな。』
グレンは女性の動きから視線を外さずにのそのそと近寄り、彼女の体の周りを包んで
くるむように横に伏せた。
オオカミ族の毛皮は保温性が高く一流の毛布と肩を並べるくらいに手触りが良い上に
彼ら自身も基礎体温が人間よりも高い。
ふるふると寒さに震えていた女性も、突然やってきた温もりに少しだけ驚いて息を
呑むのがわかったが、震えと同時にその緊張も徐々に落ち着いた。
「…ありがとう。優しいんだね。」
そう言って微笑む女性が、グレンには何故か綺麗に見えた。
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