第3話 「一緒に待っていようか」


明くる日の朝。外の吹雪は嘘のように晴れ渡っていた。


どこまでも広がる青い空と、久しぶりに顔を出した日差しが眩しい。


陽の光を反射してキラキラと光る雪原を年甲斐もなく無邪気に走り回る子分たちを

尻目に、グレンはまだすやすやと安らかな寝息を立てて眠る女性を気にかける。


晴れたとはいっても気温があまり上がるわけではないので、毛皮を持たない人間に

してみれば寒いことに変わりがない。


ああして眠っている間に凍死しても何ら不思議なことではないのだ。


数少ない快晴の日にはグレン含め群れ総出で獲物を狩りに行って、本当は長期に渡る

猛吹雪に備えておきたいのだが今回は無理だろう。


まだ遊び回っている子分を怒声交じりに呼び寄せ指示を出す。



『いいかお前たち。今日は貴重な晴の日だからな…出来るだけ多く仕留めて来い。

俺も向かいたいところではあるが、毛皮も持たない恩人を凍死させるわけにはいかん

からな。』


『ああー…確かに。』


『ボスの分もしっかり集めてくるから大丈夫だ!任せてくれ!』


『悪いな、頼んだぞ。』



グレンは子分たちが狩りに出たのを見送ってからテント内に戻り、小さく丸まって

いる女性の傍に寄る。


彼女は昨日の吹雪の中を本当に一人で歩いてきたのだろうか。


そうだとして一体何の為に、何を目指して旅をしているのだろうか。


人間に触れ合う機会など指折り数え切れるくらいしか無いグレンにとって、間近で

見て感じられる女性は好奇の対象だった。


彼の知っている人間は自己中心的で残酷なもの。


なのに、自分に笑いかけた昨日の女性はそれとはかけ離れ過ぎたもので。



『わからないな…。この女は、違うのか…?』



答えの出ない疑問を延々と考えながら経つこと小一時間。


もそりと身じろぎした女性に気づいてグレンが伏せていた頭を上げると、重なった

視線の先にふわりと柔らかく笑む彼女の顔があってどきりとした。



「おはよう。ずっと…側に居てくれたの?」



昨日と全く変わらない落ち着いた優しい声色がグレンの鼓膜を震わせてくすぐったい

感覚を呼び起こす。


むずむずとした説明のつかないものに初めて戸惑いを覚えてうまく反応できていない

でいると、今度はよく知っているような懐かしい感触にはっとする。


グレンは今まさに自分が女性に撫でられていることを理解して飛び退く。


言葉が通じない代わりに唸って威嚇をすれば、女性は困ったように笑った。



「あ……ごめんね。撫でられるのは、好きじゃなかったのかな。」


『気安く触れられたら誰であろうと良い気はしないだろう!わかっているのか?

俺はいつだってお前の息の根を止められるんだからな!』


「ごめんなさい。もうしないから…許して?」



両手を合わせて謝罪する女性にグレンはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。



「ありがとう。あなたの飼い主さん、まだ戻って来ないの?どこへ行ったのか知って

るの?」


『………。』


「もしかして…捨てられて、とかじゃ…ないよね…?」


『……。』


「そうだっ!あなたたちの飼い主さんが戻ってくるまで、私が一緒にいてあげる。」


『……は?』


「寒いのは苦手だけど、頑張るから。飼い主さんだって誰かがあなたたちを見て

くれているってわかった時に安心できると思うの。」


『いや、待て。何故そうなる。』


「オオカミのお世話ってどうすればいいんだろう。襲われたことはあるけど…。」


『女!俺の話を聞け!』


「うーん…」



グレンの訴えも虚しく、恩人である女性を吹雪から守って終わりのはずが群れの中に

居候するという事態に発展してしまった。


女性が眠ってからグレンは子分たちと共に夜ごと会議を開き、どうしたものかと

相談に明け暮れた。


助けられた新入りはすっかり回復したし、女性の方も至って健康体のままこの生活に

慣れて寒さを凌ぐ術も雪原を歩く術も覚えた。


これ以上の義理を感じる必要は無いのではという結論に辿り着き最後の判断はやはり

リーダーであるグレンに託される。


今も飼い主の戻りを一緒に待つと勘違いしている女性に手っ取り早く理解してもらい

且つ効率的に群れから追い出せる方法は。


自分がヒト化して飼い主だと告げればいいのかもしれない。


だが、誇り高いオオカミ族は身を守る為に隠すことはしても恩人に嘘を吐くことは

他の何よりも嫌い、絶対にしない。


だから。


グレンは吹雪の落ち着いた次の晴の日に女性を外へ連れ出して堂々とヒト化した。



「女。俺の仲間を助けたことには礼を言う。だが、これ以上の居候は無用だ。俺たち

に飼い主など存在しないのだからな。」



はっきりと告げれば、夢を見ていたかのような表情だった女性はまたすぐにいつもの

笑顔を浮かべて安心したように微笑む。



「そう…だったんだ。良かった。それならもう、大丈夫だね。」



グレンの予想に反してあっさりと受け入れられた要求に心のどこかで引っ掛かりを

感じながら、引き留める理由は無いのだと自身を納得させる。


小さな荷物を手に去って行く女性の背中を呆然と見送り、これで良かったはずなのに

グレンの中では後悔しているもう一人の自分がいた。

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