第85話 世界にひとつのアイシングクッキー(後編)
小鳥のさえずる声と、とびっきり目に鮮やかな新緑の色。花壇に咲く綺麗なお花たち。
点々とあるベンチでは思い思いにくつろぐ人の姿があるし、芝生にはレジャーシートを敷いた家族連れもいる。犬の散歩やウォーキングをしている人もいた。
明るくて素敵な公園だ。
「向こうの端まで行くと美術館がある」
ゆっくり歩きながら、木森さん。
そう指さす腕を見ると、結構たくましい。
男の人なんだから当たり前と言われればそうなんだけど、お菓子の職人さんだから無骨なくらいのこの手でとても繊細な作業もこなしているわけで。ちょっと不思議な感じがした。
そういえば背の高い彼は歩幅ももっと広いだろうに、ずっと歩調は合っている。合わせてくれていたのだろうか。何も言わないけど優しさがなんだか嬉しい。
わたしたちは山里さんのカフェの話や、春の新作のお菓子の話など他愛のない雑談をしながらのんびり公園を巡った。
噴水の前を通り、池を眺め、ちょっとした温室みたいになっている場所でお花を見て。なかなか充実したお散歩だ。
一通りまわり終えたらさすがにちょっと疲れた。ちょうど手近なベンチが目に付いたので、ひと休みすることにする。
「あのさ……これ」
ベンチにふたり横並びに座ったところで、木森さんはずっと持っていた紙袋をわたしに手渡してくれた。
開けてもいいかことわって中を見てみると、入っていたのはクッキーだった。
「山里と被っちまって悪いんだけど」
「いえいえ! そんなの気にしないですよ、全然」
あ、もしかして……。なるほど、それでさっき微妙そうな顔をしていたのだろう。
かぶってるとか、そんなこと気にしなくて良かったのに。
だって……。
「すみません木森さん。わたしの木森さんへの手土産もクッキーなんです」
「あんたも?」
「デパ地下のお店のなんですけど、どうぞ。めちゃくちゃかぶっちゃいましたね」
「気が合うって言い換えればカッコつくか」
「それで行きましょう!」
プレゼント交換をしたわたしたちは、顔を見合わせてちょっとの間笑ったのだった。
紙袋から取り出したクッキーをよく見てみれば、表面をカラフルにデコレーションされた……いわゆるアイシングクッキーと呼ばれる類のものだった。
優しいパステルカラーのくまちゃんが、花束を持っているイラストになっていて、ものすごく可愛らしい。それの他に、別の袋に小さなハートとお花のアイシングクッキーも入っている。華やかさがいかにも春らしくてほっこりする。
「木森さんが描いたんですよね、くまちゃん。すごく上手ですね、可愛い!」
「絵心があまりなくて昔はとんでもなく苦手だったんだが、最近はなんとか描けるようになってきたんだ」
木森さんは照れくさそうに頭をかいた。
見た瞬間に思わず笑顔になってしまうような、とても可愛くて素敵なプレゼントではないか。
こんなに素敵なもの、かぶりを気にする必要なんてどこにもないと思う。
「手嶌に言わせれば、『心の窓の一枚絵』アイシングクッキー……だそうだ」
「世界にひとつだけの素敵な絵ですね。木森さんの心の窓から見える景色、とっても可愛くて素敵です」
「どうしてもあんたに渡したくてな」
木森さんは恥ずかしそうにうつむいてボソボソ言ったあとに、小さくありがとうと言った。
わたしの方こそ、ありがとうですよ。
ベンチで隣に座っていると、今までになく近い位置から木森さんを見ていることになる。そしてそれは、色んなことを気づかせてくれる。
鼻筋の通った顔にキリッとした眉毛がカッコ良いこと。
割と強面な方だと思うのに、時々見せる笑顔は意外と可愛いこと。
最近話す時にちゃんと目を合わせてくれるようになったこと。
お菓子のことを話す時は、とても楽しそうだということ。
見つめていたらなんだか私も気恥ずかしくなってきた。手持ち無沙汰だった手は、ちょうど触れたクッキーの袋を持ち上げた。
「クッキー、早速頂いちゃおうかな」
「おう」
小さいハートのクッキーを一枚つまむ。
口に入れて噛み砕くと、アイシングの部分のパリッとした食感としっかりした砂糖の甘さが感じられる。
そしてクッキー生地はとても香りの良いバターの風味。ほろっとしているけれど、柔らかすぎなくて歯ごたえもある。
ふたつ組み合わさって、食べる楽しさが倍増する。ちょっとやみつきになってしまいそうなくらいだ。
木森さんに言わせると、アイシングとクッキー生地のバランスが重要らしい。
アイシングクッキーを食べたことがあるけど、この木森さんのクッキーは今までで一番美味しいと思う。お世辞抜きに。
「わたし、やっぱり木森さんのお菓子好きだなあ」
気づいた時には思わずそんな言葉が口からこぼれていた。
木森さんは突然だったからか面食らったように目を丸くしていたが、すぐにふっと笑う。
「あんたの顔から伝わってくるよ。ありがたいことに」
「そんなに顔に出ますかねえ」
丸わかりだぞ、と木森さんはなおも笑っていた。
気持ちの良い風が吹き、午後の木漏れ日がこぼれる。
きらきら輝く光を見ていたら、ふと伝えておくべき大事なことがあることを思い出した。
食べかけたハートのクッキーを見つめてから、そのことを口に出す。
「お菓子だけじゃなく、わたし、木森さんのことも好きですよ」
「……えっ」
「でも知らない部分がたくさんあります。だからちょっとずつ一緒に歩いてみるところから始めませんか。今日のお散歩みたいに。それで木森さんのこともわたしのことも、お互いにもっと知って行けたら良いなって思うんです。……どうでしょう?」
木森さんはわたしに歩調を合わせてくれる。同じものを見て一緒に楽しい時間を過ごすことだってできる人だ。
それなら……。
今度こそ本当にびっくりした顔をして聞いていた木森さん。
しばらくしてから表情を引きしめて、わたしに向き直る。そのまま言葉を選んでいるようだったが、やがて真摯な顔で言う。
「散歩みたいに、か」
「ゆっくり歩いてくれる優しい人ですからね、木森さんは」
「あんたがそんな風に考えてくれるやつだっていうところをさ、俺は……好きになったんだ」
「あっ! ええと! ありがとうございます」
面と向かってそう言ってもらえると、さすがに顔に血がのぼってくるのを感じる。
「……全部あんたの後手に回っちまう情けない男だけど。良かったらこれから時々でも、一緒に歩いてくれると嬉しい」
「情けないことなんかないですよ。今回誘ってくれたのだって、木森さんからじゃないですか」
「リードするもんだろ、普通……俺の方が年上だし」
「結果オーライですよ」
ちゃんと話がまとまるなら、少しくらいの回り道だって悪くないものだと、わたしは思う。
「今日は誘ってくれて、本当にありがとうございます。それでですね……」
改めて、わたしは話を切り出す。
「今度はわたしが木森さんを誘います。次回はここの美術館に来ませんか? ふたりで」
「ああ。……それじゃあその次には俺もまた誘ってもいいか?」
「良いですとも。ちょっと気が早いですが、約束です」
そうして、わたしと木森さんの間には新しい約束ができた。
その約束はこの後も少しずつ増えて、叶えてを繰り返されていくのかもしれない。この先どうなるのか未来をすっかり予測してしまうことはできないけれど、律儀で真面目な木森さんとの約束は、きっと続いていくような気がしていた。
帰宅したわたしは、くまちゃんと花束のアイシングクッキーを部屋の目立つところに飾った。
くまは愛嬌のある顔で笑っている。
あまり華やかとは言えないわたしの部屋が、少し明るくなった気がした。
今日のできごとを思い出しながらクッキーの残りをつまむ。夜のティータイムは、ちょっと照れくさくて心地の良いものだった。
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