第51話 臨時休業、いちご大福

 臨時休業。


 珍しく、本当の本当に臨時の休業。


 まれぼし菓子店の前に立って、わたしは首を傾げていた。

 不定休のこのお店は、実は事前告知無しにおやすみになることは本当に珍しい。お客さんの都合もあるわけだから、当たり前といえば当たり前でもあるが。わたしもわたしで、以前のようにその告知を見逃さなくなった。


 しかし、本当の急な休みとなると……。

 製菓担当の木森さんか手嶌さんが病気にでもなったのだろうか。それとも三人の中の誰かに不幸があったのだろうかとか。

 様々な意味で心配になってしまう。


 なんとはなしに、閉められたカーテンの中を窓からのぞき込んでみる。

 中はしんと静まり返って、いつもの賑わいからは遠く離れている。誰もいないのだから当たり前だけど……ちょっと寂しい気持ちにもなる。

 休業クローズドと書かれた看板が、風に吹かれてちょっと揺れた。


 ただ立ち去るのも名残惜しくて、なんとなく辺りを少しウロウロしていた時……。

 見覚えのある後ろ姿が、勝手口から出てくるのをたまたま見つけた。


 手嶌さんだ。


 今日はとても暖かい日とはいえ、それにしても手嶌さんは薄着だった。ハイネックの薄手の白いニット一枚にスラックスという軽やかな格好で、出かけていくようだ。近場へのお出かけなんだろうか? コンビニとかかな。

 手に小さな袋を持っている。


 なんとなく、なんとなく声がかけにくくて、わたしはそのまま彼の少し後ろに続いて歩いていった。

 最寄りのコンビニを通り過ぎて、住宅街を奥へ。前にうぐいす餅をもらった時の公園も通り過ぎていく。


 一体どこへ向かっているんだろう……?

 この感覚は何処か迷子に似ていた。いつか、よもぎを探しに行った時みたいな……。

 知っている場所なのに、知らない場所を歩いているような感覚だ。

 他には人一人、猫一匹も通りかからない。静かで、まるで別世界のような……。


 いつの間にか、本当に見知らぬ通りに出ていたことに気づいた。

 家々はまばらだけどかわりに大きい家がおおくて、所々に野原が散見される。

 通りのずっと奥の方に大きな森が見えている。

 そして、誰もいない。前を歩いていた手嶌さんの姿が気づけばなくなっていて、わたしはぽつんと知らない場所に取り残されていた……。


 ここはどこだろう?

 わたしはどこへ行けばいいんだろう。

 空にはぽっかりと白い雲が浮いているばかり。

 思わず足を止めた。

 まるで誰もいない昔の街に迷い込んでしまったみたいだ。


 その時、ふと後ろから声をかけられた。

「お嬢ちゃん」

 落ち着いた男の人の声だ。

 振り返ると、背が高くて目鼻立ちの整った、黒のニットを着た男の人が一人たっていた。

 人懐こく笑みを浮かべているから、鋭い感じの美形なのに、そこまで尖った印象はない。


「こんなところまで来たのか? 一人で」

 次に口を開けた途端に、そんな疑問符を投げられた。確かにずいぶん歩いた気もするし、ひなびた所に出ちゃったなあという感じもする。

「あっ、えーと、そうなんです」

 ふうん、と言って、男の人が一歩前に出る。


 そういえばこの人も不思議な雰囲気をまとった人だ。手嶌さんみたいに、浮世離れしていて……。でも彼とは違って、なんだか少し怖いような……。そんな気がして、わたしは一歩後ろに下がる。

「あの、知り合いがこっちに来たので探していて……」

「へえ……連れて行ってやろうか」

 笑みの形を作る目があんまり笑ってないように見えるのは気のせいだろうか。

 やっぱりなんだか怖い気がする。


 大丈夫です、と答えて、また後ずさる。

 逆に男の人は遠慮なく距離を詰めてくる。

「要するに、迷子なんだろう。あんた。しかも、こんなところで」

 そうですけど……。

 とはいえ、何となくこの人には威圧感というか、そういうものを覚えるのだ。遠慮なさからだけでなく、カンだけど、なんだか怖い。

 こういう時は、それを信じていい気がしているわたしだ。


 もう一歩下がった時、何かにぶつかった。

 振り向くと、手嶌さんがそこに立っていた。

「……私の連れですが、何か?」

「お前かよ……」

 そのやり取りだけで何となく二人の関係性が察せられるような雰囲気が漂っていた。

 手嶌さんは半眼になっていて明らかにピリピリしているし、男の人は苦虫を千匹はかみ潰したかのような声だった。


「至急というので、仕方なく急いで届けに来たのに、何処であぶらを売っているのかと思ったら、こんなところでフラフラして。店休日にしなければならなかったこちらの迷惑を考えてください」

 手嶌さんな冷ややかな声で一息に言った。

「お前がただの菓子屋に収まってるのが、俺としてはおかしくて仕方ないんだが、ま、頼んどいてすっぽかしたのは悪かったかな……」

「悪いですとも。あと、あなたみたいなモノにそうほいほいと出歩かれては困ります。だから私がわざわざ届けに来ましたのに」

「はいはい……お前は全く、可愛げなくうるさいね」

「次はありませんよ」

 その言葉が切りつけるように物騒だった響きだったものだから、わたしはひえ、と肩をすくめた。

「とにかく、やしろへの納品はたぬきに頼みましたし、あなたの分はこちらに」

「はは、律儀なことに。そこだけは可愛げがあるな。ありがとさんよ」

「うちの菓子を好むお客様であるという点では、わたしもあなたに芥子けし粒くらいの可愛げを感じますね」

辛辣しんらつだこと。はいはい、ありがとよ」


 とてつもなく温度差のある会話を繰り広げながら、手嶌さんは男の人に紙袋を手渡す。

 その場で開けて、彼が取りだしたのは、いちご大福だった。

 すぐさま、見事なくらい大きく口を開けて、もぐっと一口でいってしまう。

 しばらくの咀嚼そしゃくの後、人懐っこい笑顔で言った。

「うん、やっぱりうまい」

「ありがとうございます」

 お礼を言う時だけは、手嶌さんの声に温度が戻って、微かに笑顔になっていた。


「良い腕だってのは褒めとこう。お前のとこの……まれぼしのいちご大福がいっとう美味い」

 嬉しげに紙袋を持って、男の人はわたしたちとすれ違いに歩いていく。街の奥の方……大きな森の方へ。

「それじゃま、今日のところは帰りますかあ」

「……彼女に悪さしてないでしょうね?」

「迷子に声掛けただけだよぉ。でもそうだな、面白いお嬢ちゃんだな」

 と言って笑うと、手嶌さんが毛の逆だった猫みたいな雰囲気になる。

 冗談だよと、言って男の人は去っていったが、ここまで手嶌さんが感情的になる相手は初めて見たかもしれない。


「ご無事でしたか」

「あ、はい、えーっと……」

「色々聞きたいこともあるかもしれませんが、ひとまず戻ってお茶にしましょうか」

 しばらくはヒリヒリするような空気をまとっていた手嶌さんだが、後は普段通りになっていた。

「それにしてもよくこんな所まで来られましたね」

「手嶌さんを見かけたのでつい、ついてきちゃったんですけど……」

「ええ。あなたもなかなか不思議な人のようですね」

 わたしはその言葉を真っ先に手嶌さんに投げたい気持ちになっていた。


「手を」

「?」

「貸してください」

 右手を差し出すと、そっと手を握られる。彼の手はとても冷たい。

 そのまま手嶌さんに手を引かれて……これでは本当に迷子のようだ……わたしは見覚えのない道筋をたどる。

 時間はいつの間にか夜に差し掛かり、わたしたちはまれぼし菓子店に戻ってきていた。


「はい、どうぞ」

 目の前には、煎茶。そしていちご大福。

 閉店中の店に通してくれた手嶌さんは、まずは休憩とばかりにお茶を用意してくれた。

 彼自身も、自分のために煎茶を用意している。

 ありがたかった。妙な緊張を強いられたからか、喉はカラカラだったし、さっき見たときから、いちご大福の口になっていたのだ。

「今日は急遽きゅうきょいちご大福を大量に納品しなくならなければなりまして。それで店休日にさせて頂いたんです。これはその最後の一個なんですけど、よろしければ」

「ありがたくいただきます!」


 わたしはまずお茶を一口。疲れた体に染み渡る。それから、いちご大福を口に運ぶ。

 あの男の人みたいに一口ではさすがに行けないけど、遠慮せずに大きな口で、いちごの果肉と大福部分を一緒に頂く。

 まずいちごの酸味と甘さ。それにあんこの甘さが絡まるようにやってくる。大福部分、もちのふわりとした柔らかさがとてもたまらない。


 甘い大福とフルーツの組み合わせ、誰が始めに考えたんだろうか。この種類の違う甘さ二つと酸味との絶妙なバランスに、もちの食感、少し早く春を感じさせてくれる。

 煎茶であんこの残りの風味を流し、もう一口、もう一口といけば、大福はあっという間にお腹の中におさまってしまうのだ。

「お気に召したようで何よりです」

 と笑顔で言い、手嶌さんも煎茶をすすっている。


 わたしが一段落ついたところで、手嶌さんがふと口を開く。

「さっきの男なんですが、なかなかの曲者でして。本当に大丈夫でした? 何もされていません?」

「はい。ちょうど声かけられたばかりの時だったので」

 彼がこんなに警戒するあの人はいったい何者なんだろう。この店の不思議なお客さんにも、自然体だというのに。

「だったら良かったんですが……」


 少し考えた後で、彼は続ける。

「良かったら、私を見かけたら声をかけてください。次は迷子にはさせませんので」

「あっ、はい」

 迷子と言われるとひどく恥ずかしい。

「あの道はちょっと風変わりな道なので、恥ずかしがることはないですよ」

「はい……」

 そう言われてもなあ。なんですか風変わりな道って。


 なんとも気恥ずかしくて、窓の外を見ると、この店の目印とも言えるランタンが点っているのが見える。

 ああ、なんか「帰ってきた」という気がしたんだ。

 このランタンを見て。

 わたしは本当に、どこか不思議な場所へと迷い込んでしまったのかもしれない。

 暖かな灯を見つつ、安堵の息をつく。

 冷めかけのお茶は甘くて、手嶌さんの作る空気は柔らかくて、わたしはようやく落ち着いた気がしていた。

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