第22話 まれぼしモーニング

 珍しく週末の早朝に目が覚めた。いつもだと大体二度寝してしまうのに、今日はスッキリだ。

 夏の空気は重く、湿ってよどんでいることが多いけれど、今朝は時間が早いからか澄んで清々しい。

 だからだろうか。何となく散歩に出たいという気持ちになったのは。

 どちらかと言うと仕事以外では夜型人間のわたしだが、珍しく朝から活動を開始することにした。


 その時にふと思い出した。

 週末だけ、まれぼし菓子店はモーニングをやっているのだということ。

 あの場所でなら気持ちの良い朝を過ごせることは間違いない。

 それで朝の空気の中、まれぼし菓子店へと足を向けることにしたのだ。


 梅雨明けもしたから、青空にまだそれほど高くない太陽が浮かんでいる。白い雲もぽつりぽつり。夏の風景だなあと思う。

 そうしてとたとたとスニーカーで歩いていると、いつの間にかまれぼし菓子店の前まで着いていた。

 ちょうど手嶌さんがオープンの看板を出しに外にやってきていた。


「あっ、おはようございます! 早すぎましたか?」

「おはようございます。ちょうど開店のタイミングでしたよ」

 気持ちの良い朝、気持ちのいい笑顔の手嶌さん。

 この人はちょっと変わった時間帯にいることも多い気がする。

 今日の早番は一人とのことで、コーヒーまで全部手嶌さんが用意してくれるらしい。


 今日は窓際の席に座る。朝の柔らかな日差しがレースのカーテン越しに差し込んでくる。

 この朝の特別感、なんて表したらいいんだろう!とにかく今日は素敵な一日になりそう……そんな予感に満ちているのだ。


「こんなに早いのは珍しいですね」

 グラスにお水を用意してくれながら、手嶌さんが言う。その通りだと思うので、頷きながら、

「素敵な朝だったのでついつい、大好きな場所に足が向きました」

「光栄ですね」

 最近のわたしは、より素直に自分の心の内を表現できるようになった気がする……というのも、そもそも顔に出てしまうなら、口にも出してしまえと思うところもあるからかもしれない。

「では……モーニングですか?」

「はい。モーニングで!」


 まれぼし菓子店のモーニングはトーストにゆで卵にサラダ。

 そしてコーヒー、ちょこんとソーサーでくまちゃんのマカロンが笑っている。

 マカロン以外は、割と変哲のないオーソドックスで軽めなモーニングセットだ。


 休日の朝のゆったりとした時間の中で、ひとつひとつ丁寧に、でも効率よく手嶌さんが準備をする。

 彼がコーヒーをペーパードリップしている姿は初めて見た。星原さんとは違って、ゆったりとリラックスしたような様子なのが印象的だった。ドリップが終わる頃にちょうど、トースターのパンが焼き上がる。すでにサラダとゆで卵も盛り付けられている。

 軽い散歩をして、おなかも良い感じに減っている。ということで、早速いただく。


 さっくりと焼きあがったトーストにバターを塗って口に運ぶ。香りの良いバターの味が口に広がり、パンは外はさくっ、中はもちっ。ちょうど良い焼き加減! そしてこのバターは多分お高いヤツだ、美味しい……。バターが染み込んで少し柔らかくなったパンの生地がまたたまらないのだ。


 サラダはトマトとレタスときゅうりにベビーコーン。特製のドレッシングがかかっている。まれぼし菓子店で甘くないものを食べるのは初めてかもしれない。この酸味抑え目のドレッシングの味はいかにも柔らかなこの店らしい味で、わたしの口にも合う。

 野菜も言うまでもなく新鮮である。


 あ、ゆで卵、わたしの好きな茹で加減。おいしい。おいしいな……。こんな小さなことでこんなにも嬉しい。早起きは三文の徳というけれど、それ以上の価値のある時間をもらっている気がする。


 そしてコーヒーでしめる。今もバックヤードで働いているであろう木森さんのマカロン。徹夜に付き合ったのもなんだかとても昔のことのようだ。一粒を大切に食べる。噛み締めるとジューシーで、甘く、コーヒーによく合う。


「はあ……。ご馳走様でした!」

「お口にあったら、何よりです」

 手嶌さんがお代わりのコーヒーを持ってきてくれながら言った。

「モーニングは僕がこの店に来るより先にあの二人が作ったメニューなんですよ」

 と、手嶌さんが言うのを聞いて、ふとこの店の由来を何も知らないことを思い出す。

「手嶌さんって後からこのお店に来たんですか。てっきり三人で立ち上げたんだとばかり……」

「後からなんです。だからこの店は“まれぼし”菓子店なんですよ」

「というと…… 」

「木森“希”と“星”原音子でまれ、ぼし、菓子店なんです」

「へえー!」

 今の今まで知らなかった。

 感心しきりの私を、手嶌さんはにこにこ見守っている。そこにどうして手嶌さんがやってきたのだろうと言うのが気になったけど、彼はただにこにこしているだけだった。


「手嶌さんって……」

「はい?」

 見つめると、彼はチャーミングな表情でこちらを見つめ返してくる。

「なんだか不思議な人ですね」

「あはは、そうですかね」

 彼は笑って小首を傾げた。

 いずれ彼のことも色々わかる時が来るのだろうか?この店のことが、ちょっとわかった今日のように……。


 コーヒーのおかわりに口をつけながら、わたしはぼんやりそんなことを考えていた。朝の陽射しに目を細めながら。

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