第5話 迷子と草団子
当たり前なんだけど、カロリーオーバーが続いているとどうなるかは明らかである。
極めつけは部長の、
「あれ、太った?」
の一言だった。しかも声がでかい。職場のフロア中に響き渡ったと思う。セクハラだぞそれは。部長、本当にデリカシーがないし人間性も私と合わないと思う。
そんなに怒った顔しなくてもというならまずそんなこと言うのをやめなさい。
ある昼休みのことだった。
最近太った理由の一つは間違いなくこの手の小さなストレスの積み重ねだけど、もう一つはわたしのオアシスに関わってくるからこまってしまう。
そう――まれぼし菓子店だ。
「あらら、それは酷いわねえ」
「星原さんもそう思ってくれます?そうなんですよ……はぁ」
そんなわけで今日の注文は今のところ紅茶だけ。もちろん紅茶は今日も香り高く、心を安らかにしてくれるようだ。でもここに来てお菓子を頼まないのも悲しすぎる。ため息ばかりついていたら、星原さんにも常連さんにも慰められた。
「若いんだから、すぐ痩せるわよ。目ひんむかせてやりな」
と笑うのは常連の黒須さん。彼女は以前、私に黒飴をくれた気の良いおばさんだ。テラス席から窓越しにこちらに話しかけてくる。外では彼女の愛猫で三毛猫のおはぎがすまし顔で毛繕いしている。
風のいい晴れの日だ。テラスも気持ち良いだろう。黒須さんもおはぎも機嫌が良さそうだ。
と、その時。テラスの方に手嶌さんが姿を見せた。大きなカゴを持って、服も野良着というか……どこか山にでも登るんだろうかという風情だ。
「あ、手嶌さん。こんにちは」
「こんにちは」
笑顔で挨拶を返してくれると、彼はよいしょとカゴを下ろした。中身はまだ空っぽだ。これからどこかにいくのだろうか?
「これからヨモギをとりにいくんですよ」
「あたしとおはぎはその案内ってわけさ」
なるほど。ヨモギというのは、草餅なんかに使う香りの良い草だ。
「嬢ちゃんも今日の格好なら行けるね。長袖に長ズボンだし。どうだい?」
「よもぎさがしエクササイズ……」
「何か言いました?」
「いえ!ぜひ行ってみたいです」
よもぎさがしエクササイズ!
自分で言ってなんだかにやにやしてきた。いい計画ではないか。
「はい、これどうぞ」
かくしてわたしは、青空の下、手嶌さんが差し出してくれた麦わら帽子を被って、軍手を持って。いざヨモギ取りに出発したのだった。
歩いてしばらくのことだった。奇妙な感覚がわたしを悩ませていることに気づいた。
「あれ……」
(こんな道通ったことあったっけ?)
これでもう何度目だろう。通り慣れたと思った住宅街だけど、知らない路地に入り、知らない坂を下っている。
おばあさんと猫のおはぎの背中が近くなったり遠くなったりする。知らない高架下を通り、見たことのない家並みを横切る。
ちょっと怖くなってきた。こんなによく晴れた昼間だって言うのに、どこか違う世界にいるみたい。
そっと手嶌さんの持っているカゴの端をつかんだら、微笑して手を差し出してくれたので、すがるように握った。
怖くない怖くない。ちょっと面食らっただけ。
小さな頃迷子になった時のような気持ちが心の端をよぎったが、気のせい、気のせい。
手嶌さんの手は温かくて、思ったよりしっかりしていて、その手の温度でようやく人心地ついた気がした。
私が落ち着くのと、同じくらいのタイミングだろうか。
ふわりと濃い草の香りが漂う。
同時に、視界も開ける。辺り一面に広がるのは浅い草原だ。緑がまだ若いのが目に見えてわかる。色んな種類の草花が生えている川の土手。お目当てのヨモギもそこここに姿が見える。
「さて着いたよ。今年はここが一番じゃないかしらねえ。ね、おはぎ」
「にゃーん」
「だってさ」
どうやらおはぎの返事は肯定の意らしい。猫は緩やかにしっぽを振っている。
「それじゃあたしたちはこれで」
「あれ。黒須さんたちはよもぎ摘んでいかないんですか」
「あたしは食べる専門だし、おはぎは匂いが嫌だっていうからねえ。帰り道は大丈夫だろ?」
「ええ、ありがとうございました」
手嶌さんが答える。わたしは何がなにやらだった道なのに、手嶌さんすごいな……。
「それじゃまた、店でね」
黒須さんとおはぎは一足先に立ち去って行った。……? 機嫌良さそうに揺らめかすしっぽが、2本に見える。今日のわたしの目はもう曇りまくってるかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「はい?」
手嶌さんはそんなわたしを察したのか話しかけてくれたと思いきやそうではなかった。
「手」
「手?あっ」
「あはは、構いませんけど、大丈夫ならヨモギ摘み始めましょうか」
繋いだままだった手を慌てて引っ込める。一体全体、いつまでつないでいるつもりだったんだろうわたしは……恥ずかしすぎる。
「ヨモギはこの辺ですね。固まっているから間違うこともなさそうですし、どれも香りがいい」
「これならわたしにも摘めそうです」
「お手伝い、お願いしますね」
「はい! 任せてくださいな」
ヨモギを摘みながら、手嶌さんと色々な話をする。
「このヨモギは何になるんですか?」
「上新粉に若いヨモギの葉を混ぜ込んで……お団子に。おいしいですよ」
「わあー想像するだけで絶対美味しい……手嶌さんの作ったお団子」
「今日のお手伝いのお礼に、お土産分と、お店でめしあがる分、今度いらした時にさしあげますね」
「わあー……」
ダイエット中ですってここで言えると思いますか?
よろこんでいただくことになった。
ところで奇妙なことに帰り道は一瞬だった。
「あれ?」
あっという間にまれぼし菓子店の前に着いたのだ。こんなに近かったっけ。でももうクタクタだったから、近い方がいいか……。
そして後日。
わたしはほくほくした気持ちでまれぼし菓子店に向かった。草団子お披露目の日である。
「お待たせしました。草団子と煎茶のセットです」
店の端っこに一席だけある座布団と和風のテーブルセットの席。腰掛けて待ちに待った草団子だ。
お茶の良い香りとともに、目に楽しい、お団子に多めに乗っかった粒あん。ちょっと小ぶりのお団子がふた串乗ったお皿。
一口目を頬張る……あずきの甘みとともに、口の中に広がるのはヨモギのフレッシュな風味。そしてお団子の弾力。もち、もち。ちょうど良い硬さの団子は噛んでいるときに楽しさをもたらしてくれると思う。
「手伝ってくれてありがとうございました。おかげで仕事なのに楽しく。」
「はへ、ひいえ、こちらこそ」
「こちら〝新緑の
言葉通り、ヨモギの香りは勢いがあって清々しい。新緑の恵みを味覚いっぱいで感じながら、お茶で口直しをしてもう一本。あんこの甘さがほどよくて甘すぎず、それがヨモギの香りを更に活かしているのだなと言うことに気づく。
「ああ……お、おいしい……」
「良かったです」
いつものように優しく笑む手嶌さんと星原さんは、わたしにちゃんとおみやげの四串分のお団子を持たせてくれた。お団子は日持ちしないからという理由だけでなく、そのお団子はすぐになくなったわけだけど
……。
まあ結局つまるところ。
わたしはスポーツジムに入会することを決めるに至ったのだった。
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