第3話 昼下がりのうぐいす餅
有給を取りました。
何となく嫌な曇天続きの今週。だからいつもの元気が土曜日まで持たなかったのかもしれない。
こんなことを言っているから、半人前社会人がと笑われるのだろうか。
大人はいつ大人になるんだろう。子供の頃は、大人になったらなんでも出来るようになるんだと信じて疑わなかった。もちろん、そうはならなかった。わたしはわたしのまま大人になっただけだった。
わたしはいつ、一人前になれるのやら。
今でもわたしは、困りきっては、小さな頃のように独りで膝を抱えて座っている――。
……。
目覚めた。
なんだか悲しい夢を見た気がする。少し痛む頭を振りながら、ベッドから降りて顔を洗った。
有給を取ったもののなんの気力もなかったので、せめてひと足早い休日気分と言って二度寝をしたんだった。
戻ってきてふと見下ろすと、いつの間にか枕カバーには涙の地図ができていた。よだれだったら台無しだけど、たぶん涙だと思う。……たぶん。
寝て起きたら現金なもので、少し気分が晴れた。カーテンの向こうの空模様を確かめる。
今日もまた曇り空だった。でも曇りは出かけるのにそう悪い天気という訳ではない。わたしはパーカーを羽織って、気楽な格好で外へ出る準備を済ませる。
今日は、あの店へ行こう。
まれぼし菓子店。
――ところが。
店の前まで行って、わたしは膝から崩れ落ちそうになった。
「本日店休日……ほんじつてんきゅうび……?」
お店が休み?
休みだって?
そんなこと
小さなイベントのはずだったのに、不意打ちをくらった時のダメージの大きさは、なんだってこんなにつらいものになるのだろう。
行き場のなくなった気持ちをどうしよう。
しばらく立ち尽くしてしまった。
「どうしたの、日本が終わったような顔して」
気づくと三毛猫をつれたおばさんが立っていて、気遣わしげに尋ねてくれた。かくかくしかじかと事情を話す。
「ああ、たまーにお休みがあるのよね、まれぼしさん。でもそんなに多くはないはずだから、……今日はついてなかったわね」
「そうなんですか……」
「まあ、そんな暗い顔しないで。飴ちゃんあげるから。そうそうお休みだけど、
「ありがとうございます……。叶芽ちゃん?」
「行ってみるのもいいんじゃない?それじゃあ、元気だしてね」
「ありがとうございます。……叶芽ちゃん?……」
音子さんじゃないことはわかったけど、誰だろう。
去っていくおばさんにお礼を言うと、わたしは飴ちゃん(黒飴だった)を手に公園へと足を向けることにした。
おばさんが教えてくれた公園に近づくにつれて、ふんわりといい香りが香ってくる。と言っても、お菓子や石鹸なんかの人工物じゃない。お花に疎いわたしでもわかるこれは、梅の香りだ。
絵に書いたような梅の木。そこには、絵に書いたようにうぐいすが止まって時折綺麗な声で鳴いている。
雅な春の空気。子供たちの笑い声。
そんな公園のベンチでお弁当箱を広げているのは……。
「どうしたんですか? 世界が終わったような顔して」
手嶌さんだった。そんなに酷い顔してただろうかと思ったが、目の前の青年は膝に大きめの弁当箱を載せながら、こくこく頷いている。顔に出ていたのだろうか。恥ずかしい。
「こんにちは。叶芽ちゃんって手嶌さんのことだったんですね」
「あれ、何処かでお聞きになりました?そうなんです。手嶌叶芽と申します」
改めて名乗ってくれたあとで、また改めて聞いてくれる。
「それで……具合でも悪いんですか?大丈夫かな」
「ええと……今日は本当にお店に行くのを楽しみにしていて……」
とさっきのおばさんにしたのと同じ説明すると、彼は気の毒そうに微笑んで、ベンチの空いてるところを勧めてくれる。
「それはすみませんでした。どうも僕達の予定やら何やらが噛み合わなくて、たまにお休みの日があるんです。今日が正しくそれで……」
「いえいえそれは仕方ないです。私の方こそすみません。お昼の最中に」
「お昼」
「お昼。だってお弁当箱。ちょっと大きいですよね。見かけによらず大食漢なんですか」
たずねると青年はイタズラな笑みを浮かべてパカッと弁当の蓋を開けて見せた。
「これ……は???」
浅葱色と黄色の中間の、若い黄緑色が、ぎっしりつまっている。
ぎっしりは適当じゃなかった。楕円に近い物体が等間隔でお行儀よく並んだように詰められている。言い表し直すなら、ちょこんちょこんと、だ。
「うぐいす餅です」
「うぐいす餅。」
「明日から店に出すので試作なんですけど……まあお昼ご飯といえばお昼ご飯ですね」
ホケキョ。とうぐいすが鳴く。
わたしは手嶌さんと顔を見合わせる。見合わせた彼の顔が笑みの形に柔らかくほどける。
「よかったらご一緒に……お望みなのは洋菓子だったかもしれませんが」
「い、いえとんでも……和菓子も食べたいとずっと思ってたんです!」
ごくりとのどが鳴ったのはたぶん聞こえただろう。あの店のお菓子なら、きっと和菓子も……。
「いただきます!」
「めしあがれ」
黒文字の先端を差し入れるとふに、と手応え。柔らかさが明らかに伝わってくる。わたしは
ぷっつり、粘つかずに一口大に切れると、中のこしあんが顔をのぞかせる。まぶしてあるうぐいすきな粉の鮮やかさと対象的な深い小豆色。
一口で半分くらい行ってしまう。
最初にきな粉の香ばしさ香り高さが来て、求肥のもちっと感はしっかりある。そしてあんこの上品な甘さ、余韻。今日この日作りたてじゃないとこうはならないだろう。
もう一口。甘さもちょうど良くてこれは絶品だと思う。
もう一……もうないんだった。
思わず手嶌さんを見上げると、
「おかわりもお茶もありますよ」
手嶌さんもいくつか食べながら、笑顔でおかわりとほうじ茶も差し出してくれたので、ほくほくと受け取る。
やっぱり和菓子には日本茶がさいこうにあう!
ほうじ茶の少し甘いような香りは、どうしてこう人を惹き付けてやまないのか。お茶を焙じていると、つい香りにつられていってしまうくらいだ。
ついつい勧められるがままに何個か頂いて、はたと気づいた。そういえば今日はまだいつものがない。
「これは……いつものポエムみたいなやつで言うとどんなうぐいす餅になるんですか?」
「そうですねえ、〝春風を呼ぶしあわせ色〟のうぐいす餅です。名前も品物も試作なんだけれど……どうかな?」
「とっても……おいしいです! うぐいす餅にぴったりです!」
うぐいす餅が美味しすぎて語彙が崩壊しそうだったのを何とか踏みとどまれたろうか。
「あは。良かったです」
手嶌さんは破顔していた。わたしもほっとする。
ふと、また梅が香る。
「あっ、いけない」
「??」
彼の慌てようの理由はすぐにわかった。手嶌さんが急いでお弁当箱の蓋をしようとしたが、時すでに遅し。
悪戯な春の突風が、梅の芳香とともにやってきた。
「あっ!きな、きな粉ー!」
そして――。
春風を呼ぶ幸せ色のきな粉が半分ほど、一斉に手嶌さんの方に吹っ飛ぶのをみて、わたしは――申し訳ないけれど笑いをこらえきれなかったのだった。
酷いなあ。だって仕方ないですよこれは。の応酬のあと、試された腹筋をなでながら、きな粉の後処理(?)をする。
いつのまにか完全な曇天だった空には青空がちらほら垣間見られるようになり、天気も変わってきていたらしい。
「きっとこのうぐいす餅、人気出ると思いますよ!」
「そうですね、そんな気がしてきました」
ややうぐいす色になった手嶌さんが笑うので、わたしもまた大いに笑ったのだった。
ホケキョ。
見上げればうぐいすも、梅の木の上で笑ってるみたいだった。
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