第十四章「少女の存在」

 少女はシィの花屋にいた。

 花屋と言っても、花々があるわけでなく、鉢植えが隙間なく、並んでいるだけだった。少女はその鉢植えの一つ一つに水を差していた。

「これでいいわ」

 シィは、小さな鉢植えの一つを持ち上げ、鉢植えの並んだ片隅にそれを置いた。

「ねぇ、あなた、スキナベさんのバイオリンでしょ?」

 シィは机にあった道具を片付けながら。少女に問い掛けた。

「もう何度もあなたのような子に会っているから解るんだよ」

 少女は水をやってる手を休め、黙って聞いていた。

「名前を教えてくれる?」

「名前は二つあるの。一つはヘレナ。もう一つはステラって呼ばれていた」

「二つ? どうしてかしら、誰かの思いからあなたが生まれたのなら一つしか名前はないのに」

「ステラはマリアがそう呼んでくれていた。ヘレナは後から付いた名前。まだ、誰も呼んでくれない隠された名前」

「隠された名前? そう。マリアって誰のことなのかな?」

「可愛そうなマリア」

「……」

 シィは、それ以上何も聞かなかった。きっと、この子も救われる。そんな気がした。


「エムル、ハーモニカ貸してくれないか?」

 同じ頃、エムルとスキナベは、ロッソがいつも来ていた小高い丘にある公園のベンチに来ていた。過去に触れてしまったことで、昨夜シィと別れた後から、ずっとエムルは塞ぎこんでしまっていた。スキナベは、このままエムルが希望を無くしてしまったら、きっと消えてしまうと心を痛めていた。

 エムルからハーモニカを受け取り、ポケットからハンカチを取り出して、スキナベは丁寧に磨きながら言った。

「ロッソじいさんはエムルをきっと孫の様に可愛がっていたんだと思うよ。できるなら、エムルを天国に連れて行ってあげたいと思っていたに違いない。それに、このハーモニカだって、ロッソじいさんの宝物だったんじゃないのか? それを、エムルに預けたのは願いが込められていたんだと思うよ」

「……」

「うまく言えないけど、何か役目があるんじゃないのか?」

「役目?」

「うん、今こうして僕と話しているのもその役目かもしれないよ」

 エムルの心が少しだけ軽くなった様に見えた。エムル自身が、自らの存在に疑問を持っていたからだ。自分がなぜここにいるのか? 居る必要があるのか分からなかったからだ。

「もし、僕がいい子にしていたら、その役目ができたら、ロッソじいさんのいる天国にいけるかな?」

「僕には解らないけど、行ければいいね。きっと行けるよ」

 スキナベは静かにハーモニカを吹き出した。気まぐれに旋律を重ねているだけなのに、どこか懐かしさを感じる。咲き乱れる花々が聞き入るように、風に揺れていた。エムルは遠くに見えるロッソの赤い屋根の家を見つめていた。


 ボーダーは柔らかい夕陽に照らされていた。

 店内にはスキナベとエムル。それにノリエがシィを待っていた。棚に並べられた多くの結晶たちが、いつにも増して明滅を繰り返している。

やっと、シィがボーダーにやってきた。

「遅くなって」

 シィは、小さな植木鉢を真ん中のテーブルに置きながら言った。いつのまにか、少女が奥のテーブルに座ってシィたちを見ている。

 ノリエとスキナベは、カウンターの椅子に座って黙ってシィの持ってきた植木鉢を見つめている。植木鉢はほのかな青い光に包まれて、陽炎の様に霞んで見えていた。エムルがカウンターのロッソじいさんがいつも座っていた椅子から、少女の横へ並んで座った。

 店の中は様々な色が所々で輝き、まるで遊園地のメリーゴーラウンドのように明滅していた。小さな植木鉢は青い光に包まれたまま、植えられていた小さな青い芽は、ゆっくりと、しかし確実に成長している。やがて小さな蕾を膨らませ、今にも花を咲かせようとしていた。

 しかし、そこで成長は止まってしまった。まるで、閉じこもってしまったように、花の蕾はそれ以上大きくならなかった。様々に輝いていた光の渦も、その明るさを失ってしまった。

 少女がスキナベのそばへやってきて言った。

「ジュークボックス、使ってみてよ」

「ジュークボックス?」

 スキナベはシィを見た。シィはニッコリ笑って頷いた。

「うん、わかった」

 少女に手を引かれ、ジュークボックスの前にきたスキナベ。

「青いボタンだったよね」

「早く……」

 スキナベは言われる通り、ジュークボックスの青いボタンを押した。テーブルの上の植木鉢の蕾は身震いするように青い光は震えている。

 ジュークボックスから流れ出た音楽は、初めてこの街にきたその日、ロッソじいさんに薦められて聞いた曲と同じだった。

 静かな旋律から始まるほんの短い曲。小川のせせらぎをイメージさせるような美しい曲であったが、スキナベにすれば中途半端な曲の思いを抱いていた。ところが曲が続いていた。

 静かに流れる清流が大海に注ぎ込む大河に変わり、そして大海原を駆ける帆船の優雅さを思わせる旋律に変化して行く。帆船は嵐に巻き込まれ木の葉の様に大波の中を漂い、そして、嵐を抜けるとそこには緑の大陸が広がっていた。

そんな風景をイメージさせる曲。

 全員が曲に酔いしれていた時、少女が青い蕾を両の手の平で包むように心をつなげた。少女の手から光が溢れ出し、眩しいくらい輝きを増していく。少女の手が離れるとそこには大きな何枚もの花びらを付けた見事な花が咲いていた。スキナベは導かれるように花が放つ光の輪の中に行く。少女と手をつないで、じっと青い光の花を見つめていた。



「お母様!お母様!」

少女は長い石作りの廊下を駆けていた。

「マリーア様! 待ってください。そちらは危険です」

 少女の後を青年が追いかけていた。

 暗闇の中から数人の男達が飛び出してきた。少女の行く手を阻むように取り囲み、それぞれの手には長剣が握られていた。

「誰か!誰かおらぬか!」

 青年は、少女を庇うように少女と男達の間に入り、剣を腰溜めに構えた。

 一人の男が奇声を上げ長剣を振りかざし、踏み込んで切りつけてきた。青年はその斬撃を、横殴りに払い、隙の出来た半身に突きを入れた。男は、絶叫と大量の血しぶきを上げ、その場に倒れた。直後に、青年の背後から鎧の音を鳴らして数名の騎士が現れた。

「ここはお任せを!」

 騎士たちは男達を取り囲み、剣を構えた。

「マリーア様、こっちだ!」

 青年は少女の手を取り、細い脇に繋がる廊下へ急いだ。それを邪魔するように男が切り込んで来る。騎士の一人が間に入り、切込みを払う。青年は振り向きもせず、少女を連れ暗闇に消えていった。背後では何度も剣と剣がぶつかり合う剣戟の音が聞こえた。

「こっちだ!」

 暗闇から二人を呼ぶ声がした。

 松明の灯りに照らされたその男は、二人を小さな部屋に招きいれた。廊下の左右を確認するかのように振り向き、部屋の扉を閉めた。

「シークレスト! すまない。助かった」

 後ろ手に扉を閉めた男は松明を掲げた。

「マリーア様もご一緒ですね」

「ああ、本当に助かった。礼は後日、必ず」

 その時、部屋の奥から二人の男が現れた。身なりは先ほど襲ってきた男達と同じだった。

「どう言うことだ、シークレスト」

「礼なんていりませんよ。マリーアさえいなくなれば、サルディニャ王家は滅びるのですからね」

「なんと言う事を」

 青年は、背後に少女を庇い剣を構えた。

「やれ!」

 奇声とともに男達が切り込んで来る。幾度となく剣戟を繰り返したが、少女を庇いながらではやはり隙が生まれ、青年は左腕に傷をおった。おびただしい血液が吹き出し、片膝をついた。

「ジョゼッペ様!」

 少女が背後から飛び出し青年を庇った。その時、投げつけられた短剣が少女の背中を突き抜けた。

「マリーア!」

 絶叫とともに青年は少女を抱え、力任せの斬撃を雨のように男達に浴びせた。ほんの僅かな時間の間に、部屋は血の海と化し、三人の死体と少女を抱きかかえ泣き叫ぶ青年の姿があった。震える手で少女は青年の腕を掴み、消え入るような声で呟いた。

「ごめんなさい、ジョゼッペ様……」

 力なく少女の手は床に落ち、ぐったりとなった。真っ赤に染まった少女の胸元には、金の十字架のペンダントが光っていた。青年はそのペンダントを少女の首から外し、確かめる様に見つめた。ペンダントの裏には小さな文字で刻印が彫られていた。

『ソル・エ・ディーン(王家を守る者)』

「何が王家を守る者だ!」

 いくつもの傷口から血が吹き出し、意識が遠くなっていく。どこかで人が呼ぶ声が聞こえたが、もう目を開ける気力も残っていなかった。僅かに残る、愛する人の力の無くなった細い手の感触。



 スキナベの目には涙が溢れていた。

「この子はペンダントだったのか?」

 シィが静かに近寄ってきた

「死んで行った少女は、愛する人にそのペンダントを贈られたのね。少女は肌身離さず身に付けていたんだと思う。いつも、いつも、ペンダントに語りかけていたんだよ」

 スキナベはゆっくりと青い光る花から離れた。

「僕の名前はソル・エ・ディーン。王家を守る者。でも、いったい誰を守れば良いんだ」

 スキナベを見る少女の目にも大きな涙の粒がこぼれそうになっていた。



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