第十一章「過去と夢と」

 その日の夜、スキナベは夢を見た。

 そこは、赤や黄色など色とりどりのバラの花が咲き乱れる庭園であった。周りが白い石壁で囲まれた中庭のような場所だ。透き通るように天気が良く、暖かささえ感じる。数人の男女が、雑談を楽しんでいるようだ。

 白い石でできたアーチをくぐると、円形の小さな噴水があり、その周りに噴水に向ってベンチがいくつか点在している。その中の一つ、ブロンズ色のベンチには、真っ白なドレスを着た女性が座って赤ん坊を抱いていた。にこやかで気品が漂っている。高貴と言うに相応しい女性だ。

 女性の近くに男性が二人立っていた。

 髭を蓄えた男性。簡素な衣服には、飾りも無く、目立たない色合い。腰には護身用なのか、長剣の半分ほどの長さの細い剣を備えている。その男の傍らにはワゴンの手押し車があり、その上には飲み物や果物が置いてある。もう一人は、女性のすぐ傍らに立ち、女性と何か話しているようだった。高貴な生まれなのか、男は煌びやかな装飾の施された衣服を纏い、煌びやかな飾りのついた長剣を携えていた。

噴水の反対側で何かが動いた。

 噴水の水の音で、誰一人それに気付かないでいる。それは、ベンチの後方にあるバラの生垣の向こうをゆっくりと移動していた。髭の男がそれに気付く。移動する男の視線は、中庭の出口の方を向いている。生垣の所為で、腰あたりから下は見えない。しかし、髭の男は移動する男の右手が動いていないのに気付いた。それは、腰にあるものを手で押さえているのかも知れない。髭の男は、移動する男から視線を外さず、凝視していた。しかし、移動する男は、髭の男の方も見る事も無く、中庭から出ようとしていた。髭の男は安心したように視線を外した。その時、移動する男は、静かに鈍く光る腰の短剣を抜いた。そして、静けさを切り裂く絶叫に似た気合の声と共に、それはベンチに座る女性に向って走り寄って来た。そして、短剣を振りかざし、女性に向けて切っ先を向けた。煌びやかな衣服を纏う男性は、悲鳴と共にその場から逃れ、女性から背を向けるように逃げる。

 女性は叫び声と共に背を向け、短剣から赤ん坊を守るようにベンチに身をかがめた。短剣の男が女性に切りかかると同時に、髭の男性が果物や飲み物の乗ったワゴンを飛び出してきた男にぶつけた。短剣の男は避けきれずにバランスを崩し、ベンチの反対側に転げた。

「カテリーナ様、こちらへ!」

 髭の男性が女性を庇うように前面へ出る。短剣の男は、剣を握り直し、髭の男を睨み付ける。

「誰か! 誰か!」

 髭の男性は、腰の剣を抜くと同時に大声を張り上げ、人を呼んだ。


 スキナベは目を覚ました。

 びっしょりと寝汗をかいていた。未だに動悸が治まらない。鮮明によみがえる風景と場面。鈍く光る短剣。憤怒の形相で睨みつける短剣の男。

「何なんだ。酷い夢を見てしまった」

 ベッドに腰掛け、しばらくの間、動けなかった。

 窓から風が流れ込んでカーテンを揺らした時、ドアがノックされた。スキナベは椅子にかけてあった上着を纏い、ノロノロとドアに近づいた。

「はい」

 ドアの外から聞き覚えのある声が聞こえた。

「僕、エムル」

 スキナベは閂を外し、ドアを開ける。

「エムル。よく家が解ったね」

 にこやかに笑いながらエムルを迎え入れた。

「うん、昨日来た女の子に聞いたんだ」

「女の子?」

「ほら、突然現れて、僕の飴を取った子」

「ああ、あの女の子」

「で、どうかしたの?」

「うん。シィが、話があるみたいで、呼んで来てって」

「解った。ちょっと待っていて。すぐに支度するから」

 スキナベは汗だくの服を着替え始め、エムルは窓辺の椅子に座り窓の外を眺めていた。

 身体の小さなエムルには、窓辺の椅子は少し背が高い。床に届かない足をブラブラさせながら、エムルは楽しそうに窓の外を見ている。

「お待ちどう様、さぁ行こうか」

 椅子から、トンと飛び降りるように立つと、エムルは言った。

「シィが、バイオリンを持って来てって」

「バイオリン? わかった」

 スキナベは、壁にある棚に置いたバイオリンケースに手を触れた。とても壊れやすい物に触れるように、ゆっくりとそして、優しく。懐かしいような愛おしいような感覚が、指先から伝わってくる。エムルが言った。

「きっと、シィが何か教えてくれる」


 スキナベとエムルはボーダーへと向かった。



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