第九章「花屋の思い」

 ノリエ、シィ、エムル、そしてスキナベの四人はボーダーの中にいた。ロッソが去っていってからは、ほとんど会話のない時間を過ごしていた。

「で、店はどうする?」

 シィが誰ともなしに尋ねた。

「エムルが留守番してればいいんじゃないの? ロッソじいさんが来る前のようにね」

「そうね、それが一番かも。それで良い、エムル」

 エムルは壁にもたれるように床に座り膝を抱えていた。

「うん」

「どうせ、また、すぐに代わりの人が来るから」

「……」

 エムルは黙って頷いた。

「さて、あたしは帰るとするか」

 ノリエはカウンターの席をたって、小さな郵便カバンを持って店を出て行った。

「僕も帰る」


 エムルもトボトボと店を出て行った。

「あの、シィさん」

 スキナベはシィの座ってるテーブルに近寄って、シィの前の椅子に座った。

「何でしょうか?」

 シィはにこやかに答えた。

「シィさんはこの街は長いのですか?」

「うーん。そうね、長い方かしら、ロッソじいさんが来る前からいますからね」

 スキナベはテーブルにバイオリンのケースを置いた。

「ロッソじいさんがバスに乗ったとき、僕はバイオリンを弾きました」

「うん、とてもいい演奏だったわよ」

「本当は、僕はバイオリンを弾けることを知らなかったんです。ロッソじいさんがバスに乗り込もうとしたとき、自然にバイオリンを弾くことができました。弾きながら驚いていたんですよ。僕はバイオリンが弾けるんだって」

 シィは席を立ってカウンターの奥に入った。

 カウンターのあたりをごそごそして探し物をしている様だ。

「あった、あった。紅茶飲みますか? ロッソじいさんが煎れるほど美味しくはないかもしれないけど」

「はい、いただきます」

 シィは紅茶を入れながら話し出した。

「私はね、この街に来る前は家具職人だったんだ。材料の木と話し、素敵な家具になる様にお願いをして丁寧に作っていたの。ある日工房におばあさんが来て、孫に贈る椅子と机を作ってくれって頼まれたわ。忙しいから二ヶ月ほど待ってもらわないと作れないからって断ろうと思ったんだけど、おばあさんはそれでもいいから作ってくれって、前金を置いて帰っていった。私はその頃、本当に忙しくておばあさんに頼まれていた椅子と机の事をうっかり忘れていたの。それからほとんど一週間眠ることも忘れて作ったわ。おばあさんが来てからちょうど二ヶ月たった日の朝、作りあがったの。荷車に机と椅子を積んで教えていただいた住所に配達に行った。そこはとても大きな屋敷で、玄関の門扉の前で家具を届けに来たと伝えたら、中から出てきた人が『家にはあなたが言うような老人はいないし、小さい子どももいないから、何かの間違いだ』 って追い返された。仕方なしに工房に帰ったわ。帰る途中に警察に寄っておばあさんのこと聞いてみたけど解らなかった。帰って机と椅子を倉庫に片付けて、工房でぼんやりしていたの。机と椅子は前金も貰っていたからいいんだけど、おばあさんのことが気になって仕方がなかった。その日は一日仕事にならなかったわ。何もする気がおきなくて、木を削って遊んでいると、工房の入り口におばあさんと小さな女の子が立っていた。私が配達に行ったことや屋敷の人がおばあさんたちは住んでいないって言ったこと、みんな話すと、おばあさんはにっこり微笑んで『迷惑をかけました』 謝ってくれた。机と椅子をどこに運べばいいのか尋ねると、『今はもう、こんな立派な机と椅子を置いておく家がなくなったから、引き取れないことを謝りに来た』 って、私は残りの支払いは気にしなくていいからって言っても『置いておく場所がないから』 って、受け取ってはもらえなかった。そして、おばあさんは、一つだけお願いがあって今日は来たんだいったわ。それは『楽しみにしていた孫に、一度だけ机と椅子に座らしてやってほしい』 って、倉庫の暗がりの中で、小さな女の子は本当に嬉しそうに椅子に座って喜んでいた。引出しを開けては喜び、座りなおしては楽しんでいたの。女の子が『また、座りに着てもいい』 って聞くから、『いつでも来て良いよ。それはあなたの机と椅子だから、置くところが見つかれば持って帰っていいのよ』 って言ってあげた。おばあさんと女の子は、何度も何度も手を振って帰っていった。机と椅子は倉庫の片隅でホコリ避けの白い布をかぶせられて置いてあった。時々、白い布がめくれて引出しが開けたままになっていた。最初は誰かの悪戯か何かと思っていたんだけど、毎週きまって同じ曜日に布がめくれたりしたからちょっと気になっていたんだ。何週間か過ぎた日、新聞に、配達に行った屋敷の写真が載っていた。この屋敷の持ち主が殺されて埋められていた。それは、机と椅子を頼みに来てくれたおばあさんで、一緒に小さなお孫さんの女の子も埋められていたらしい。二人が埋められたのは初めて工房に来た日からちょうど一月後で、二度目にお孫さんと来られた時は、もうお亡くなりになっていたのよ。私はこの街に来てから、そのことを思い出したの。幽霊とかじゃなくて、モノに宿る魂のこと。女の子はきっとあの机と椅子に宿ったんじゃないのかな」

 シィはゆっくりと紅茶をカウンターに置いた。

 ロッソがいつも座っていた椅子に座り直し、スキナベはカウンターの椅子に座った。

「私はこの街での役割はわからない。なぜ、この街に来たのか、その原因もまだ思い出せないでいるの。ただ、モノに宿った魂たちが、最愛の人に引きずられる様にこの町にきて、結局、行き場を無くしてしまうことが沢山ある。そんな魂たちは小さな結晶になって、最後は砕けて消えてしまうから、少しでもその魂たちに生きる力を与えたい、やり直す勇気を伝えたい。そう思って結晶たちに『新しい命の入れ物』 を作っているだけ。あなたのそのバイオリンも魂が宿っているんじゃないかな」

 スキナベは、バイオリンのケースを慈しむように見つめた。

「さっきこのバイオリンを弾いた時、大きな優しい心に触れた様に感じたんだ。それが魂なのか?」

「それは解らない。人の思いも染み込んでいるし、そのものの魂もあるから。でも必ず何かを知る時がくるわ。ロッソじいさんも言っていたでしょ『運命と向き合いなさい』 って」

 スキナベはもう一度バイオリンのケースを見た。テーブルの上で何かを待っているのか、鈍い輝きを滲ませていた。



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