第四章 第二部 追憶:結婚の約束
部屋の灯りを点けるとテーブルの上に小さな箱と一枚のメモが置いてあった。
ジーンはメモを手にとって読み出した。
文字を追う目がすぐに涙で一杯になり、頬をこぼれて落ちた。その涙はどんどん増えていき、テーブルの上に小さな水溜りを作った。ジーンは何度も何度もメモを読み返し、一字一字確かめるように心に刻んだ。
メモにはこう書かれてあった。
「最愛なるジーンへ
もし、君さえ良ければ
次の休みに聖ヘレナ孤児院へ二人で行こう。
そして、結婚することを報告しよう。
遅くなったけど婚約指輪を君に贈ります。
もし、一緒に行ってくれるのなら、今夜はその指輪を嵌めておいて下さい。
ソロディン・スキナベ」
ジーンはメモを抱きしめたまま、長い長い間涙した。初めての告白がこんなに突然やってきたことが信じられなかった。くしゃくしゃになったメモを、丁寧にしわを伸ばしそばへ置いた。そして、小さな黄色のリボンがついた赤い箱を手の平に乗せた。
ジーンの小さな手にも収まるほどの小さな箱をゆっくりと開けた。中から、小さな赤い石のついた素敵な指輪が出てきた。部屋の灯りに反射して赤い石が瞬く様に光った。この光は小さくてもジーンの心の中で大きな光になり幸福感を満たした。
ジーンは指輪を手に取った。
そして指に嵌めた。キラキラと輝く指輪はジーンにとても似合っていた。
追憶:男爵からの申し出
スキナベにとってそこはあきらかに場違いな印象を受けた。
煌びやかに飾り立てた人々の中で、スキナベ一人が違う意味で注目されていた。さげすむ言葉や妬み、中傷が当たり前の様に囁かれていた。それでも、社交的に人々からウワベだけの祝福の言葉だけ贈られていた。
宝石商かと見間違うほど飾りつけた婦人とその家族らしき人々が、握手を求めてきた。
「二週間後の演奏会を楽しみにしていますよ」
「ありがとう御座います」
「ずっと、ファンでしたのよ。お父様にお願いしてやっとチケットをいただいたんですの」
「それは、ありがとうございます」
「女王の前で、相応しい演奏会をお願いいたしますよ」
「はい、精一杯頑張ります」
スキナベは男爵からの誘いとは言え、自分がこの場所で何をしようとしているのか、それさえ解らなくなってきそうだった。
挨拶と礼ばかりで気付かないうちにパーティーは終焉を迎えていた。場を盛り上げる生演奏が突然終わり、男爵が話し始めた。政治のこと貧困で恵まれない子ども達がいることなど、しばらく話しを続けた後に、突然スキナベをステージに呼んだ。
「もうみなさんご存知だと思いますが、実は本日のパーティーの主賓の一人がこのソロディン・スキナベくんです。彼は二週間後に女王の前で特別演奏会をひらきます。彼のこれまでの功績を考えると遅いくらいの演奏会です」
汗まみれで脂ぎった男爵は、何度もフリルの付いたハンカチで顔を拭っていた。
「実は彼は施設出身なのです。事故で両親をなくし、施設でバイオリンをひく彼のその才能を、私は見出し今日まで育ててきました。そして、ご存知の通り女王の前での演奏会を開くことになりました。私は彼スキナベを息子のように愛し、そして信じて今日まで応援をして来たことを本当に誇りに思っています。今後とも温かいご支援を宜しくお願いいたします」
会場全体から震えるような喝采と声援が鳴り響いた。スキナベは男爵とともに、遠い出来事の様に、それを聞いていた。
男爵の言ったことは、スキナベが施設出身であること以外は全て真っ赤な嘘でしかなかった。女王陛下の御前演奏会の開催が決まったおよそ三ヶ月前、コンサート会場の楽屋に突然現れて、一月後に室内コンサートを開くから予定を空けとくようにとそれだけを告げ演奏会も見ずに帰っていった。しかし、そんな突然の予定があくわけでもなく、男爵依頼の室内コンサートは中止になり、かわりに別の演奏会のチケットを数枚ムリヤリ持って帰ってしまった。実際には、招待するつもりでいた人にチケットが渡らなくなり、満席状態だったため、大変な迷惑でしかなかった。
鳴り止まぬ拍手喝采の中で男爵は小声でスキナベに告げた。
「あとで部屋に来るように。お前の今後のことで話しがある」
男爵は喝采に答えるとステージを後にした。
パーティー参加者から花束やお祝いの言葉を贈られスキナベはステージを降りた。
両手一杯の花束やお祝いの品を贈られたあと、男爵の執事が男爵の部屋へと案内した。男爵は広い書斎に一人で窓の外を見ていた。部屋に通されると執事は一礼し部屋から出て行った。
「もう解っていると思うが、私がお前の後見人として私の名をお前におくることにした。これでお前は何の問題もなく、女王の前で演奏会が開けるわけだ」
「僕の後見人ですか?」
「そうだ、何か問題でもあるのか? 名誉ある我がシークレスト家の名をかたれるのだ、ありがたく思え」
スキナベは驚くほど冷静だった。こんな突然の申し出をまるで予想していたかのごとく自分の考えを口にした。
「いえ、僕は今のままで結構です。今のままで充分満足しています」
男爵の顔が見る見る赤くなっていくのがわかった。
「お前は私の好意を必要ないと申すのか、貴様には恩というものはないのか!」
怒鳴り声をはりあげ男爵はまくしたてた。
「僕は男爵に恩を感じたことはありませんし、これからも感じる事はないと思います」
スキナベはきっぱりと言い切った。
「申し訳ありませんが、待たせている人がいるので、失礼させていただきます」
スキナベは一礼して部屋を出ようとした。すると男爵は、近くにあった花瓶を投げつけた。花瓶はドアのすぐ横に当たり砕けて落ちた。
「きさま、我輩に向かってなんたる侮辱。このままで済むと思うな。この国で我輩のこの国で生きて行けると思うな。覚えておれ! 必ずこの無礼の責任をとらせてやる」
スキナベは無視をして部屋を後にした。
パーティー会場は今もまだ賑わっていた。テーブルに置かれた山のような花束やお祝いの品には目もくれず、スキナベは出口に急いだ。ひんやりとした外気がのぼせた頭をすっきりと冷やしてくれた。
「あんなやつの助けなんかいるもんか。どうせ僕をダシに女王陛下に取り入ろうって魂胆なんだろう。あぁ、すっきりした。早く帰ってジーンと結婚式の相談をしよう。花束の一つでも持って帰れば良かったかな」
スキナベは上着の襟を立てて帰り道を急いだ。
冷たい風が、まるで鋭利な刃物の様に頬をかすめて行った。
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