第4話

「まあでも取り敢えず」

 サンドイッチを食べ終わったらしいハルさんは、襖も全部開けきって満足したらしく、

「起きるか、10時だし」

とにっこり笑って、よれよれの浴衣姿のまま多分洗面所に向かった。


 海行きたい海。海海。海海海海海海。

とハルさんが海を連呼するから、まあちょっと落ち着きなよと洗濯だけして、二人で海に向かった。

 古い家のわりには比較的新しい洗濯機が設置してあって、草の生えた広めの庭に、二人で並んで洗濯物を干した。

 浴衣の正しい干し方なんて知らないから、取り敢えず半分に折って物干し竿に引っ掛けた。


 日陰の存在しない昼間の堤防沿いの道を汗だらだら流しながらひたすら歩いて、つい前を歩くハルさんの日焼けの心配をする。

 この人案外いろんなとこいい加減だから、日焼けとか全然気にしなさそう。

 肌白いから、焼けたら痛そうだけどな。

 ま、俺もあんま人のこと言えないけど。

 舗装し直されたような真っ黒なアスファルトと、ひび割れた白っぽいでこぼこのそれが混ざりあった道をサンダル突っ掛けてただ歩いていく。

 ハルさんは子どもみたいにキラキラした目で横の海を見ながら楽しそうに俺の前を歩いている。

 ほら孝信見ろよ水平線だ水平線、と指で遥か先の海の向こうを興奮気味に差すハルさんは健康的で、とても昨夜俺に跨がって喘いでいた人と同一人物だなんて信じられない。

「ギャップがでけえんだよな」

 思わず口から零れ出た一人言は、幸か不幸かハルさんには届いていなかった。

 20分近くそうして歩いて、先に音を上げたのはハルさんだった。

「無理。道忘れた」

「えー……」

「だってこれ降りれないし、降りれそうなとこ全然見つからないし」

「じゃあ帰る? 暑いし」

「…………いやだ」

 じゃあどうすんだ。


 仕方ないから元来た道をとぼとぼ歩いて、途中で向こうに見えた小さな商店でアイス買って、あっついのにわざわざ日晒しの堤防に座って、すぐそこに見えてる海を恨めしく眺めながら並んでガリガリ君を食った。

 俺はソーダ味、右に座ってるハルさんは梨味。

「ハルさんそれ美味しい?」

「美味しいよ」

「アイスはバニラしか認めないんじゃなかったっけ」

「ガリガリ君はバニラないだろ」

「ハルさんの梨味ちょっと頂戴」

「じゃあお前のも俺に一口な」

 そう言ってハルさんは、先に俺の左手に顔を寄せて俺のガリガリ君を一口、齧った。

 寄せられた頭が微かに震えて、しゃく、っと音と振動が、持ってる手に伝わる。

 ただでさえ暑いのに、触れた右側の肌が殊更、熱い。

 汗の匂いがする。

「うん、いつもの味」

 ハルさんはそれから俺に梨味をくれようとするから、俺はそのままハルさんにすり寄ってキスをした。

「っ、んっ……?」

「大丈夫、誰も居ないから」

「そういうことじゃ……、っ」

 口のなか、冷たいな。

 ひんやりして、舐めたところから順番に温くなっていく。

 ひんやりしたところがどこにもなくなってからゆっくり唇を離すと、ハルさんは名残惜しそうに最後一度、唇を動かした。

 そういうのやめてほしい、もう一度したくなる。

「ばか」

「梨味よく分からなかった」

「そりゃそうだろ、だって俺今食べたのお前のだし」

「……あ、」

 手の中のガリガリ君、溶けた……。


 結局半分ずつしか食べてないアイス棒だけ持って家まで帰って、ゴミ箱に投げ込んでからハルさんは風呂に向かった。

 俺は一緒には入らせて貰えなくて、汗だくのままテレビを見ながらハルさんの風呂上がりを待った。

「孝信ー、水風呂気持ちいいわ、水風呂」

「え、あんた水風呂入ってたの」

「いやシャワーだけどさ、気持ち良かったよ」

「へー、じゃあ俺も水にしよ」

 そんな会話をして入れ替わりに風呂場に向かった。

 水風呂は、本当に気持ち良かった。

 スッッッキリ。

 後悔したのはその後だった。

 昼飯買いにコンビニ行かないといけない。

 さっき買えば良かった。

 じゃんけんで負けた俺は一人でまたコンビニに向かい、自分の好きなのと、ハルさんの好きそうなのと、炭酸とお茶を買って腹を空かせたハルさんのところまで歩いて帰った。

「おかえりー」

 扇風機の風を浴びながらだらしない格好でテレビを観ていたらしいハルさんは、俺が帰ってきたのを見つけると俺に手を伸ばした。

 俺は持ってた袋の中からお茶のペットボトルを取ってその手に渡してやる。

 ハルさんはサンキュ、と軽く礼を言ってからそれを一気に半分飲み干した。

「何買ってきたん?」

「冷やし中華。と、俺は普通に麻婆豆腐丼。暑いから食欲ないとか言いそうだなって思って」

「よく分かってんじゃん。流石、孝信」

「どうも」

 昼飯は簡単に済まして、時計は気づけば午後3時。

「なにする?」

「うーん」

 何するも何も、こんな何もないところで何ができるんだ。

「明日はちょっと遠いけど、電車で買い物でも行くか」

「ハルさん何か欲しいものあんの」

「服とか? 靴とか、鞄とか、時計とかアクセサリーとか美味いものとかなんか面白そうなものとかかな」

「多いな」

「ま、気に入るものがあるかは分かんないけどな」

「じゃあ明日は買い物だな。今からはー、」

「セックスでもする?」

「……どうしたん」

「さっきお前が、」

「俺?」

「道端で急にキスなんてしてくるからさ、」

「あー」

「したいのかなーって、思った」

だけ。



だめだめ!!

カット!カーット!!

他所でやりまーす!!



「ハルさんは今まで何人の人とこういうことをしてきたの」

「それ、終わった直後に聞きたいことなん?」

「気になるじゃん」

「じゃあ内緒」

「俺はハルさんだけだよ」

「絶対嘘だ」

「まあね」

 全裸のまま固い布団に寝転がって、腕枕しながらハルさんの背中をさする。

 柔らかくはないけど、華奢だ。

「もう一回したい」

「無理」

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