梅雨空
「ねえ、みどりちゃん。おはなし聞いて」
「今日はどんなお話なのかしら?」
「あのね──」
これが、絵描きを目指すわたし、
本格的に梅雨入りして、しとしとと雨の降る日が多くなった。どんよりとのしかかるような雨雲に、ブルーな気分になる人も多いと聞く。しかし、わたしは雨の日が嫌いではない。カラフルに咲く傘の花を見ていると、絵心がくすぐられるのだ。小さな友人が、わたしの描くさまを見て、いつも「じょうずね」とほめてくれるので、調子も上がる。しかし、この日の彼女は様子が違っていた。
「さくらちゃんがね、いろと話してくれなくなったの」
ふだんは、太陽に向かうひまわりのようないろちゃんが、今は、雨だれにうなずく花のように、しょんぼりとうつむいていた。彼女が好きな青色に、気持ちまで染められてしまったようだ。どうやら、お友達のさくらちゃんと、けんかをしたらしい。
「けんか、しちゃったのかな?」
「ううん。いろは、なんにもわるいことしてないよ。なのに……」
いろちゃんにそのつもりがなくとも、さくらちゃんがどう感じるかは別問題である。知らないうちに、気にさわることをしてしまった、というのは、よくある話だ。しかし、これは、いろちゃんが何かをした、を前提とした考えになる。そこから始めてはいけないような気がした。
「そうね。いろちゃんは、なんにも悪くないと思うわ。さくらちゃんと、どんなことがあったのか、聞かせてくれる?」
「うん」
今日の天気は雨。いろちゃんの心にも雨。この雨、見事に晴らしてみせましょう。わたしは、心の中でひとり意気込むのだった。
「このあいだね、さくらちゃんのかさがなくなったの。みんながね、いろがぬすんだって言うの」
盗んだ、とは、ずいぶん穏やかではない。他人の物を盗ってはいけない、と、どのご家庭でもしつけるだろう。それに、クラスに容疑者は他にもいるはずで、いろちゃんと特定したのには、何か決め手があったはずだ。そこが気になった。
「いろちゃんに心当たり──なくなった傘について、知っていることを話してくれる?」
「さくらちゃんといろのかさは、おんなじなの。いっしょにおかいものに行って、かわいいねって、おんなじのをかったの」
「おそろいの傘にするほど、ふたりは仲良しさんなのね」
なるほど。さくらちゃんの傘がなくなり、いろちゃんが同じ傘を持っていたとなれば、疑いの目がいろちゃんに向けられるのは当然か。しかし、ここでも気になることがあった。おそろいの傘を選ぶほど仲良しのさくらちゃんが、友人の窮地に、はたして黙っていたのかどうかである。友人にも犯人扱いされたのか、などと聞けば傷をえぐりそうなので、慎重に言葉を選んだほうがよさそうだ。
「さくらちゃんは、どうしていたのかな?」
「さくらちゃんはね、クラスの女子につれていかれちゃったの。『いろちゃんのちかくにいないほうがいいよ』って」
思い出してしまったのか、いろちゃんの目に涙が浮かんだ。鼻をすすり堪えようとしているが、泣き出すのは時間の問題である。解決を急がなくてはなるまい。
「でも、みんながいろちゃんのことを、そんなふうに言ったりしなかったわよね?」
彼女は、たとえ自分がいじめられても、やり返さない性格である。そんないろちゃんには、絶対に味方がいたはずなのだ。ここは、決めつけてかかってよいところだった。
「うん。そうじくんがね、みかたしてくれたよ」
半分涙声であったが、いろちゃんは気丈に答えてくれた。予想が当たってくれて、心底ほっとした。これをはずしていたらと思うと、ゾッとしてしまう。
そうじ君というのは、いろちゃんと同級生の男子と聞いている。さくらちゃんとは公認のカップルで、文武両道。過去に、いろちゃんとひと悶着あったが、今ではすっかり仲良しだそうだ。
ここで「おや?」と思った。そうじ君は、被害に遭った自分の彼女でなく、なぜいろちゃんをかばったのだろうか。
「そうじ君は、いいお友達なのね」
「うん。みんながね、『そうじくんが言うなら』って、いろのことをわるく言わなくなったよ。そのあと帰るじかんになって、みんなおうちに帰ったの」
そうじ君は、同級生からずいぶん信用されているようだった。疑いを晴らすには証拠が必要だ。しかし彼は、それなしにみんなの考えを覆してみせた。実に心強い友人である。しかも異性の。わたしもそんな人を彼氏に欲しい。それはもう、切実に。話を戻そう。ここでまた、引っかかることがあった。
「その日は、今日みたいに雨だったのよね?」
「うん。朝おきたらまどがぬれてて、すぐに雨だってわかったよ」
そうなると、下校するとき、さくらちゃんはどうしたのだろうか? いろちゃんを傷つけるワードは「盗む」「なくなる」である。わたしは、そのどちらも使わずに聞いてみた。
「学校から帰るとき、さくらちゃんはどうしたのかな?」
「その日はね、帰りによりみちしたいからって、そうじくんが、さくらちゃんのことをさそってたの」
恋仲にあるふたりだ。これといって不思議はない。周囲は、男子女子問わず、やんやと
ここまで聞いて、わたしの中でふいに物語が動き出した。だいぶ乙女な話で、同年代の友人には、とてもではないが聞かせられない。
とある雨の日、恋人の男子が一緒に帰ろうと誘ってくれた。女子はもちろん断らず、喜んで受け入れる。そこでこう思うのだ。「もっと彼と近づきたい」と。お互いに傘をさしていたのでは、ふたりの距離は縮まらない。手にある傘は、邪魔者以外のなにものでもないだろう。では、どうすればよいか? 女の子という生き物は、一度そうと決めたら、恋に一直線になれるものだ。そこで彼女がとった行動とは──。
「さくらちゃんは、そうじ君と一緒に帰ったの?」
「うん。さくらちゃんのかさがなくなっちゃったから、そうじくんのかさに、いっしょに入ってたよ」
男女の相合傘、か。ふたりの距離は、それはもう、ぐっと縮まっただろう。肩でもふれようものなら、と想像し、頬が熱くなるのを感じた。わたしもつくづく乙女である。
もしも、わたしの妄想が答えであるのなら、犯行動機はまったくもって可愛らしい。友人に害が及んだのは、完全に計算外だったのだろう。わたしはしゃがみこんで彼女に目線を合わせると、手を取ってこう伝えた。
「さくらちゃんは、きっと怒っていないわ。傘もすぐに見つかると思うの。だから、安心してね」
「ほんとうに?」
「あら。わたしは、いろちゃんに嘘をつくような、いけない大人だったかしら?」
わたしの言葉に、いろちゃんの瞳がきらきらと輝き始めた。彼女が咲かせる笑顔の花は、いつだって太陽に向かっているのが似合っている。見上げれば、雨はいつしかやみ、雲間から光がさしていた。いろちゃんとわたしは、ふたりそろって傘を閉じ、ふるふると雨粒を払う。背の高さの違いで、わたしの傘の水滴が、いろちゃんの顔にかかった。そんな些細なことで、彼女は大はしゃぎする。心に降る雨は、すっかり晴れ上がったようだった。
(可愛らしい犯人さん、次の雨の日はどうするのかしら)
梅雨は、まだ始まったばかりだ。けれど、恋する乙女は、雨になんか負けないのである。
おしまい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます