2020 師走 ジロー

 励ましてくれたのは、ブラジルから転校してきた日系人のジローだった。彼は潤より背が低かったが、茶褐色の肌に彫りの深い顔立ちで、皆が振り返った。


 ジローは体育の時間になると準備室で日本語の特別授業を受けていた。教師はボランティア職員でポルトガル語が話せたが、妊婦でつわりがひどく部屋を出ていくことが多かった。

「潤ちゃん、お願いね」

 潤は深婆の指示で、部活動以外の運動を見学していたので、教師の代理として度々準備室を訪れた。ジローは大体の日本語を理解していたし、深婆は体育の評価はAをくれたので、問題はなかった。 


「後ろに、下がる、シュート?」

「うん。下がりながら3Pを打つの」

 潤はジローとの会話を楽しんだ。彼女は成長が止まってFWフォワードとしては身長が足りなかったので、武器を持たなければならなかった。

 練習しているのはゴールのずっと真横からボードを使わずに決める3Pシュートで、着地の時に左足から下りれば負担が減る。潤はこのシュートを『勇気ある撤退』と呼んでいたが、未だ成功率が低かった。

「こうやって飛ぶの……わっ」

 やってみせようとして、バランスが崩れた。咄嗟に右足首を庇い、転倒しそうになった腰をジローが受け止める。彼はついでに潤の頬に口づけた。

「ボールは自由に飛ばせる。俺が見せてやるよ!」

 ジローは白い歯を見せて、急に流暢な日本語で言った。ブラジル人にとってキスは挨拶なのだろうと潤は思った。


 土曜の夕方ブランコで待っていると、ジローがサッカーボールを持ってやって来た。師走の公園は閑散としている。

「潤、よく見ていて」

 公園にゴールはなかったが、彼はボールを地面に置くと、横たわる土管めがけて幾度もシュートを放った。ボールはどこから蹴っても自在に曲がって、土管のゴールに吸い込まれた。

 潤は興奮した。ボールが生き物のよう感じたのは初めてだった。

「すごいじゃん。サッカー部に入ろうよ!」

「部活動は、しない」

 彼は器用にリフティングしながら答えた。

「どうして?」

 返事は無く、代わりに彼はポルトガル語の切なげな歌を口ずさんだ。二人の影は細長く、遠くから豆腐売りのラッパの音が聴こえていた。














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