海の上のハイエナ



「おーかーしーらー」

「あんだぁ」

「腹減ったぁ」

 言いながら、腹の音でも催促をしてくる。

「しょーがねーだろー。魚でも釣ってろ」

「魚だけじゃ腹満たされねぇよ。肉肉にーくー!」

「だぁあぁ! うるせぇ!」

 二階から見下ろすと、甲板では同じように腹の空かせたクルー達がだらけている。

「おい、お前らしっかりしろ! 次の宝を奪うまでは陸に上がれねぇと思え!」

 押し寄せるクルー達の不満の声を黙らせるために、柵を足をかけて、身を乗り出した。

「おいおいお前ら、腹が減ったくらいで次の宝を忘れちまったんじゃねーよなぁ」

 不満の声は、ざわめきへと変わる。

「デイヴィ・ジョーンズの杯だ」

 わっと歓声があがる。

 デイヴィ・ジョーンズといえば、水底で死者を監獄に突っ込むという、船乗りからしたら大層恐ろしい悪魔だ。

 そしてその杯は海賊達が今、喉から手が出るほど欲しがっている宝だ。

「今、とある海賊団がそのお宝を探してくれているところだ。俺たちは、それを横取りする!」

 みんなで腰に差していたサーベルを掲げる。

 ハイナの後ろにいる航海士を除いて。

「お宝を奪うぞ!」

「おー!」




 ハイナ海賊団は、三十人程度の小さな規模の海賊だ。

 自ら宝を求めて冒険をすることはせず、宝を持っている海賊を襲うことで宝を得ていた。

 それは海軍から追われるのはもちろんのこと、同業者からも嫌われ、肩身の狭い思いをしている。

 けれど、ハイナは決して現状を憂いたりはしていなかった。

 この海賊船に乗ってくるものは、どいつもこいつも腕っ節は確かだが行き場を無くした荒くれ者ばかり。

 ハイナは例えどんな過去を持って居たとしても、そいつらを寛容に迎え入れて、そしてたった一つだけ枷を付けた。


 ――裏切りは絶対に許さない。


 だが、枷が無くても、元々行き場を失った野郎共は、ハイナへ感謝し忠誠を誓っていた。

 それも今の、今まで、の話だが。


「お頭、二時の方向」

 小柄な航海士から小型の望遠鏡を引ったくると、二時の方向へ向けた。

「んんー? おや、あの船にあの旗は宿敵ドギーちゃんだなぁ」

 白地に錨のマーク。帆船の中でも大きく、整えられている。泣く子も黙らせる海軍様だ。

「航路を変えますか」

「いや、このまま行こう」

 ハイナは甲板に居るクルー達に、指示を飛ばしていく。

「帆を張れ、全速前進!」

 男達の鼓舞する声を浴びながら、船首へ向かう。

 そして、ハイナの船は海軍からの砲撃を避けながら、スピードを上げて接近する。

 ハイナはひとっ飛びで海軍の船に乗り込むと、その船を率いているであろうドギーの元まで、銃弾の飛び交う中を駆け抜けた。

「よう、ドギー」

 目の前で不敵に笑うハイナに、サーベルを振りかざして、ドギーは憤怒の表情を見せた。

「あはは。相変わらず酷い腕だな。海軍は剣の振り方も教えてくれないのか」

 猿のように立ち回り、剣を抜くこともなく、ただかわしていくハイナに苛立ち、太刀筋はどんどん荒々しくなっていく。

 それがハイナには余計に避けやすくなっていることを、ドギーは気付いていないだろう。

「さて、キミ達と戯れている時間はないんだ。空腹のクルー達のためにも、今日中にでもお宝を手にしなくちゃならないんでね」

「貴様! 愚弄しやがって!」

「じゃあね、海軍のドギーちゃん」

 ハイナは身軽に跳ぶと、自身の船に戻っていった。

「くっそ!」

 ドギーが忌々しそうに舌打ちしながら、拳を壁へと叩きつけた。


 帆は風を孕み、ぐんぐん前進していく。

「よーし、船に影響は?」

「左舷、二箇所に穴が開きましたが、クルーに影響はないです」

 淡々と語る航海士の肩に、ハイナは大きな手を置いた。

「上等だ。……行くぞ」

 航海士は、少し不機嫌そうに視線を逸らした。



 

「これが、デイヴィ・ジョーンズの杯か?」

 無人島の奥深く、金銀に埋もれて一際古い宝箱があった。

 箱には古めかしい銀の杯が入っている。

 宝石が三つ付いているくらいで、模様も何もないシンプルなデザインをしている。

 装飾された眼帯をした海賊、メリーは杯をくるくると回しながら首を傾げる。

「なぁんか、そそられねぇなぁ」

 メリーは貴族のような、たっぷりレースをあしらった服を着ていて、その小綺麗さから海の男には見えない。

「船長、船長に会いたいというヤツが来てます」

「ほう。通せ」

 連れてこられたのは、縄で腕の自由を奪われた華奢な男だった。

「見覚えがあるなぁ」

「……ハイナ海賊団に居た」

「ああ、あの野蛮人のとこの航海士か」

 メリーの前に転がされて、航海士は睨み上げた。

「なぁんだ、辞めてきたのか? くっくっ……部下に逃げられるとかアイツも年貢の納め時だな」

「この海賊団に入れて欲しい」

「ボクの下に入りたい?」

 メリーは、足を航海士の前に突き出す。

「じゃあ靴でも舐めてみたら? ボクの気も変わるかもよ?」

 航海士は一瞬顔を顰めたものの、メリーの部下に押さえ付けられて、無理矢理靴へと顔を近付けさせられる。


「うっわ、悪趣味」


 背後を取られて、メリーが目を剥いて振り返った。

「よう、ぶりっ子メリーちゃん」

「ハイナッ!」

「靴を舐めさせる? そいつに?」

 ハイナの手にはデイヴィ・ジョーンズの杯。

「お前、部下の裏切りを許さなかったんじゃなかったか? こいつを明け渡してやるから、その杯を返せよ」

「そいつは裏切ってねーし、そもそもこの杯はお前のものでも、俺のものでもない。



 そいつのものだ」

 ハイナが示す指の先、航海士は押さえ付けていた男を跳ね上げて上体を起こす。

 ハイナが杯を放ると、航海士はロープで絡められた腕で器用に受け止めた。


「デイヴィ・ジョーンズ様、お返し致します」


 恭しく、頭を垂れるハイナ。周囲が騒然とする。

「デ、デイヴィ・ジョーンズ……?」

 その名前に大慌てで散り散りに逃げていく、メリーとクルー達。


 最後に残ったハイナと航海士だけが、腹を抱えて笑っていた。

「全く、同じ名前ってだけでこんな大役はもう勘弁してくださいよ」

 ロープを解き、二人は両手いっぱいにお宝を抱えて船へと帰っていく。

「さすが元役者だな。堂に入ってたぜ」


 船に戻ると、水平線に海軍の船が迫っているのが見えた。


「やっべぇ、ドギーちゃん来ちゃった」

「逃げますよ。お肉が待ってます」

「そうだな。お前ら、錨上げろ! 出航だ!」

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