2029



 西暦二〇二九年。

 とあるクラッカーが世間を騒がせていた。


 ――我々は、どんなセキュリティも飛び越えて、クラッキングすることができる。


 海賊を彷彿とさせるドクロの旗が、スクランブル交差点にあるテレビの大画面ヴィジョンに浮かび上がっている。

 人々は足を止めて、画面ヴィジョンを食い入るように見詰めている。

 機械で作られた声は、人が話しているかのように流暢で、違和感なく見上げる人々の耳に届いてくる。

 僕は人混みの中で同じように画面ヴィジョンを見上げて、呆れていた。

 今時こんなことをするやからがいるんだなぁ。

 僕は止まっている人々の間を縫って、スクランブル交差点を抜け出た。


 ――我々は、全ての情報を入手する。このネットの海で辿れないところはない。


 バカバカしいと一蹴する僕のような人間もいれば、彼らをカリスマのように崇める人間もいる。

 というのも、彼らの行っているクラッキング行為は、悪徳業者や不正を働いた議院を対象にしていることが多い。

 先日もとある会社のコンピュータに不正アクセスし、政界のドンに賄賂が流れていたことがばらされて、ニュースはその話題で持ち切りになっていた。

 クラッキングは犯罪だ。義賊でも騙るつもりだろうか。

 けれど、世間は簡単に新しいヒーローとして歓迎した。


 ――我々と、新しい世界を創ろうじゃないか。



 ったく、こっちはお前らのせいでこっちは必死だっつーの。

 大通りから外れたところにあるマンション。僕は網膜認証のキーロックを外して部屋に入ると、付けっぱなしのPCのモニターから着信音が響いている。

 先方はかなりお怒りらしい。

 溜息を吐いて、僕は通話を繋げた。

「はい」

「どうなっているんだ! 日本で一番のセキュリティを売りにしているんじゃないかね!」

 日本一と言った覚えはないが、火に油を注ぐ必要はないだろう。

「……申し訳ありません」

 セキュリティシステムは常に新しく、頑強にしているが、一部のクラッカー達にとって、それを破るのはお遊びのようなものだ。

「イタチごっこなんですよ。僕らが常に新しいシステムを作ったとしても、彼らはそれを新しい技術で乗り越えてきます」

「言い訳はもういい! この損害の責任は受けてもらうからな!」

 ぷつり、と音声が途絶えた。

 やれやれ。やっとコートを脱ぐと、背後でドアが開いた気配がした。

 振り返ると、海賊のコスプレをした男がドアの前で構えていた。

「やあ」


 片手を上げて、男は笑う。

 まるで旧くから知っていたかのような自然な素振りに、言葉を失う。

「やっと見つけたよ。この前のセキュリティ破るのめっちゃ苦労したんだよねぇ」

 この前のセキュリティ……?

 その一言に男の正体が解かって唖然とする。

「お前、クラッカーの」

「そうともさ。オレがキャプテンだ」

 大仰に、男は両腕を開いて自身の存在を主張してみせる。

 ああ、道理で、網膜認証を通り抜けてここに居るわけだ。

 いや、それにしてもキャプテンって……犯罪者のくせに堂々と顔出ししているし……。

 段々目の前の男に異常を感じ、僕は一歩一歩と後ずさる。

 反対に男は一歩一歩と進み出て、距離は保たれていた。

「一体なんのつもりだ」

「知っているかい? 今や海の上でもネット環境が繋がっているけれど、昔は海図や方位磁石コンパス無しに海に出るなんて自殺行為だったんだ」

 背中が当たって、もう背後は壁なのだと気付いた。

 キャプテンと名乗る男は、歩みを止めない。

「オレは航海士が欲しい」

 航海士?

「一体、何を言って……」

「キミの腕を買いたいって言ってるんだよ。

 初めてセキュリティを破るのに三日もかかったんだ。

 キミの腕は本物だ。個人でここまでのセキュリティのものを作れるなんて素晴らしいじゃないか。

 あんな悪党わからずやを守るために、キミは泥を被る必要なんてない。



 ――二人で一緒にこの腐ったネットの海をぶち壊そうぜ」



 バカバカしい。

 そう一蹴してしまいたかった。

 そうさせなかったのは、男の目が怪しく力強く輝くからだ。


 ――我々は、どんなセキュリティも飛び越えて、クラッキングすることができる。


 ――我々は、全ての情報を入手する。このネットの海で辿れないところはない。



 スクランブル交差点で立ち止まる人々。

 彼を支持する一般市民の声援。



 ――二人で一緒にこの腐ったネットの海をぶち壊そうぜ。


 色んな声が脳内に響き渡る。

 

 ――言い訳はもういい! この損害の責任は受けてもらうからな!


 僕の作ったセキュリティシステムは、一体誰を守るためだったろうか。

 悪党は一体誰だったろうか。

 キャプテンの手が、俯いた僕の視界に映る。


「来いよ」


 有無を言わせない、という口ぶりだった。


「……その代わり、僕の作った航路をちゃんと辿れよ。キャプテン」



 西暦二〇二九年。

 海の上の海賊の絶えたこの国で、僕は海賊クラッカーになることを選んだ。




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