Last Movie.


「親父、映画館を潰すってマジで言ってんのかよ!」

「……ああ」

 たけるは、どこか気の抜けた父親の背中に苛立ち、家を飛び出した。


 武の家は、町の小さな映画館を営んでいた。

 最近は土日に一本か二本。三年前に亡くなった祖父が居た頃は毎日のようにやっていたけれど、サラリーマンと兼業する形で父親が引き継いでからは、それも難しかった。

 けれど、経営難の理由はそれだけではない。

 ショッピングモールに併設している大きな映画館へと客が流れてしまい、席が埋まることなんてほとんど無い。息子の武から見ても、お世辞にも繁盛しているとは言い難い状況だ。

 それでも、潰すとなると話は違う。

 祖父の建てた映画館は、間もなく五十年を迎えるところだった。

 祖父の後を追うように去年亡くなった祖母は、大の映画好きで、祖父と出会ったのもこの映画館だったと聞く。


 ――潰しちゃうのかよ。


 見上げたボロい映画館を見上げて、武はこみ上げてきた涙を乱暴に拭った。

 



 武の人生の中で、映画館は切っても切り離せないものだった。

 生まれた時には既に存在していて、家と近いこともあって自由に出入りしていた。

 映写室には昔ながらの大きな窓が付いていて、そこから客席を覗くのが好きだった。

 さすがに映写機はコンピュータ制御された新しいものへと変わっていたけれど、薄暗い映写室は建てられた当初から変わらない。

 祖父の視線の先にはスクリーン。


「来週から武の好きなアンパンマンだな」

「うん!」


 アニメ映画になると、友人に限らず同じ学年、クラスの子が観に来る。

 学校では親しく話したりしない子とでもこのときは話せるから、武はいつも楽しみにしていた。

 祖父は武が笑うと、武の頭を力一杯撫でた。

 ちょっと痛かったけれど、そのあと見上げた祖父の顔があまりに愛しそうに微笑むから、武もますます笑顔になった。


 大好きな祖父が亡くなったのは、三年前だった。

 酒もタバコもしない祖父は、背も真っ直ぐで、病気なんてしたことないような元気な人だった。

 上映が終わった映写室で、祖父は眠るようにして亡くなったと聞く。

 武はその時まだ学生で、連絡が来て慌てて学校から帰った。

 祖父の眠ったような死に顔を見ながら、胸から何か零れていく感覚を覚えた。


 人の死とは、こんなに悲しいのだと、初めて知った。

 そして、祖父という支えを失った映画館も、少しずつ目に見えて寂れていった。



 昔祖父に貰った合鍵を使って、武は館内へと踏み入れた。

 誰もいない、静寂に包まれているはずなのに、どこか温もりを感じる。

 ふざけてジュースを溢して怒られたこと。

 祖母の膝に乗せて貰って、アニメ映画を観たこと。

 映画が終わった後、五時のチャイムが鳴るまで友達と感想を言い合ったこと。

 武は客席に座って、何も映さないスクリーンを見上げた。

 どこもかしこも古い映画館だから、座り心地はあまりよくない。

 一本の映画を観終わる頃には、お尻が痛くなっている。

 ポップコーンの香ばしい香りがあちこちに染み付いていて、今でも匂い立つ。

 思い出がいっぱい詰まった宝箱のような、この映画館が無くなってしまうなんて、考えられない。

 ――考えたく、ない。


 ぼんやりしていると、スクリーンに光が灯った。

 顔を上げると、映写室から父親が武を見下ろしていた。

「親父」

 音楽が流れ始めて、映画が始まる。

 昔の有名な白黒映画だ。

 武は何故父親がこれを流し始めたのか疑問に思いながらも、次第に内容に集中するようになっていった。 

 光がスクリーンに差し込んで、ドアが開いたのがわかった。

 隣に腰を下ろして、父親も武と同じように顔を上げてスクリーンを見詰めている。

「ごめんな」

 その謝罪は、誰に対してなのだろうか。

 何に対してなのだろうか。

「武がこの映画館を愛していたこと、わかってはいるんだ。でもな、どうしても……」

「いいよ。分かってる」

 二人して口を噤む。

 スクリーンの中では、女優がくるくると表情を変えている。

「この映画、祖父ちゃんが一番好きな映画なんだ。何度も上映してただろ」

「……たしかに」

 今度は二人で、祖父を思い出しながら映画を見上げる。

 沈黙の中で、少しずつ蟠りが解けて、穏やかな時間が流れる。

 スクリーンにはエンドロールが流れて、武は涙に気付かれないように父親に背を向けた。


「映画館は無くなっても、ここで観た映画の思い出はずっと残ってるだろ」


 振り向くと、父親の目にも同じ光るものを見つけた。

 武以上に、父親にはこの映画館に思い入れがあるはずだ。

 この悲しみも、同じように感じてくれている。

「……うん」

 映画が終わっても、しばらく二人でスクリーンを見上げていた。

 まるで、この映画館の最期を悼むかのように。



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