乙女解剖【残酷描写あり/暴力描写あり】



 十九世紀、スモッグに包まれた夏のロンドン。

 昼間からジンに溺れる貧民街、ホワイトチャペル地区で、娼婦メアリーの死体が見つかった。

 顔も体も切り刻まれるという残忍な殺害方法に、世間は騒然となり、犯人はジャック・ザ・リッパーきジャックと呼ばれ注目を集めた。


 そして、私はメアリーを切り刻んでいる彼を見ていた、たった一人の目撃者だった。


 通称ジャックは、随分とイカレた男だった。

 メアリーは娼婦の中でも年を重ねているほうで、五人の子持ちだ。彼女はアルコール中毒で、ジャックと出会ったときも酩酊していた。

 彼は首元を一瞬で引き裂くとメアリーの体に医者がメスでも入れるかのように、躊躇なくナイフで体を引き裂いていった。

 その目に映る狂喜といったら、恍惚に浸って弛んでいる口許といったら……。


 私は一瞬で惹きつけられた。

 見つけてしまった。

 彼は最高の玩具だ。



 それから間もなく、ジャックは二人目の娼婦に目をつけた。

 娼婦アニーもアルコールに依存している貧困者で、体を売ることで足りない生活費を補っていた。

 ジャックはアニーを窒息させると、メアリーを切り裂くときに使ったナイフをアニーの体に突きたてた。

 余程興奮しているのだろうか、乱れたジャックの息が、数メートル離れた私の耳にも届いてくる。


「それって楽しいかい?」


 人に見つかったことに驚いて、ジャックは体を縮めた。

 怯えているのか、体を震わせて私を見上げる。

 まるで、母親に怒られた子供のようだ。


「ああ、気分を害したならすまないね。でも、犯罪というものは常に美しくなければならない」


 ジャックは私の行動に戸惑っているのか、右へ左へ視線を彷徨わせている。


「キミの犯行には、美しさが足りないんだよ。ジャック・ザ・リッパーきジャックくん。それではね」


 私はジャックのことをあえて調べることはしなかった。

 彼が犯行を続ける限り、また会うこともあるだろうと思っていたからだ。

 新聞ニュースには、大きな見出しで第二の殺人について書かれていた。

 目撃者のいないことで警察も随分と手を拱いているようだ。

 

 深夜の、一段と濃い霧の街の中で、私は馬車から降りた。

 ホワイトチャペル地区は今日もジンに溺れる者たちが、酔い潰れて道の端に転がっている。


 私の革靴の音だけが、死んだ夜の街に響く。

 カツ。カツカツ。カツカツ……コツ。

 ふと、私の足音以外の靴音が混じってきた。

 犯罪のにおいに、背筋が震える。

 人気のない方へ進むと、足音はリズムを崩した。

 間合いを詰めてきたのがわかる。


「ここで私を殺すかい?」


 振り返ると、先日、幼子おさなごのように体を震わせていた、ジャック・ザ・リッパーきジャックがそこに佇んでいた。

 左手には彼のお気に入りのナイフが見える。

 ジャックはほんの数秒逡巡して、首を振った。

「じゃあ、美しい犯罪に興味を持ってくれたのかね」

 ジャックは、頷いた。


「美しい犯罪っていうのは――」


 こうして、私はジャック・ザ・リッパーきジャックをプロデュースすることになった。

 スコットランド・ヤードに複数の人間から手紙を送らせて、情報を混乱させた。

 そして、夏も終わり、秋の入り口に差し掛かった頃。

 ジャックは第三の殺人の途中、見つかるという失態を犯した。

 彼の犯罪の証でもある、臓器を奪うことが出来なかった。

「顔は見られなかったんだ。次は失敗するなよ」

 丁度その時、視界に新しい獲物が映った。

 まだ渇きの癒えないジャックの喉がこくり、と鳴る。

「いいよ、行ってこい」

 第四の殺人。ジャックは欲求の全てをぶつけるかのように、キャサリンにナイフを突き立てる。

 私は犯行現場の近くの壁にチョークでメッセージを書いて、ジャックの裂いた腹から腎臓を取り出すとアルコールに漬けた。

 後日警察に送り届けると、世間を絶望へと突き落とした。

 

「やあ、ジャック」


 真夜中のホワイトチャペル地区。

 品定めするかのように、次の殺人の標的を探していたジャックと私は呼び止めた。

「次の標的だけれど――」

 ジャックは、話を聞いた当初、首を横に振って拒否を続けていたが、私の「警察に突き出す」の一言に、渋々頷いた。

 イーストエンドの、彼女の住むアパート。

 メアリー・ジェーン・ケリー。二十五歳の娼婦だ。

 ジャックが、娼婦を嫌いになった原因の女だった。

 ジャックは彼女に片想いをしていた。

 何度も彼女の元へ通い、手酷く裏切られて、娼婦を憎むようになった今でも、彼女だけは手にかけようとしない。

 私はいつものように現場でジャックの様子を楽しんでいた。

 最初は、震えていたジャックも、次第にいつものようにナイフを振りかざすようになっていた。

 首、顔、腹部……。

 死体は元の姿を無くしていく。

 瞬間、ジャックの目から、涙が零れた。


 ああ、この玩具も終わりか。

 私はジャックに興味が失せて、ケリーの部屋を後にした。



 その後、ジャックの代わりになるシリアル・キラーは出てこなかった。

 ジャックの行方は誰も知らず、ロンドンにはただ恐怖の夜が残されただけだった。



 

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