朝と理想とパートナー
柔らかな雨の音のような、カーテンレールを引く音。
思わず眩しくて、日射しから逃れるようにシーツを引き上げる。
「おはよう、朝だよ」
「あと、三十分……」
「だーめー。今日は映画館に行くんでしょ」
彼女の弾んだ声に、僕は寝ぼけ眼を擦った。ベッドサイドのメガネを手の感覚で探していると、彼女は僕の横に腰を下ろした。
そして、探していたメガネを取ると、僕の手にそっと乗せた。
「はい、メガネ」
「……ありがとう」
柔らかな日射しの中で、彼女が笑う。
女神みたい、なんて言ったら、君はどんな顔をするだろう。……言えそうにはないけれど。
上半身を起こすと、シーツを引き剥がされた。
「朝ご飯できてるよ、顔を洗ってきてくださーい」
「はーい」
彼女はシーツを抱えて、ベランダへ。
僕はだらだらと洗面所へ。
歯を磨いて、顔を洗って、髭を剃って――。
「目は覚めた?」
彼女が鏡越しに覗きこんできた。
「うん、覚めた」
手を繋いで、彼女に連れられるままリビングへ。
四人がけのテーブルに、すでに朝食が並べられている。
彼女は一日の始まりは朝食だからと、量を多く食べたい人で、僕は朝は和食派だ。
二人の意見を尊重した結果、ご飯に味噌汁、焼き魚、海苔、玉子焼き、ボウル一杯のサラダが用意されている。
最初はこの量を食べきれなかったけれど、彼女に負けじといつの間にか食べられるようになっていた。
二人でいただきます、と手を合わせると、お互いに味噌汁から口にする。
打ち合わせした訳じゃない。僕達の一口目が味噌汁なのは、付き合う前からそうだった。
一緒に住むようになって、気付いた偶然だ。
「今日のお味噌汁はどうですか?」
「美味しいです」
彼女の作る豆腐とワカメの味噌汁が、僕は一番好きだ。出汁から作ってくれているのだろう。雑味がなくて透き通った味がする。
二人で黙々と平らげていく。テーブルを埋め尽くすような朝食も、綺麗にお皿だけになっていった。
「ごちそうさまでした」
二人で手を合わせる。
今日も朝ご飯を無事に頂けたこと、そして作ってくれた君に感謝の気持ちを込めて言う。
僕は、お皿を纏めると食器を洗いに。彼女は洗面所へ化粧をしに。
元々、薄化粧だから、食器を洗っている間に彼女の化粧は終わる。
「洗い物してくれてありがとう」
「こちらこそ。ご飯作ってくれてありがとう」
そして入れ替わって僕が歯を磨いて、あとは二人で服を選ぶ。
マネキンの気分になりながら、僕は彼女の着せ替えを楽しんでいる様子を見ている。
最初は彼女の口出しすら抵抗があったのに、今ではされるがままになっている。
「はい、できた」
「ありがとう」
「じゃあ、わたしも着替えてくるね」
理由は一緒に住んで三ヶ月経ってからわかった。彼女が、僕の服装に合わせた服を着てくれていること。
それからなんとなく任せてみたら、彼女のコーディネートのほうが好きになってきた。今では一緒に出かけるときはお任せしている。
彼女が着替えている間に、ガスの元栓を閉めて、電気を消して、今一度映画の上映時間を確認する。
「どうでしょうか」
モデルのように決めポーズで出てきた彼女に拍手を送る。
「バッチリです」
春だから、お互いにパステルカラーを使っている。
僕のミントグリーンのシャツに、彼女のパステルピンクのロングスカートが映える。
彼女が言うには、二人が合わさってトータルコーディネートなのだそうだ。
「さて、行きましょうか」
腕を差し出すと、彼女は笑った。
「今日はなんだか紳士だね」
「いつも紳士のつもりだけどね」
お気に入りの靴を履いて、行ってきます、と二人して誰もいない室内に声をかける。
これは彼女の、「おうちにも言うんだよ」という思想に基づく。帰ってきたら、「ただいま」も忘れない。
ドアを閉めて、鍵を閉めて、今日という素敵な一日が始まる。
おわり
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