第2話 ついてない!

やんわりと日差しの入る室内。朝だが、暖房をつけたままにしているのでともすれば微睡に沈んでしまいそうな柔らかい暖かさに包まれている。


「うえええ、眠いぃ……。」

「頑張ろうよちづき……せっかくの京都……ふわぁ。」

 

さて、時は午前八時。眠たい眼を擦りながらちづきと観月は起きた。朝は苦手な観月だったが、定刻通りに起きられたのも先輩、恩田と播本の……ひいてはちづきのおかげだった。ダブルを二部屋しかとれなかったとのことで、先輩二人と同期二人とで分かれて泊まったのである。その先輩の部屋からモーニングコールがあり、それに気づいたちづきが受けとる連携プレーの完成だ。


しかし今や起こされた側の観月がちづきを揺さぶって準備を整えさせている。ロビーに八時五十五分集合なのだ、早く起こさないと先輩達を待たせてしまう。


「ほらちづき……着替えと化粧……まず顔洗いなよぉ……。」


今し方洗顔と歯磨きを終えた観月も未だ眠たい。しかしなんとか動いていると、だんだん意識がはっきりして来るものだった。ちづきを揺さぶりつつ色々と準備を整えておいてやる。

と、その時、振り返った観月の目にある光景が飛び込んできた。


「ちょっと、見てちづき!これ!」

「んぇ……?っあ、雪⁉」


窓の外には遠い景色の京都タワーと、蒼くそびえる山の稜線。そこに軽やかに雪が舞っていた。それはそれは美しい光景で、しばらくの間見とれてしまった。……まるで日本画の中みたい。そう夢を見させるには充分だった。


「って……はっ!八時半⁉」

「あっ。そ、そうだよちづき、早く準備!準備して!」

「ああああ頑張る‼集合何分だっけ⁉」

「五十五分!」

「ワンチャンいけるかも!観月部屋の整理よろしく!」

「任された!」


はっと現実に帰ってきた二人は、慌てて支度と片づけを始める。すでに粗方準備を終えている観月はちづきの使い終わった品々をキャリーバッグへ詰め込み、合間に使った部屋着をたたんでセットしておく。

夫婦顔負けのコンビネーションを発揮し、何とか時間までに集合場所へ着くことができたのだった。


                   ○


「なーにギリギリまで部屋に閉じこもって。風情がない!」遠くから播本が叫ぶ。

「播本も寝ぼけ眼でモーニングコールしてたろ。」


播本は既にホテルを出て、舞う粉雪の直中に身を踊らせていた。それを恩田はしれっとした顔で眺めているが……あれは、なんと絵になることか。播本の長く手入れの行き届いたブラウンの髪、黒いパンツに雪の白が良く映える。思わず観月はシャッターを切った。

なかなかうまく撮れた……いや、被写体が良いのか、と写真を確認していると、隣からぬっと恩田が覗き込んで来る。


「速水、写真上手いんだな……。それ、後で送ってくれないか?サークル紹介に使える。」

「わかりました、後でラインで送るのでいいですか?」

「あぁもちろん。ありがとう。」


満足げに恩田は去って行った。なんだか随分満足そうだが、取れ高があったからだろうか。昨日は水族館行っただけだしな……と思いを馳せる。

今日は上手く事が運ぶ一日でありますように、と一人、こっそり祈った。


                  ○


観月の祈りは叶ったような叶わなかったような何とも言えない結果に終わった。

まず叶わなかったそれは、……改札を間違えた。近畿鉄道に乗りたかったのに、JRに入場してしまったのだ。近鉄の表示を見つけた一行は、駅員さんに平謝りして漸く改札を出ることができたのだった。

次に、叶ったことといえば。昨日行こうとしていた東寺、それはまさにこの路線で一駅目だったことが判明した。つまり——時間さえ間に合えば、帰り道に寄ることができるということだ。


 それに関しては一つ課題があった。それは、奈良国立博物館……本日の第一目標だ、その近くには春日大社に興福寺がある。春日大社といえば鹿!興福寺といったら阿修羅像!どちらも行かない手はない。ここを逃すなどありえない。それで、かつ東寺へ行けるだろうか——予想してみれば、答えは絶望的だった。


「でも、まだ明日もチャンスはあるんだから!」

という播本の励ましが頼もしい。とりあえず周れるだけ周って楽しもう、そういうテンションで行くことにした。テーマパークに来たかのような姿勢に落ち着いてしまったが、良い感じに肩の力も抜けるというものだ。これで良しとしよう。


楽しみだなぁ、奈良博。楽しみだなぁ、春日大社に興福寺。そんなことを考えていると、うとうとと眠りの淵へ滑り落ちそうになる。いけない。さっき朝食を食べたばかりだ。眠ると酔いかねない……そう思いながらも、この先まだ四十分ほどある時間を寝ずに過ごせるとは思えなかった。ちなみにちづきは既に眠っている。左の肩にちづきの重さが乗っている。車内の暖かさ、穏やかな揺れに誘われて、観月も誘われていった——。


                  ○


「観月ちゃん、観月ちゃん!着いたよ、奈良!」

「……んはっ⁉」

「着いたんだよー、古都奈良へ!」


目を開けて辺りを見渡してみると、たしかに「近鉄 奈良駅」との表示が目に入る。……四十分寝ちゃったのかぁ。周りの景色を見ることが叶わず勿体ないと思いながらも、電車を降りる。さて、これからいよいよ奈良国立博物館だ!心が浮足立って来る。

すると他の三人も同じらしく、皆揃いも揃ってワクワクとした表情を隠そうともしない。流石は歴史探索サークルのメンバーだ。


「さて、歩くぞ!心配するな、昨日のリベンジでみっちり道は確認してきた!」

「流石です恩田先輩‼それで、どう行くんですか?」


ちづきは観月と同じく気になる様子でいるが、播本が不信感を醸し出している。その播本の期待に応えるかの如く、恩田は言う。そう、きっぱり、はっきりと。


「奈良博、興福寺方面と表示が出ているはず。出ていなくても大丈夫!右の出口出て一本道をずっと歩いていけば着く!」


リベンジといいながら何とざっくりしていることだろう。少し不安になってきた。播本を見てみると、眉間に手を当ててあからさまに悩ましげである。


「さて、まずは出口を探さないと!皆、行くぞー!」

「はーい!」


ちづきと恩田だけはうきうきとして左手に出る出口に向かっていく。どうやら今日も大変な目に遭いそうだ。東寺は諦めるほかない。


                     ○


「鹿‼鹿がいっぱい‼かわいい‼」


鹿煎餅、鹿煎餅売ってないの⁉ねえみて観月、めっちゃ可愛い‼と落ち着かないのはちづきだった。確かに可愛いのだが、あまりのはしゃぎっぷりに周りの外国人でさえ近寄ろうとしていない。近寄って行くのは鹿だけだ。

ちづきは近鉄奈良駅を降りてすぐのところからずっと周囲にいる鹿にはしゃぎ通しだった。そのおかげでちっとも歩みは進んでいない。嗚呼……奈良博が目的だったのに、いつのまにか目的地が鹿煎餅売り場にすり変わっている……どうすればいいんだ……。


周囲の注目の的になっているちづきをいつ現実に引き戻すか三人は考えていた。

正直言ってあんなハイなちづきに近寄りたくない。遠巻きに衆目を集めてるから恥ずかしいし。鹿とちづきの間に入りたくない。ちづきに何をされるかわからないし。

しかし、随分時間が経っている気がする……とちらりと時計をみると、まだ駅が見える位置までしか来ていないのに、時間は二十分も経っていた。これは、なかなか、やばい。


「お、恩田先輩‼やばいです、時間見てください‼」


まずは遠くを見つめていた恩田に現実へ帰ってきてもらう。「うわっ」と一声上げた恩田は果敢にもちづきと鹿の間に割って入っていった。おお、勇者よ。頼んだぞ。気分はまるでRPGの村長だった。


「岸本ぉ、俺達の、もくてっ……きは、奈良博じゃなかったのか……⁉」


孤軍奮闘する勇者に、鹿達が鼻を擦り付けてくる。群がられてゆく勇者……食べられるものを持っていないかボディチェックされている。鹿に。

その時、声が届いたのかちづきがぱっと顔を上げた。


「そっ……そうでした!奈良博へ、そして今日こそ色々周る、絶好のチャンスの日‼」


すみません鹿にかまけて、すみませんー‼と半泣きで帰ってきた。勇者……もとい恩田先輩素晴らしい手腕だった。今はちづきに腕を引っ張られ足をもつれさせながら鹿から逃げているけど。


「ほら、奈良博行くぞ!時間がやばい!」この勢いで!はやく!と言い残して二人は遠ざかってゆく。私達が置いていかれるわけには行かない、と二人、小走りで走って追いかけた。地下道を潜り。鹿の間を縫い。信号につっかかり。そうして漸くたどり着いた奈良博は輝いて見えた。まさしく希望の星、我等の目的地よ!


「つ、着いたな……」息も絶え絶えに恩田が言う。

「重ね重ねすみませんっすみません‼」ちづきが平謝りをしている。

「まあ、取り合えず早く入館しましょうよ。あそこの立派な建物、案内図によると仏像が展示されているようですよ!はやくはやく!」


なんとかかんとかして奈良博最初の建物へ向かった——。のは良いのだが、まず敷地に足を踏み入れて見事に全員、「どの建物にいけばいいんだ?」と首を傾げた。案内図を発見し、まずは特別展だと意気込み向かって左手の建物へ向かう。近づいていくとあるものが見えてきた。今見たくないもの。それは


「あれっ、閉まってる……わね……?」


CLOSEの文字。播本が言うように、入口とおぼしき場所は封鎖されていた。まさか、今日休館日なんじゃ……という視線を受けて恩田は「ち、ちがう、ここは月曜日休みだったはずなんだ!」といってしおりをめくっている。


「うんそうだ、ここは月曜休みで、今日は火曜。開館しているはずなんだ。入口、他にはないかな?」

恩田のその一言により全員で建物の外壁沿いに進んでいった。入口をもう一つ見つけた!そう思ったが、やはりここも封鎖されている。実はやっぱり休館日なのではないか、という疑問が累積されているのをひしひしと感じているのか、恩田は肩身狭そうに歩いている。二つ目の扉が閉まっていることを確認し、角をもう一つ曲がる。……すると。


「……あっっ!」

「あっ!ほら、いったろ⁉今日は開館日なんだって!」


嬉しそうに恩田が言うように、そこには仏像館の入口があった。まさか——まさか、裏手に入口があるとは。そんなこと、皆目見当もつかなかった。呆気に取られながらチケットを購入する。

それからはトラブルなく、平穏に時は過ぎていった。仏像館を巡り、次に新館へ。時間をかけて巡った館内は、やはり国立博物館なだけあって充実していた。しかし、そうした展示を見ることには二つのものが当然着いて回るわけで。


「えーと……これからどうします?」行く予定だった春日大社、逆方向ですよねと伝える。

「うっ……ううっ……すみません時間くって……すみません……」ちづきは反省の意を見せます!と言って大量の図録、目録を手に持って呻いていた。

「うーん……仕方ない、春日大社をパスして興福寺へ行こうか。阿修羅像は欠かせない。」

「あっ阿修羅像!みたい!」静かだった播本が生気を取り戻したかのように声を上げた。


本日のルートは変更して、そのまま駅方向にある興福寺を目指す。いざ、興福寺。いざ、阿修羅像!


                ○


興福寺 着いたはいいけど また鹿か おいおい待てよ、それ食べれぬぞ


……はっ。思わず一句詠んでしまった。あまりに重そうだったのでちづきと図録を持つのを交代し、興福寺に入って少しした頃。観月は鹿に囲まれた。ぐいぐいと紙袋を鼻で押される。……たしか、鹿って紙袋食べるって聞いたことあるな、と思いだし今に至る。それからは紙袋はもちろん、がっちり腕の中にホールドだ。

そうしてお宝を自ららの身で守りつつ、収蔵物の拝観、そして堂の仏像たちを見て回る。もちろん、途中で朱印を貰うことも忘れずに頼んだ。やっと事態がスムーズに動きはじめた……と「気を確かに」のメンバーは誰しもが思った。まだ時間の余裕はあるし、東寺も行けると。


……しかし、神さまはそれを許さなかったらしい。傘など持ってきていないにも関わらず、雨が降ってきたのだ。雨が降らなくとも、朝雪が数分でも降ったくらいには寒い。そこに雨粒がびゅうびゅうと吹き付けてくるのだから堪らない。

この中を歩くと風邪かインフルかを引きそうだ、その前に図録が被害に遭うということで、軒下で待機を余儀なくされる。あぁ、今日もダメな日かなー……とぼんやり悟った。


事実、そういう日だった。その後も余りの寒さと疲れにより東寺をすっ飛ばし一旦ホテルへ避難。その後夕食の買い物とお土産の物色で駅ナカの店店を回るもののここがどこかわからないと迷子になる。結局、今日もツイていない日だった。


四人でホテルへ帰り、各々図録や写真をみて一日を振り返ったり気ままに過ごしている。さて、残るはあと半日。明日は京都国立博物館へ、その後東寺へ行く予定だがどうなるやら。なにせ半日で回らねばならないのだ、強攻策といわざるを得ない。明日も早いし今日は疲れたとの言で、この日は解散となった。


明日は——明日こそは、巡り会わせの良い日でありますように。そう願いながら布団に潜った。

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