第37話 人間不信の人間

「痛い、痛い痛い痛い痛い……! ああ、生きている。幸せです」

 顔は見るも無残に溶けて上半身はほぼ焼け爛れ、立つことなど不可能なほどダメージを受けているにもかかわらず、カノープスはゆらりと立ち上がって、享楽のため息をついた。

 ミシミシと身体を鳴らし、骨が露出する腕で、何事もなかったかのように針を振るう。


「ぐっ……!」

 突き刺すだけでなく曲がりくねる針の動きが読めず、フラムは体を拘束され尻尾を掴まれた。

「離せ! このっ!」

 逃げようとジタバタ暴れるが、前足に枷をはめられて地面に叩きつけられた。炎を吐こうとするも、すぅーすぅーと息が出るばかりだ。


「馬鹿な! 私の力が使えないだと!」

「エルメス様にお力をいただいた特別な枷です。精霊の力など恐れるに足りません」

 フラムを足で踏みつけ、カノープスは心底嬉しそうに笑う。焼けていたはずの肌は徐々に回復し、表情がわかるほどになっていた。


「フラムチャンから離れな!」

 リベルタは敵をどけようと腕を振って旋風を巻き起こした。しかし、直後にグラグラと視界が歪み、片膝をついた。呼吸も荒く、肩で息をしていたことに気づく。

「……毒か」

「これでお前もおしまいです」


 カノープスは細長い針を数本束ね鞭のようにしならせると、二人を突き刺そうと振り上げた。


 そこでへガラガラと大きな崩れる音と共に、陽介率いる解放戦線が乗り込んできた。部屋の側面、アリエッタたちが閉じ込められている部分の壁が競りの会場に繋がっていたのだ。


「みんな無事か!」

 男たちは炎弾を受けてひしゃげた部分から檻をこじ開けて、陽介はアリエッタの傍に駆け寄った。

「今自由に……って、枷を付けられているのか。鍵穴は……?」

 持っている鍵で開けてみようと枷に触れると、するりと落ちて砂になった。


「私は大丈夫。それより彼と、フラムたちを助けてあげて!」

 アリエッタは獣人の方を手で示す。

「君、声が……!」

「いいから、早く!」

 陽介が獣人の枷に手を触れると、同じように砂となって消えていった。


「礼を言う」

 縛るものがなくなり自由になった獣人は、立ち上がり咆哮した。壁も床も天井もビリビリと振動が走り、地震のような激しさを放つ。しかし不思議と心地よい揺れは、カノープスの体制だけを崩し、解放戦線には足の裏から沸き上がるような力を与えた。


「……テラ様」

 サビアは小さな声をこぼした。記憶が地の底から湧くように駆け巡り、守護者がいた平和な時代を鮮明に思い出した。

 土の民は皆獣人を囲み、土の精霊テラの復活を喜んだ。テラは愛しい民を抱きしめ、よく耐えてくれたと涙を流した。


「アーシア、何故同族を売った」

 檻から出てフラムたちの前に立つテラの呼びかけに、カノープスは首をかしげる。

「アーシア? 誰のことでしょう。私は生まれた頃よりエルメス様の物でしかありません」

「違う、お前は我が民。我らが家族」

 歩み寄るテラに、憎悪の感情をむき出しにする。


「お前にはわからない! ずっとひとりぼっちだった私の孤独を! 誰からも哀れみの目を向けられる悲しみを! 家族など誰もいなかった!! そんな私に、痛みを感じることこそが生きる喜びだと、エルメス様は教えてくださった!」


 感情的になって、初めて彼女は記憶が混同していることを知る。小さい頃から聖都にいたという記憶が曖昧で不鮮明になり、怯えながら森を歩き、誰かに捕まったものに変わっていく。


 聖都でエルメスに貢がれ、調教という名の性的拷問により恐怖と快楽と絶望に支配されたこと、もっと楽しみたいからという理由で大人の体に変えられ今の自分があるということ。


 全てを思い出し、絶叫したカノープスは魔法が解けて少女の姿に戻ったが、既に息絶えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る