第7話 雨の止まない町
陽介は、もやのかかった夢を見ていた。シルエットしか見えない誰かが、しきりに助けを求める声が聞こえる。そうだ、この世界へやってきた時に聞こえた女の人の声だったと気づき、誰なのかと訪ねようとしたころで目が覚めた。
香ばしい匂いに視線を落とすと、ビスクドールが朝食をトレイに乗せて持ってきていた。ベッドの脇に置くと部屋をさっと出ていく。野菜を適当にちぎったサラダと、フランスパンを更に焼いたような固さのパンを牛乳で無理やり流し込んで起き上がり、店主に挨拶をした。
「おはよう、よく寝られたかい?」
「おかげさまで。今日はよろしくおねがいします」
臭さと湿っぽさは、寝てしまえばどうにかなった。出発準備を手伝いドールの部品と武器や防具を乗せて、荷車を引かせる馬を出していたのだが、半身に鱗や水かきが生えていることに気づいた。
「水馬を見るのは初めてかい?」
「はい。もしかして、海も渡れるんですか?」
「ハッハッハ! 流石に海は無理だけど、川や湖ならひとっ走りさ。そら行くぞ!」
積み終わると乗り込み、舗装すらない道なき道を荷馬車は走る。川が氾濫し行く手を遮る濁流となるがものともせず、水馬は悠然と進んでいく。
川を二つ超え町に近づくほどに雲が厚くなり、ポツリポツリと雫が落ちてきた。水源が枯れている話を聞いたが川は溢れるほどだったし、こうして雨も降っている。聞いていたのと随分違うなと、陽介は思った。
「町が見えてきたぞ」
「炎の大陸の町より広そうだ」
(どうにも嫌な予感がする……)
新しい町が見えて少しばかり高揚感のある陽介とは対照的に、フラムは形容し難い気配を感じて身震いした。
町に着くと、建物が所々傾いていた。店主が言うには三年間晴れること無く雨続きで、地盤が緩くなってしまったせいらしい。武器の売り込みと情報収集を兼ねて酒場にやってくると、店主は入るなりドール職人は男の夢とロマンと希望の星だと酔っ払いたちに絡まれていた。ここでは有名人らしい。酒場で接客にあたっている女性はドールのようで、声のない笑顔で手を振られた。
大柄な酔っぱらいには嫌な思い出があり、巻き込まれたくない陽介がカウンターの端っこに座ると、若い青年二人に話しかけられた。雨が振ってはいるがまだ日の高い時間帯だというのに、顔を真っ赤にして葡萄酒を煽っている。
「やあ、君も雨で仕事を失くしたの?」
「いや、ドール屋の手伝いをしているんだ。また魔族も出たから、武器とかも一緒に売ってる」
「いいな~仕事のあるやつは。俺は農家なんだけど、作っても作っても根腐れするからやめちまった」
「また魔族が出たって? 勇者が全部倒したって聞いたけど。それが本当なら、冒険者だったボクはまたお仕事にありつけるな」
「あーやめろやめろ! 勇者の話なんて!」
勇者の話題になると、深く酔っている方の青年は耳を塞ぎ首を横に振った。
「ごめん、詳しく聞かせてもらえないかな? 俺、炎の大陸以外知らなくて」
なるべく情報が欲しいので、陽介は食い下がってみた。
「魔王討伐後すぐくらいだったかな。この町に勇者とピアーチェ姫がやってきて、姫が『雨の降る町の景色は美しいですね』なんて言うもんだから、それ以来雨が降りっぱなし。町が水没するのも時間の問題だろうね」
青年が足で床を叩くと、歪んでいる板がブシュッと水分を含んだ嫌な音を立てる。
「おまけにこの水は錆びてて飲めたもんじゃない! のみみずはせーとのきょーきゅーだよりなんだよぉ~」
グラスをテーブルに叩きつけ、自棄になって青年はドールにおかわりを注がせた。
(ピアーチェ姫……また知らない言葉が出てきたな。でも、初めて聞いたような気がしない)
「治める水の精霊はいないのか?」
と問うと、二人組の青年はお互いに顔を見合わせて、なんのことやらと肩をすくめた。
「せいれい? なんだいそれ。ボクらはこの大陸の生まれだけど、そんなものは聞いたことがないよ」
「俺もだ、炎の大陸には天気変えてくれるせーれーってのがいるのか~うらやましい~」
何かしら情報が得られると思っていた陽介は、面食らってしまった。二人の言葉を聞いて、マントの中のフラムがぞわっと震えたのがわかった。
「あー、うん、そんな感じ。というか、雨が嫌なら引っ越しちゃえば?」
相手が酔っ払っているのをいいことに、言葉を濁し話題を逸らした。
「僕たちはこの町から出られないんだ。もし外に出ようものなら、雷に打たれて丸焦げさ」
「そーそー。あめのふるまちは、ひとがすんでこそなんだとよ。だからこーして酒飲んで、人生をろーひしてる」
青年たちとそんなやりとりをしていると、解放されたドール屋の店主がやってきた。しばらくここから離れられなさそうだから、代わりに売り込みをしてきてほしいとのことだった。報酬を出すと聞き、仕事になるならと快諾した陽介が酒場を出ると、フラムがすとんと降りてきた。
「どうしたんだよフラムさん、元気ないぞ」
「なんと、なんということだろうか……」
力なくうなだれるフラムは、深いため息をついてこう続けた。
「我々は、忘れられているのだ」
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