2020年4月29日

 動かなくなった『ダザイ』を見つめていた私は、それがまるで某有名アニメスタジオ作品『風の谷のナウシカ』に登場する古代の生物兵器の残骸のように思えてきて、そのうちしき魂が乗り移って今にも動き出してくれるのではないかという良からぬ妄想に取り憑かれはじめていた。


 何度目の確認をした時だっただろうか。色鮮やかだった『ダザイ』の背中のマダラ模様が、少しずつ色彩を失って墓石のような灰色へと変化しはじめているのに気づいたのは。間違いなく『ダザイ』は死んでいる。いや、今回ばかりは『死んでいる』ではなく、『死んだ』というべきだろう。私の勘違いだったとはいえ、以前であれば何度も死の淵から蘇った『ダザイ』に対して『死んでいる』という一時的な状態を示す形容が相応ふさわしかったとも言えるが、今の『ダザイ』は違う。奴は『死んだ』のだ。完全に、完膚かんぷなきまでに。『死んでいる』などと復活を期待する微かな希望を匂わせる表現を使ってしまっては、私がまだ『ダザイ』の死を受け入れられずに現実逃避をはかっているように聴こえかねない。いい加減にしよう。意味もなく水槽の蓋の開け閉めを続けたところでいたずらに時間を浪費するだけだ。過ぎた時間は戻らない。それは私だけの時間ではなく、『ダザイ』や『ホウサイ』と共有したものだ。相対性理論のほころびでも誰かが見つけない限り、時間というものは不可逆なものなのだ。ジョン・タイターや『シュタインズゲート』のようなタイムリープや時間旅行はフィクションの中だけにしか存在しえない。


 他サイト用の作品を執筆していた私は、少し休憩しようとパソコンから目を離し、懲りずに水槽の蓋を持ち上げて『ダザイ』の亡骸なきがらを確認した。変色度合いは先刻と変わっていないように見える。未練がましく水面に目を走らせていた私は、水草の隙間からナメクジ部分を覗かせている一匹のスネイルに目を留めた。水槽内で勝手に爆繁しているスネイルたちは全体的に薄茶色をしているのだが、そいつのナメクジ部分には黒胡麻のようなものが付着していた。その見慣れたフォルムとサイズ感、それから黒光りする硬そうな質感を目にし、私はピンセットでそのスネイルを摘んでナメクジ部分の黒い物体をよく観察してみた。間違いない『ホウサイ』だ。おそらく、奴はだいぶ前に絶命し、水面に浮遊する多くの水草の陰に隠れてしまっていたのだろう。そこをスネイルに捕食されたのだ。連中には歯がないのでバリバリと餌を食べることはない。ただし、その代わりに舐め溶かす。『ホウサイ』の頭部はすでに無くなり、背中の硬質なはねの部分だけが残されていた。私はスネイルから『ホウサイ』の遺骸をピンセットで摘み上げ、の上に横たえてやった。もう『ダザイ』も『ホウサイ』も水槽内にはいない。唯一『タカギモドキ』だけが我関われかんせずといった様子で巣の上で揺れていた。

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