夏祭りとりんご飴(2)
祭りが始まるより2時間ほど前に手伝いのために公民館に行った俺は、始まる頃にはすっかり疲れ切っていた。屋台の配置図や商店街のチラシをホッチキスで綴じながら、おばさんたちの世間話を聞かされ続けたらそりゃあ疲れる。挙句の果てに俺の子供の頃の失敗談やら、今大学で彼女いるのかという話題にまでされて……正直もう帰りたい。小さい頃から知り合いのおばちゃん達って強すぎる。
祭りが始まってからは、俺は神社と公園の間の道路でさっき綴じたチラシを客に手渡していくという役割になった。無心で客にチラシを配っているうちに明るかった空がだんだんと暗くなり、提灯に電気がついてきた。周囲からのいい匂いで腹も減ってくる。もう少しで休憩時間だと思いながら神社の向かいの公園にある時計に目をやった。
「あの、地図……」
「あ、はい」
よそ見していたせいで、地図を催促されてしまった。慌てて手渡そうとそちらを見る。
赤い浴衣に頭に斜めにつけた狐の面。
「あ」
ちょっとツリ気味の目元に赤い唇。
あの時の子だ。
思わず声を漏らしたら向こうも気が付いたらしい。切れ長の目を目一杯に見開いて見上げてきた姿はあの時よりも大人びてはいたけれども、お面を手渡した時の表情を思い出させた。
「久しぶり、その、覚えてる?」
恐々といった様子で尋ねてくる彼女に、慌てて頷く。
「覚えてる。もう10年以上前だっけ」
そう答えると、彼女はともすればきつく見えそうな涼しげな切れ長の目元を緩ませて、ふうわりと笑った。その心底嬉しそうな顔を見て、今朝夢を見てよかったと思った。そうでなかったらすぐには思い出せなかったかもしれない。
「あらあらあら」
そこからどう話を繋げるかと悩んでいたら、一緒に係の仕事をしていたおばちゃんに背後から腕を引かれた。
「彼女?! さっきはいないって言ってたじゃない」
「いや、そういうのではなくて」
「ああ、『まだ』なのね」
勘違いして訳知り顔で頷くおばちゃんに嫌な予感がした。案の定、活き活きと張りきった様子でお節介を焼いてくる。
「分かったわ。後の仕事はおばちゃんがしとくから、あなた一緒に遊んでらっしゃい」
「は?」
「大丈夫よ、お母さんには内緒にしといてあげるから頑張ってきなさい!!」
配っていたチラシを奪われて、太い腕で容赦なくバンバンと音を立てて背中を叩かれる。
「ほら、行ってらっしゃい!」
最後に一つ叩かれてタタラを踏んだ。よろけた俺を支えるように彼女が手を差し出してきたが、なんとか助けなしで踏みとどまれた。
「大丈夫?」
「大丈夫。……今日も一人で?」
『あんたそこで声かけなきゃどうなるか分かってるの?!』と言わんばかりのおばちゃんの眼力に負けてそう彼女に尋ねた。
「うん、一人で」
「そっか。……俺も今、町内会の手伝いお払い箱になったから、よかったら一緒に回らない?」
「はい」
彼女は口元を隠して、はにかみ笑って頷いた。
とりあえずはお節介なおばちゃんの視線を避けるため移動しようと促す。
こうして並んで歩くと、昔はほとんど同じ背丈だった彼女と随分差がついてしまっていて驚く。横を歩く彼女を見下ろすと、濃い赤の浴衣と白い項、そしてそこに一筋かかるお団子にまとめた髪からこぼれた後れ毛の黒のコントラストが眩しい。提灯のオレンジの光に照らされて白い項が淡く上気しているように見えて、慌てて視線を逸らせた。
とりあえず腹が減ったので何か買い食いしようと、周囲に視線を飛ばす。……慌てて目を逸らせたことへのカモフラージュもあった。
「あ、俺唐揚げ買うからちょっと待って」
これなら立ったままでも食えるだろうと、大きめの紙コップに入れて売ってある唐揚げを買ってきた。彼女はそのまま道の真ん中で待っていたが、あまり人通りが多くなかったらしく、周囲の人は特に邪魔そうなそぶりを見せず自然に彼女の左右に分かれて流れて行っていた。
「ごめんごめん、会計に手間取った。つまようじ二つ貰ってきたから食べて」
彼女は指をついと伸ばしてから一度ひっこめ、
「いいの?」
と、尋ねてきた。
「いい、いい。俺も色々食べたいから、こんなに唐揚げばっかり一杯食えない」
言うと、彼女はちょっと目を伏せて顔を赤らめた。何故? と内心首を傾げていると、彼女は笑って、細い指で爪楊枝をつまんで唐揚げを一つ齧った。唇が唐揚げの油で濡れたようにつやつやと光る。
唐揚げを食べ終えたら次は彼女がたこ焼きを買ってくれたので、それを摘みながらあちこちの店を覗いて行く。その中に目的の店を見つけて駆け寄った。
りんご飴の屋台だ。
あの時の大きくひび割れたリンゴ飴と、彼女の涙のこぼれそうな目を思い出した。これだけは買ってあげたいと、彼女と再会した時から思ってたのだ。あれだけ彼女が執心してたものなので気になって俺の分も買ってみる。りんご飴を2つ買いそれぞれ袋に入れてもらったものの1つを彼女に手渡した。自分の物はとりあえず手首にかけたままだ。
「あ」
彼女は壊れ物を持つようにリンゴ飴を受け取って、ビニールに入ったままのそれをあの時と同じように提灯の明かりにかざした。
「覚えてたの」
「あの時は代わりを買ってあげられるほどの財力はなくてなー」
照れ臭くなって冗談めかして言う。
「ふふ、嬉しい。ありがとう」
彼女はそっとりんご飴のビニールを剥いで口を付けた。俯いた時に顔にかかった髪を指で掻き揚げて、白い歯がかりりと微かな音を立ててリンゴを包む表面の飴を割った。八重歯が当たったところから放射状に細かなヒビが入りリンゴ飴の表面が濁る。真っ赤な飴が砕けて、リンゴの中の黄色い部分が覗いた。彼女の小さな口に似つかわしい歯型に、ただの食べかけの食べ物だと言うのに何だか見てはいけないものを見ている気分にさせられた。
あちこちの出店を冷やかしながら途中食べ物を買い足してゆっくりと歩く。途中かりと彼女がリンゴ飴を咀嚼する音が聞こえたりした。金魚すくいの店で小さな子供がポイに穴が開いたからもう一回したいと親に泣いて訴えているのに苦笑したり、中学生達が集まって何故か子供用の輪投げを必死になって競ってるのを笑って見たりした。
そのうちの一つの店でふと、彼女が歩きながらも視線で追ったのを見て足を止める。出店の内容は射的だった。商品には昔ながらのプラモデルから最近出たゲームのハードまで、比較的男子を対象にしてるだろうラインナップだったが、一角に女の子を対象にしてそうな商品があった。ぬいぐるみやら髪飾りやら。おそらくその一角を目で追っていた。
「髪飾り?」
「え、」
「やってみれば?」
「ええ、でも、多分下手だし」
「じゃあ俺やろうかな」
一時期ゲーセン通いしてたので射的はそれなりにできるだろう。流石に景品の花形になってるゲームなんかは難しいが、髪飾りぐらいは取れるだろう。店のおっさんに金を払って、銃を受け取る。3回させてくれるらしい。
1発目は大きく外した。2発目は的に随分近付いた。最後の玉を込めて構えると、彼女がきゅうと両手を握り合わせて緊張も露わに見ているのに気付いた。最後の一回の引き金を引く。
「当たった!」
「よっしゃ!」
何とか最後の一つが当たった。無愛想なおっさんがカゴごと出してきた賞品を彼女に示す。
「どれがいい?」
「えっと、そのオレンジの」
彼女が手に取ったのは紅葉をモチーフにした物だった。てっきり花とかそういう物の方が人気があるかと思ったのだけど。髪につけるのに四苦八苦している彼女を見かねて手を出す。とはいっても俺だって髪飾りとか触ったことがないから彼女がつけた方が早かったかもしれない。彼女の髪は細くてさらさらとすぐに流れてしまい、髪飾りがつけにくかった。
「できた」
「ありがとう。……えっと、」
「え、っと、うん、かわいい」
恥らいがちに目を伏せられて、こちらも思わず照れながらつっかえながら感想を言った。そうするとみるみる目元を赤く染められて、更に照れてしまう羽目になった。
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