夏祭りとりんご飴

小鳥遊 慧

夏祭りとりんご飴(1)

 夢を見た。


 遠い昔の夢を見た。




    * * * *



 あれはまだ小学生の低学年の頃のことだったと思う。家の近所のお稲荷さんで夏祭りがあった。町内会の手伝いに走り回っていた母親に小銭を渡され、お盆ということもあって皆遠出していて友達も来てなかったので夏祭りを1人で回っていた。家に誰もいなかったので帰るに帰れなくて、最後のお金で買った綿菓子を食べながら不貞腐れていたのを覚えている。


 そこで彼女と会った。


 屋台のりんご飴を見上げる狐のお面を被った少女がいた。


 赤い浴衣にピンクのくしゅくしゅ帯。背丈は俺とほとんど同じくらいだった。首から下げたがま口財布からお金を出して、りんご飴を買っていた。お面のせいであまり顔は見えなかったが、口元が嬉しそうに綻んでいた。お店の安っぽい白熱灯にりんご飴をかざしてくるくる回しながら彼女はスキップでもしそうな軽やかな足取りで歩き出した。白熱灯のオレンジの明かりで、りんご飴はいっそう赤みを増したような気がした。


 歩いている彼女の後ろから追いかけっこをしていた少年がぶつかった。さほど強くぶつかったわけじゃなさそうだったが、りんご飴に夢中になっていたのと、視界を遮るお面がよくなかったのだろう。俺がアッと声を上げるすきもなく、彼女はべシャリと派手に転んだ。ぶつかった少年はそれに気付かずに走り去って行った。


「大丈夫?」


 思わず走り寄ってその子に声をかけた。落としたお面を拾って差し出すが、彼女は自分の手から落ちたりんご飴に気をとられていた。砂が付き、ひび割れたそれを拾い上げてしょんぼりしている。お面が外れたことで初めて顔が見え、正直すっごく美人だなと見惚れた。俺よりほんの少し小さいから年下かなと思ったのだけど、こうやって顔が見えると同級生の女子よりもどこか大人びているように見えた。少しつり気味の目元が赤く染まって、泣きそうに潤んだ。ギュッと唇を噛みしめて泣くのを我慢しているように見えた。


「あの!!」


 俺の声に驚いたように見開いた目には今にもこぼれそうな涙の膜がはっていた。


「あのさ……」


 何て言うかなんて何も考えていなくて、お面をずいと突き出した。


「ありがと……」


 反射的にだろう、返ってきた声は、高くころころ転がるようなかわいい声だった。


「あのさ、甘いもん好きならこれやるから。だから、えーっと……」


 小学校の頃だ。素直に泣くなとは続けられず、言葉を濁して今度は持っていた綿菓子を突き出した。そんな突拍子もない態度に呆気にとられていた彼女だったが、数秒置いてふにゃりと気の抜けた笑顔になった。ようやく泣き顔じゃなくなったとほっとした。


 手渡したお面を彼女が付け直すのを待って、手を差し出すと、俺のより小さな手が重ねられた。幸いケガはなかったらしく、公園の隅の花壇に座る。


「本当にいいの?」


「いいって言ってんじゃん」


 彼女はためらいがちに綿菓子に手を伸ばした。細い指が綿菓子を摘み、お面をちょっと持ち上げて小さな口に運ばれる。赤い唇から白い八重歯が覗いた。一口食べる度にふにゃりと綻ぶ口元を見ていると、自分の綿菓子がなくなっていくのも惜しくないと思えた。


 知り合いにでも見つかったらからかわれるのではないかとハラハラしていたのだけど、近所のお祭りだというのに、不思議なことに誰にも声を掛けられなかった。


 2人で1つの綿菓子を食べながら話をポツリポツリとする。笑いながら相槌を打ったり、上手に話を促してくれたので、俺ばっかりが話してしまった気がする。気が付けば綿菓子はなくなり、夏祭りは終わり際の盆踊りの時間になっていた。行こうと誘うと、彼女はやったことがないと戸惑った声で言う。


「適当に真似しとけばいいよ」


 と、自分自身も振付が怪しかったので言って手を引いた。


 最初は俺の方をチラチラ伺っていた彼女だったが、そのうち慣れてきたのか最後の方は軽やかな足取りで踊っていた。ピンクのクシュクシュ帯がほわほわと揺れ、赤い浴衣の袖がひらひらと翻る。彼女がクスクス笑うから、俺もつられて笑った。


 公園のグラウンドを何周かすると、盆踊りも終わって周りの出店も店じまいに入った。今までお祭りで受かれていた空気が一気に現実へと戻っていく。


 彼女と別れるのが何だか惜しくてそのまま立ち尽くしていると彼女が手を繋いできた。何も口にしないまま神社の奥へ、あまり人のいない方へと引っ張っていく。神社の一番奥、山の中の奥社へと続く階段に足を踏み入れようとした彼女にようやく俺は慌てて制止をかけた。


「ダメだよ」


 彼女の手を逆に引いて立ち止まった。不思議そうに振り返って首を傾げる彼女に帰ろうと言う。


「どうして?」


「ここ、子供だけで来ちゃダメって。その、怖い妖怪にさらわれるからって」


 この辺りに住んでる子供は大抵言われていたと思う。今思えば奥社へ向かう道は整備されていない所が多かったから、危ないところに子供を近付かせないための方便だったのだろう。当時いい子だった俺はその言いつけを破ったことがなかった。


「大人になったらいいの?」


「え?」


「大人になったら行ってもいいの?」


 思わぬ返しに戸惑って曖昧に頷く。


「そう」


 狐の面に隠されてない口元だけがふうわりと笑みを形作ったのが見えた。


「それじゃあ待ってるわ。貴方が大人になるの待ってるわ。だから大人になったら私と来てね、約束よ」


 俺の手を彼女はとり、そっと小指同士を絡めた。


「ねえ約束して。大人になったら私と来てね」


「え、ああ、うん」


 彼女が何度も言い募るものだから思わず訳も分からず頷いてしまった。その返事を聞いて彼女は笑みを深くした。


「約束よ、待ってるわ、ずっと待ってるわ」


 そう言って彼女はパッと駆け出して、奥ノ院に向かう鳥居をくぐり、石段を駆けあがって行った。




    * * * *




「待ってるわ、ずっと待ってるわ」


 子供特有の高い声が、鈴を転がすような音色でそう言ったのが、夢の中でも耳に残った。




    * * * *




「ちょっといい加減起きなさい!! 休みとは言え、いつまで寝てんの?!」


 母親の怒鳴り声と共にカーテンが勢いよく開けられて、真夏の強い日差しが未だベッドにいる俺にまでさしてきた。


「うっさいなあ」


「いいからそれとっとと脱ぎなさい。洗濯できないでしょ」


「はいはい」


 言うことだけ言ってドタドタと忙しい音を立てて階段を下りていく母を見送りながら、ようやくベッドから降りてパジャマを脱いだ。


 夢を、見ていた。


 確か小学校の低学年の頃に、夏祭りで知らない女の子と遊んだ夢だった。あの子とはあれから一度も会ったことがない。誰に聞いても知らないのでこの近辺に住んでる子ではなさそうだったし、夏の間だけ遊びに来た子だったのだろう。確かなことは分からないのだけど。


 思えばあれは俺の初恋だったのかもしれない。次の年に散々祭りの会場で探し回ったのに見つからなくて随分落ち込んだ記憶がある。


「大学行ってからは盆も年末もまともに帰って来ないで。帰ってきたと思ったら毎日毎日ダラダラして。この調子で成績は大丈夫なんでしょうね? 大学だって文学部みたいに就職しにくいとこ入って。留年しても学費払わないわよ!」


 いつも以上にぐちぐちと続く小言を聞き流した。何か嫌なことでもあったのかな、なんて軽く考えながら冷蔵庫を覗いていたら、突然思いもかけないようなことを言われた。


「あんた今日私の代わりに夏祭りの手伝い行ってきなさい」


「は? 町内会? 当番にあたってるのすら初めて聞いたんだけど」


「おじいちゃんがぎっくり腰ですって。私今から行かなきゃいけないから、あんた代わりに夏祭りの方行ってきなさい。田辺さんには言っておいたから多分本部のテントに行けば何をしろって言われるから」


「ええええ……」


 田辺さんってすごくお節介なおばさんで俺苦手なんだけど。


 だがじいちゃんがぎっくり腰と言われてしまえば嫌とは言えず、溜息を吐いて了承の返事をした。


 バタバタといくつか俺に注意して出ていく母さんを見送った背後で、つけっぱなしになっているテレビが動物モノの番組をやっていた。




    * * * *




「待ってるわ、ずっと待ってるわ」


 大学に入って2年。俺は20歳になっていた。




    * * * *


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