5-4 二人の関係

 歌恋と奏多が仲直りをした、翌日のこと。


 武蔵は、昨日とはまた別の緊張感に包まれていた。

 いや、もちろん歌恋の中の大きな問題が解決して、穏やかな時間が流れていたのだ。放課後には調理室に顔を出し、君華や男子部員の鈴木くん(物凄く嬉しそうな顔をされた)に「幽霊部員を卒業する」と宣言することができた。相変わらず男子部員は武蔵と鈴木くんだけだし、作る料理もお菓子率が高い(この日はクッキーだった)ようだが、自然と鈴木くんや君華のグループに入れてもらうことができ、以前まで感じていた居辛さはあまり感じなかった。

 武蔵も武蔵で、一歩前に進むことができている。順風満帆と言っても良いのではないか、とすら思っていた。の、だが。


 ――部活が終わって下駄箱を覗くと、一通の手紙が入っていたのだ。


 君華の時と同じように、「またもやフラグが……勘弁してくれ!」とは思わなかった。リンゴ柄の見慣れた封筒を見れば、送り主が誰なのかはすぐにわかる。

 そして、内容も開く前からわかっていた。


「部活が終わったらいつもの公園に来てね、か……」


 彼女に公園に来てと言われるのは、これで何度目だろうか。彼女から相談を受ける時はいつもこの手紙をもらっていた。彼女が高校生になってから手紙をもらうのは初めてな気がする。歌恋という友達ができた今、相談したいことって言うと……いったい、何なのだろう。


 具体的にはわからないが、想像しようとすると胸が苦しくなる。

 ただ一つわかることは、自分が焦ってはいけないと言うことだ。落ち着いて、彼女――林檎の話を聞こう。そう心に決めた。

 すでに日も暮れて、薄暗くなってしまっている。林檎には部活に顔を出すと伝えているが、まさかこんなにも暗い中で待っていてくれているのだろうか。不安に思い、武蔵は駆け足で公園へ向かうのであった。



「悪い林檎ちゃん、待ったか?」


 武蔵の家からも林檎の家からも徒歩で行ける距離にある、小さな公園。その公園のブランコに、林檎は一人座っていた。

 武蔵も隣のブランコに座り、林檎の表情を窺う。


「ううん、待ってないよ。実はあたしも、部活に顔出したんだ」

「おぉ、そうなのか」

「うん。……あたしも衣装作りだけじゃなくて、演技もしてみたいですって。ちょっと、頑張って言ってきちゃった」


 えへへ、と照れ笑いを浮かべながら、林檎は「それを言うだけで今日は力尽きちゃったんだけどね」と付け足す。

 それでも武蔵には大きな一歩だと思い、自然と頬が緩くなる。


「そうか、それは良かったな! 何て言うか……前に進めたって感じだな、うん。頑張ったな、林檎ちゃん」

「へへ……嬉しいな。的井先輩に褒めて欲しかったから」


 ブランコをゆらゆら揺らしながら、林檎は心から嬉しそうにニヤニヤと笑う。夕日も隠れてしまった時間帯なのに、林檎の周りだけ眩しい程に明るく感じた。いやまぁ、街灯で照らされているのだから当然ではあるが、それくらい今の林檎からは前向きなオーラを感じるのだ。


「結局俺は、こうやって林檎ちゃんから相談を受けても励ますくらいしかできなかったんだけどな。俺よりもいくちゃんの力が大きいのかも知れない。俺も何か、いくちゃんを見てたら頑張らなきゃって思ったからなぁ」

「……ちぃっ」

「え」


 せっかく二人きりで話しているのだ。真面目な話をしなくてはと思っていた武蔵だったが、何故か林檎に舌打ちをされてしまった。

 突然の行動に唖然としていると、林檎はわかりやすく拗ねたように頬を膨らませる。


「今、的井先輩に歌恋の名前を言わせないゲームをしてたの。はぁーあ、まさかこんなにも早く言われちゃうなんて」

「なんだそりゃ。でも林檎ちゃんが頑張ろうって思ったのだって、いくちゃんがきっかけなんじゃないのか?」

「そりゃ……そうだけど。今はそうじゃないの。そうじゃなくて……」


 すっかり機嫌を損ねてしまった様子の林檎は、何かを諦めたかのように小さなため息を吐く。そして、じっと武蔵を見つめた。


「単刀直入に言うけどさ」

「お、おう」

「的井先輩のあたしに対する気持ちって、さ。……罪悪感でしかないんだよね?」


 琥珀色の瞳が、突き刺すように武蔵を捕らえて離さない。

 武蔵も、すぐには言い返すことはできなかった。そりゃあ、反射的には「どういう意味だ?」という気持ちが湧き上がった。でも、違う。疑問をぶつけられているのは、こっち側だ。ぶれない林檎の瞳を見ていたら、自分で答えを見つけなきゃいけないという気持ちにさせられる。


「ごめん、聞き方が悪かったね」


 すると、林檎はすぐに苦い表情になった。辛い時、悩みがある時、林檎はよくこの表情になる。見ていると心が締め付けられて、武蔵も笑ってなどいられなくなった。


「でも、だって、仕方ないじゃん」


 林檎は俯き、両手をきつく握り締める。ずっと心にしまっていた感情が溢れ出すように、林檎は言葉を零し始めた。


「歌恋と出会って、初めて恋愛を意識したんでしょ? 京堂先輩と衝突した時だって、的井先輩は歌恋の心配ばっかりだった。いや、それはあたしもそうだった、けど。でも……的井先輩はずっと、歌恋ばっかり見てる……じゃん」


 こちらを見ないまま吐き出された林檎の言葉は、普段の林檎からは考えられない程にか細くて、今にも消え失せそうだった。

 なのに、武蔵の心にはずっしりと重くのしかかってくる。

 簡単に反応することさえ、できなかった。否定も肯定もできないまま、武蔵はただただ林檎を見つめ続ける。


 ――林檎ちゃんを傷付けたくはない。


 はっきりと思えるのは、そんな甘い気持ちだった。必死になって伝えるべき言葉を探そうとしてしまう。探さないと言葉が出てこない時点で、自分は馬鹿だと思った。


「林檎ちゃん」


 名前を呼ぶ声が震える。情けなくて、苦笑するこえさえできなかった。


「……ごめんね、先輩。そんな顔させちゃって。あたし、馬鹿だ……」

「違う。馬鹿なのは俺の方だ。さっきからずっと、どうしたら林檎ちゃんを傷付けないか、安心させられるか……そんなことばかり考えている」


 自分を責めようとする林檎を見ていたら、口は勝手に動き出した。しかし出てきたのはそんな馬鹿正直な言葉で、やっぱり情けなく思う。

 でも、今の自分にできることは正直な気持ちを伝えることだけだ、と思った。だから決して林檎の視線から逃げず、言葉を続ける。


「林檎ちゃんとは昔から一緒なんだ。きっかけは理人の妹だったから……ではあるが、いつの間にか気兼ねなく話せる友達になっていた。それ以上でも以下でもない、大事な友達で……。だから、焦って答えを出そうとして林檎ちゃんを傷付けたくないと言うか……! 簡単に答えを出したくはないんだ!」


 言っていて、「ヘタレてるなぁ、俺」と思った。精一杯の本心とはいえ、好意を寄せてくれている女性に「友達」と言い放つとは何ごとなのだろう。そんな言葉で林檎が納得してくれる訳がないし、傷付けたくないとか言いつつ傷付けているかも知れない。


「り、林檎ちゃん……っ?」


 ――しかし、林檎の反応は武蔵の予想とはまったく違ったものだった。


「ちっ、違うのっ。これは悲しいとか、そういうんじゃなくて……」


 慌てて頬を伝うものを拭いながら、武蔵に訴えかけるようにじっと見つめてくる。瞳は赤らんでしまっていて、武蔵は一気に心配になる。


「いやだからっ! 違うんだってば! 的井先輩に怒ってるとか、あたしが傷付いてるとかそういうんじゃなくてっ。……嬉しい。うん、嬉しいんだよ、あたし」

「……う、嬉しい?」


 予想外過ぎる言葉に、武蔵は首を傾げる。林檎は小さくコクリと頷き、流れる涙を気にしないまま言葉を続けた。


「的井先輩にとってあたしは『呉崎理人の妹』でしかないと思ってたから。友達っていう言葉には当てはまらないと思ってて……。でも、そっか。ずっと前から友達、いたんだ。なのにあたし、ずっと前から一人ぼっちだと思い込んで……。あ、はは……馬鹿だなぁ」


 徐々に独り言のようになっていく林檎の言葉が、武蔵の心にすっと入り込んでくる。武蔵にとっては予想外だった林檎の「嬉しい」という感情が、武蔵の中でも形になっていく。すると何故か、鼻の奥がツーンと痛みだしてきた。


「ちょっと、的井先輩まで泣いちゃ駄目だよ。いや、あたしが泣くのがいけないんだけど。うー、ごめんってば。だからそんな顔しないでよぉ」

「…………いや、俺の方こそ何か……ごめんな。林檎ちゃんとはずっと一緒だけど、林檎ちゃんとの関係性を改めて考えたことがなかったから。今、自然と友達ってワードを口にして、初めて友達だって認識したのかも知れない」


 今まで、友達と言えば幼馴染の理人と、ネットで知り合ってたまにライブで会う薫だけだと思っていた。でも、気兼ねなく接するようになった林檎とはいつの間にか友達になっていて、歌恋とも高校二年になってから急接近して今は友達と呼べる間柄だ。


「そうか、友達か……。あんまり意識してこなかったけど、俺も結構、人に恵まれてたんだなぁ。何か、柄にもなく感慨深くなっちまった。はは、悪いな」


 武蔵はまだ、歌恋と奏多のように友達と衝突したことがない。だから、武蔵にとって、傍にいて当たり前の存在だと思っていた。その考えこそが恵まれている証拠であり、武蔵は林檎にも感謝の気持ちでいっぱいになった。

 と、同時に申し訳ない気持ちにもなる。


「その……本当に、悪い。今はまだ、友達としか言えなくて」

「良いよ、別に。だって、歌恋だって友達なんでしょ? ……えっ、そうだよね? まさか林檎の知らないところで付き合い始めてたり……」

「いやいやいや、それはない。例えあったとしても林檎ちゃんに隠すなんてことはしないから!」

「例えあったとしても、ねぇ……」


 ふぅん、と意味あり気に呟き、林檎はブランコから立ち上がる。武蔵もつられて動こうとしたが――それはできなかった。

 ブランコに座る武蔵の膝に、林檎がいきなり抱き着き始めたのだ。


「へへー。的井先輩、あったかい……」

「そうか。……じゃなくて。い、いったい何を……」

「林檎はね、的井先輩の友達だけど後輩でもあるの。だからこれは、先輩に甘えてるだけなんだよ? たまには良いでしょ?」

「先輩なら、いくちゃんだってそうなんだが」


 意外と冷静に突っ込みを入れると、林檎はつまらなそうに唇を尖らせる。そりゃあ内心はドキドキだが、恋人でもない異性と触れ合うなんて駄目だ! という自分の中の堅物な気持ちが前面に出てしまうのだ。


「でも、そっか。その様子だと、歌恋はまだこういう攻撃はしてきてない訳か」


 武蔵の膝から離れないまま、林檎はぼそぼそと考え込むように呟く。しかし、目の前で呟かれても武蔵には丸聞こえな訳で、苦笑してしまう。


「り……林檎ちゃん。流石にちょっとボディタッチは困るんだよ。わかってくれるよな?」

「先輩、声が震えてるよ? 本当は嬉しいんでしょ?」

「……そりゃあ、林檎ちゃんみたいな可愛い子に抱き着かれて嬉しくない男なんていないだろ。でも今はそういう問題じゃない」


 なっ、わかってくれるだろ? という視線を必死に向ける武蔵。

 林檎は意外にも素直に頷き、武蔵から離れた。頬はうっすらとピンク色に染まり、口元はへにゃへにゃに緩んでいて、どう見たって照れているように見える。


「的井先輩に初めて可愛いって言われた……」

「嬉しいポイントはそこだったのか」

「う、うっさいなぁ。良いでしょ、別に。的井先輩、最近は歌恋ばっかり見てるんだから。ぶっちゃけ、あたしの負けフラグがやばいの! だから、ちょっとしたことでもすっごく嬉しくなっちゃう」


 言いながらも、林檎のニヤけ顔が止まらない。

 武蔵の心境としては、やっぱり複雑なものがあった。歌恋ばかり見てしまっていたことは事実で、林檎が「負けフラグ」だと感じてしまうのも仕方がないことだと思う。


 ──時間が経てば経つ程、誰かを傷付けてしまう。


 そんなのは嫌だと、武蔵は思った。

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