5-3 もう遠慮はしない

「今までずっと本当のことが言えなくて、ごめんなさい!」


 すでに夕日が沈みつつある薄暗い教室で、歌恋は改めて奏多に謝罪をした。これまでよりも大きな声で、深々と頭を下げる。


「うん。それは何度も聞いてるけど……。何で、言ってくれなかったの?」


 奏多はもう、スルーをしない。

 小さく頷き、歌恋に問いかける。表情はまだ、不安気なままだ。


「ずっと、怖かったんです。私の趣味の話をして、それで……奏ちゃんと距離ができちゃったらどうしようって、そんなことばっかり考えてました」


 両手を握り締めながら放たれた言葉に、奏多は顔を強張らせる。


「……あたしはさっき、いくちゃんに信じて欲しいから信じるって言われて、嬉しかった。さっきの言葉で、もう逃げちゃ駄目だなって思えたの。でも」


 歌恋から目を逸らしながら、奏多は呟いた。


「結局は、信じてくれてなかったんだなって思っちゃう。たったそれだけの告白で嫌われるって思ってたってことなんだから」


 奏多の表情は沈んでいた。歌恋を責めているというよりも、ただただ落ち込んでいるように見える。


「違います! そうじゃ、なくて」


 歌恋はすぐに否定をした。しかし、視線はすぐに下を向いてしまう。


「これはただ、私の弱さにあって……」


 歌恋の声が、だんだんと小さくなっていく。手が震えるのか、両手を祈るように握り締めていて、迷いがあるのが目に見えてわかってしまった。


 ――本当は、見守るだけのつもりだったのに。勝手に動き出した身体が止まらない。武蔵が気付いた時には歌恋の背中を押していた。


「もう謝るのは充分だろ。思ってること全部、吐き出せば良いんだよ。……怖いかも知れないが、京堂さんにならできるだろ?」


 友達と大きな喧嘩もしたことがない人間が何を偉そうに、と自分で言っていて思った。奏多と林檎はどう思ったのだろうか。歌恋しか見ていないから、表情すらもわからない。

 でも、一つだけわかることがある。


「……はい!」


 歌恋の表情が、ガラリと変わったのだ。武蔵をしっかりと見つめ、両手を握り締めるのをやめ、まるで覚悟を固めたようにハキハキとした返事をする。

 武蔵の心は、その翡翠色の瞳に吸い込まれそうになった。なんて言うと大袈裟に聞こえるかも知れないが、事実なのだから仕方がない。歌恋は自分のことを「弱い」と言うけれど、武蔵は決してそうは思わないのだ。少し背中を押しただけで前へ進んでいく彼女の、いったいどこが弱いと言うのだろうか。


「奏ちゃん。ごめんなさい! と言うのは、これで最後にします」

「それって……」


 視線を武蔵から奏多に移し、歌恋は迷いなく宣言する。一方で奏多の不安は増すばかりのようで、顔を強張らせてしまう。歌恋を一方的に突き放し、他の友達を作らせようとした奏多なのだ。最初から諦めモードなのは当然のことで、「これで最後」というワードが本当の終わりを連想させたのかも知れない。


「奏ちゃんっ!」

「うえぇっ! な、なな、何……?」


 しかし、歌恋がとった行動は予想外のものだった。大股で奏多に迫ったかと思えば、奏多の肩を両手でガッチリと掴んだのだ。押し倒さんばかりの勢いだったし、もしも奏多が壁に立っていたら壁ドンのようになっていただろう。

 奏多は林檎程ではないが背が低い。そのため、歌恋を上目遣いで見つめる形になりながら脅えていた。


「私、もう逃げません。だから奏ちゃんも逃げないでください」


 歌恋の言葉に、奏多は無言で頷く。歌恋の行動に驚きながらも、視線はしっかりと歌恋を見つめていた。

 奏多の反応に、歌恋は一瞬だけ嬉しそうに笑みを零す。そして、自分も覚悟を固めるように小さく深呼吸をした。肩を掴むのをやめ、一歩下がって奏多を見つめる。


「奏ちゃん。私は、奏ちゃんに怒っている気持ちだってもちろんあるんですよ」


 言いながら、歌恋は何とも言えない笑みを零した。武蔵は、「喧嘩はしたくないから笑おうとしてるんだろうな」と密かに思う。でも、ちゃんと笑うことはできていない。奏多に対する本音の中には、ちゃんと怒りの感情も含まれているのだろう。


「奏ちゃんだって、言えば良かったじゃないですか。私の趣味のこととか、気になったなら聞けば良かったんですよ。自分一人で結論を出して、私を突き放して、あまつさえ委員長さんまで巻き込んで。自分勝手にも程があるんじゃないんですか?」


 はっきりとした声色で、歌恋は奏多に本音を伝える。

 でも、歌恋としてはだいぶ無理をしているのだろう。瞳が赤く腫れ、潤んでしまっているのが武蔵にはわかってしまった。


「……そっか。それが、いくちゃんの本音なんだね」

「当たり前じゃないですか。そんなことされて、私が傷付かないとでも思ったんですか?」

「思った。……思ったよ。でも、仕方ないことだと思った。そうしないといくちゃんは、あたしから離れて幸せになれないと思ったから」

「……っ」


 奏多の言葉に、歌恋はショックを受けたように目を剥いた。瞳から滴を零しながら、歌恋は言い放つ。


「それが……自分勝手だって言ってるんですよ。いい加減、わかってください。勝手に私の感情を決め付けないでくださいよっ!」


 いつもは優しい歌恋の瞳が、今ばかりは刺々しく感じる。声のボリュームだって今まで聞いたことがないくらい大きく、荒々しかった。


「い、いくちゃん。あたしは……」


 歌恋の勢いに気圧されたように、奏多は動揺を露わにしている。歌恋の強い視線から逃れ、ただただ俯く奏多はいったい何を思うのか。

 奏多の中を渦巻く感情が後悔であれば良いと、武蔵は願った。そうでなければ、歌恋が頑張っている意味がない。


「……奏ちゃんと過ごすよりも的井くん達と過ごしている方が楽しいに決まってる。とか言うつもりじゃないですよね?」

「そっ……それは。そりゃあ、そうだよ。あたしと無理に付き合うより、趣味の合う人と過ごした方が良いに決まってるもん。いくちゃんは色々と遠慮しちゃう子だから。だから……そういう時はあたしが強く言わなきゃって思って」


 まるで言い訳をするかのように、ぼそぼそと呟く奏多。

 歌恋の視線はますます鋭くなった。相変わらず視線を逸らし続ける奏多に「こっち向いてください」と冷たく言い放ち、じっと見つめる。


「趣味が合わないとか関係ないんですよ。私は奏ちゃんと過ごす時間が好きなんです! 奏ちゃんとバラエティー番組とかドラマの話をしたり、甘いもの食べに行ったり……奏ちゃんの隣で笑ってる私も噓偽りない私の一部なんです! だって、私……」


 小さく息を吸い、歌恋はようやく表情を和らげた。


「奏ちゃんのことが、大好きなんですから」


 ――やっと言えた。


 そう言わんばかりに、歌恋は嬉しそうに微笑みを浮かべる。

 結局、歌恋が伝えたかったのはそこなのだ。謝りたい気持ちや怒りの気持ちはただの過程であって、ただ単に奏多が好きだと伝えたかった。


「だから私、奏ちゃんと友達をやめる気はまったくないんです。……駄目、ですか?」


 奏多と友達でいたい。歌恋の気持ちは、ただそれだけだった。

 奏多の前にしゃがみ込み、歌恋は上目遣いで訊ねる。


「…………」


 しばらくの間、奏多は無言だった。

 しかし、歌恋の瞳からは逃げずにじっと見つめている。口がうっすらと開いていて、唖然としているように見えた。


「……馬鹿、だね」

「え? 何が、ですか?」

「そんなの、あたしがに決まってるよ」


 情けない声で呟き、奏多は乾いた笑みを零す。武蔵と林檎とも目を合わせ、申し訳なさそうな苦笑を見せた。


「結局、逃げてたのはあたしの方だった。いくちゃんの本音を聞くのが怖くて、自分から突き放したように見せかけて、距離を取って……」


 自分を責めるように呟き、「馬鹿だ馬鹿だ」と繰り返す奏多。歌恋も、すぐには「そんなことないですよ」と否定することはなかった。ただじっと奏多を見つめている。


「ごめん、いくちゃん。あたし……」

「謝らないでください。私だって、逃げていたのは同じなんですから。そんなことより私、奏ちゃんに好きって言ったんですけど。何か言うことはないんですか?」


 歌恋は小首を傾げ、ニヤリとした笑みを浮かべる。

 清々しいとも言える表情を浮かべる歌恋を見て、武蔵は察する。奏多に好きだと伝えられた時点で、歌恋の中のもやもやは解決したのだ。

 歌恋には最早、奏多をからかう余裕すらある。


「……あたしもいくちゃんが好きだよ。オタクだろうと、いくちゃんはいくちゃんだから。でも…………あたしはいくちゃんに酷いことを」

「えぇっ? 何ですかぁっ?」


 暗い空気が拭いきれない奏多の姿に、歌恋はわざとらしく耳に手を当てて言葉を遮らせる。


「私、もう遠慮はしないって決めたんです。だからこうして自分が喋りやすい話し方をしますし、私に都合が悪い言葉だって聞きません!」


 きっぱりと言い放つ歌恋に、奏多は心底驚いたように口を大きく開き、唖然とした。歌恋は威圧感のあるニコニコ顔を浮かべていて、何も言い返すことができない様子だ。


「か、歌恋。ちょっと……笑顔が怖いんだけど」


 恐る恐るといった様子で林檎が声をかけると、ようやく歌恋の笑顔は優しいものへと変化した。「えへへへーい」と久々に呟き、照れたように頭を掻く。


「す、すみません。ここでちゃんと押さなきゃ後悔すると思ったので」

「いや、もう充分押してるから。……って言うか、そろそろ京堂先輩にあの話をしてみたらどうなの?」

「はっ! そうでした!」


 林檎に言われてようやく思い出したように瞳を開き、武蔵ともアイコンタクトを交わす。もちろん奏多には「あの話」が何なのかわからず、口がうっすらと開いたままだ。


「ええっと……か、奏ちゃん!」

「う、うん。何……?」

「一緒にライブに行きましょう!」


 ――いやいやいや。それは唐突すぎるだろう!


 単刀直入に誘う歌恋に、武蔵は心の中で突っ込みを入れる。当然のように、奏多は訝しげな表情をしていた。しかし歌恋の瞳はキラキラと輝いていて、気持ちだけが前に出すぎている。こりゃいかんと奏多も察したのだろう。視線は自然と武蔵と林檎へ向いていた。


「あー……っと。京堂さんは結局、オタクがそこまで嫌いって訳じゃないんだよな?」


 そうであると信じつつ、武蔵は奏多に訊ねる。

 しかし、奏多は意外とあっさりと首を横に振った。


「いや、それは違うよ。あたしのお兄ちゃ……兄もオタクなんだけど、やっぱり気持ち悪いって思うし」


 その「気持ち悪い」は兄に対するものなのか、オタク自体に対するものなのか。奏多の兄がどの程度のオタクかもわからないし、言葉だけでは奏多の気持ちは読み取れない。


「……へえぇ」


 でも、林檎には何か思うところがあったのだろう。

 目を細め、ニヤリと口角をつり上げる。


「それって、構ってくれないからじゃないんですか?」


 煽るような口調で訊ねると、奏多の顔はわかりやすく一瞬で真っ赤に染まった。「いやいや、そんな馬鹿な」と漏らしながら、両手をブンブンと振って否定する。


「そ、そんなことより、呉崎くんの妹さん……林檎ちゃん、だっけ? あの時はお互いに喧嘩腰だったけど、今は敬語で話しかけてくれて安心したよ」


 そして、話題を逸らすように話を振る奏多。確かに林檎はさっきから敬語で話しているが、口調は全然先輩に対するものではないような気がする。まぁ、奏多が満足しているのならそれで良いのだが。


「歌恋が、あの時のあなたは演技だって言うんです。だからあたしは歌恋のことを信じているってだけで、京堂先輩のことは……正直まだ、好きになれそうにありません」

「あはは……そりゃあ、そうだよね。あなたにも色々酷いこと言っちゃったから。……ごめんなさい」

「別に、良いけど。クラスとか部活とかで浮いてるのは事実だし。……あっ、良いんです、あたしのことはっ。歌恋ともっと話してください!」


 一瞬敬語で話すのを忘れてしまってから、林檎は慌てて口調を変え、歌恋に話を振る。どうやら、薫に対しては自然と敬語が出るけれど、奏多は対してはまだ意識しないと敬語にならないらしい。難しいお年頃だ。


「やっぱり、林檎ちゃんが敬語って変な感じですね」

「普通に先輩に対しては敬語で話さなきゃって思ってるんだけどね。……って、そうじゃなくて。ほら」


 あたしは良いから京堂先輩と話して、と言わんばかりに背中を押す林檎。歌恋は、「わっ」と小さな声を漏らしながら奏多に一歩近付いた。


「で、どういうことなの? ライブに一緒に行くって……別にSAKURAZAKAのライブって訳ではないんだよね? アニメ関係、なんでしょ」

「あっ、違いますよ! SAKURAZAKAも出るアニソンフェスなんです!」

「あー……、なるほど」


 歌恋の言葉に、奏多は顎に手を当てながら渋い表情をする。少なくとも食い付いている様子ではないのは確かだ。まぁ、オタクが嫌いだというのが本当であれば当然の反応だろう。

 しかし、歌恋はすぐに諦めたりはしなかった。


「私、今まで通り奏ちゃんと友達でいられるだけで幸せです。でも、せっかく距離が近付いたんだから、私の趣味のことも知ってくれたらますます嬉しいなって思っちゃうんです」


 その場にしゃがみ込みながら、いじけたような、はたまた甘えたような声を出す歌恋。傍から見ていても、その破壊力は抜群だ。


「……その言い方は反則だよ……」

「私のことをもっと知って欲しいんです。そしたらもっと嬉しいんです。駄目……ですか?」

「上目遣いも反則だってば、もう……」


 一気に奏多の表情が和らいでいく。一方で林檎の顔が渋くなり、きっと「歌恋、恐ろしい子」とでも思っているんだろうな、と思った。


「そのフェスって、あたしといくちゃんの二人で行くの?」


 最初はすぐに断りそうな空気だったのに、少しは前向きに考えてくれているらしい。しかし、その質問に対する答えは残念ながらNOだ。


「それも楽しそうですけど、できれば皆で行きたいです。的井くんと、林檎ちゃんと呉崎さん、あとは別の高校の先輩なんですけど、もう一人女性のお友達がいまして……」

「へ、へぇ……。いくちゃんって、結構友達いたんだね」


 今度は奏多の表情が沈んでしまった。同じ学校の武蔵や林檎、理人ならともかく、会ったこともない人とライブに行くのはきっと抵抗があるのだろう。


「奏ちゃん、ヤンデレですか?」

「んー、何でそうなるのかな? いや、確かにそう思われても仕方ない行動をしたのかも知れないけど、そんなことないからねっ?」


 半分呆れつつ奏多が否定すると、歌恋は意外そうに「あれ、ヤンデレってわかるんですね」と呟く。すると何故か、奏多は焦ったように目を泳がせた。


「ま、まぁ、とにかくあれだよ。うん、それは流石に無理だよ」


 そして、意外にもあっさりと断られてしまった。途中まで上手くいく予感がしていたからか、歌恋はわざとかと思うくらいに口を大きくポカンとさせる。


「いやだって、そのフェスっていつあるの?」

「……一ヶ月ちょっと先、です」

「ふーん、そっか。一ヶ月ちょっとねぇ……」


 呟きながら、奏多は考える素振りを見せる。眉間にしわを寄せてうーんと唸り、やがて大きめのため息を吐く。


「うん、やっぱり駄目だよ。いけるかも知れないってちょっと思ったけど、やっぱりまだ早いかな。ペンライトの振り方もわからないし、地蔵になっちゃう。でもSAKURAZAKAが来たら間違いなくはしゃぐだろうし、男性アイドルでしか盛り上がれない迷惑な客だと思われるに決まってるもん、絶対。あと、もしかしたら今後ハマるかも知れないアーティストもよくわからないまま棒立ちで見ちゃうかも知れないし。だから駄目なの」

「…………」


 早口でまくし立てる奏多に、歌恋は唖然とする。林檎も同じような顔をしているし、きっと武蔵もアホみたいな顔になっていることだろう。


「な……何? どうしたの皆。そんなに断ったのがショックだったの?」


 奏多は一人、武蔵達の視線の意味がわからないらしく首を傾げる。どうやら彼女は無意識らしい。無意識で、墓穴を掘ってしまっている。


「奏ちゃん……。すっごく考えてくれていたんですね!」

「えっ? いや、そんなことないって。普通のことを言っただけだよ」

「でも、奏ちゃんってライブには一度も行ったことがないんですよね? ペンライトはともかく、地蔵を知ってるのには驚きました!」

「……うっ」


 生き生きと驚きを露わにする歌恋に、奏多はピクリと反応する。

 地蔵とはつまり、ペンライト等を振らずにじっとして動かない人のことだ。ライブに行く人にとっては馴染みのある言葉だが、知らない人はまったく知らない言葉だろう。奏多は男性アイドル好きではあるが、ライブに行く程ではない。

 そんな奏多が、何故ライブ用語を知っているのか。


「もしかして、たくさん調べてくれたんですか?」

「あ、ははは…………はぁ」


 歌恋の問いかけに、奏多は乾いた笑みを零したあとにため息を吐く。


「そう。そうだよ。調べてたの。いくちゃんから離れようとしてた癖に。馬鹿みたいだね、本当に……うん。ごめんね」


 謝る奏多に、歌恋は静かに首を振る。顔は笑っていた。きっと、嬉しくてたまらないのだろう。じっと奏多を見つめる瞳が眩しい程に輝いて見える。


「……あのね、いくちゃん。好きになれるかどうかはまだわからないよ。でも、いくちゃんの好きなこと、あたしにも教えて欲しいの」


 まっすぐ歌恋を見つめながら、奏多ははっきりと告げる。

 歌恋はすぐに頷いた。そのまま抱き着きそうな勢いで奏多に迫るも、かわされてしまう。奏多の視線は、いつの間にか武蔵と林檎に向いていた。


「あの日いくちゃんを突き放した時、もう後戻りはできないって決め付けちゃったの。意地を張り続けて、色んな人に迷惑をかけて、ホント……馬鹿だった。待ってるだけじゃなくてちゃんと言えば良かったって、今更気付いたって遅すぎだよね。……本当に、ごめんなさい」


 武蔵と林檎を交互にしっかりと見つめてから、奏多は深々とお辞儀をする。隣で歌恋もはっとなり、慌てて頭を下げていた。


「ちゃんとお互いの気持ちに気付けて良かったよ。なぁ、林檎ちゃん?」

「……うん」


 林檎に同意を求めると、何故か元気のない返事をされてしまった。武蔵が不思議に思って見つめていると、林檎にも不思議そうに首を傾げられしまった。

 どうやら、元気がないと感じたのは気のせいだったらしい。


「あぁいや、何でもない」

「そう? それよりも京堂先輩。……京堂先輩ってやっぱり、オタクが嫌いって訳じゃないんじゃないですか」


 林檎は奏多をジトーっと見つめ、刺々しく言い放つ。すると奏多は、顔を赤くしてわかりやすく慌てだした。


「そっ、それは……! いくちゃんのためなら好きになれそうっていうだけでっ」

「だったら嫌いって明言しなくても良かったじゃないですか」

「明言は別に、してないよ?」

「でも嫌いだって空気は出してたんでしょ? 先輩、性格悪いですよ。あたしは……やっぱり先輩のこと、好きになれそうにないです」


 冷たい言葉を放ちつつも、眉は困ったようにハの字になってしまっている。せっかく歌恋が仲直りした友達なのに、とでも思っているのだろうか?


「ごめんね。そう思われても仕方ないよ。……これから、林檎ちゃんにも認めてもらえるように頑張るから」

「頑張るって、どうやって……」


 あまりにもまっすぐな瞳を向けられて、林檎は戸惑いを見せる。でも、そこに負の感情はないように見えた。


「うーん……どうしたら良いんだろ。わかんないや。……でも、とにかく今は」


 苦笑しながら、奏多は歌恋を見る。


「いくちゃんの好きなことを知る。それから始めようって思う」

「……奏ちゃんっ」


 奏多の言葉に、歌恋は今度こそ奏多に飛びついた。「えへへへーい」というよりも「でへへへーい」が似合いそうな程ニヤけきった顔で、ちょっと引くくらい嬉しさが爆発している。


「良いんですよね、奏ちゃん? 私の好きなもの、色々教えて良いんですよねっ?」

「お、おお……おぅ」


 あまりの勢いに、奏多の笑顔も引きつる。


「うん、もちろんだよ。でも、お手柔らかにお願い……ね?」


 しかし奏多はしっかりと頷いてみせた。

 歌恋は少しだけ冷静になったように「はいっ」と照れたように返事をする。林檎も歌恋の表情を見て安心したのか、優しい笑みを浮かべていた。

 その瞬間、武蔵はようやく肩の力が抜けた気がした。

 歌恋が笑っていて、林檎も笑っていて、奏多もちゃんと笑っている。

 見たかった光景がそこには広がっていて、武蔵も自然と笑みを零すのであった。

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