4-4 絶対、大丈夫。

「あ、それならさ。ちょっと提案があるんだけど」


 と、思ったのだが。今まで黙っていた(と言うか、歌恋の一大事だというのに何故かずっと携帯電話をいじっていた)林檎に呼び止められてしまった。


「こうなったら、ライブにでも誘ってみたら?」

「……?」


 林檎の発言の意味が本気でわからないように、歌恋は声も出ないまま首を傾げる。でも、意味がわからないのは武蔵達も同じだった。


「り、林檎? ライブって……それはいきなり過ぎないかな? 誘うって、京堂さんをってことだよね?」


 珍しく理人が林檎に対して戸惑いを隠せないでいる。林檎の言うことならすぐさま肯定しそうなあの理人が。でも、理人の気持ちはよくわかる。


「話の流れ的にそうに決まってるでしょ。向こうが強引なんだから、こっちも強引に攻めなきゃ駄目だと思うの。少しでも興味があるなら頷くでしょ」


 林檎は至って真面目なようで、何でもないような顔をしている。いや、もちろん林檎の言葉の意味がまったくわからない訳ではないのだ。今の奏多はとにかく頑なで、できるだけ強引なことをしなければ奏多の気持ちは動かないと思う。

 だからライブに誘うというのは割と良い案なのかも知れない、と少しは思い始めている。でもいったい、誰のライブに誘えば良いのだろう。決まっているライブの中で、アニソン初心者でも薦められるアーティストはいるのだろうか?


 と、言うよりも。だいたい、ライブに誘う前にアニメを見せるなりCDを聴かせるなりをした方が良いのではないだろうか。そう思うと、やはり林檎の案には賛同できない気がしてきた。


「的井先輩、顔、顔。そんなに渋い顔しなくても、ちゃんとした考えがあるから。ほら!」


 すると、林檎が笑いながら携帯電話の画面を見せてくる。

 さっきから何で携帯電話ばかり必死に見ているのだろうと疑問に思っていたが、ようやく納得がいった。


 ――アニソンサマーフェスタ。


 武蔵も興味はあったものの、遠征になるので諦めていた関東のアニソンフェスだ。


「ああ、なるほど。フェスか」


 確かに、フェスなら色んなアーティストが出演していてアニソン系のライブの雰囲気を知るにはちょうどいいかも知れない。それに、出演アーティストに目を通すと音楽番組にも度々出ているような一般的に知名度のあるアーティストもいた。


「あっ、SAKURAZAKAさくらざかもいるんですね! 私も奏ちゃんも好きなアイドルなんですよ」


 アーティスト欄を指差しながら、歌恋は呟く。

 心なしか、嬉しそうに声が弾んでいるような気がする。


「SAKURAZAKA……あぁ、そうか。最近、カードゲームのアニメの主題歌とか、特撮ソングとかのタイアップがあるよな」


 SAKURAZAKAは、二人組の男性アイドルだ。確か、桜野さくらの鏡介きょうすけ坂井さかい空太くうたの苗字を取ってSAKURAZAKAだったような覚えがある。歌唱力に定評があって、アニソンファンにも最近は人気がある印象だ。


「そうなんです! いつかライブに行きたいねって奏ちゃんとも……話して、まして」


 歌恋の言葉は、徐々に小さくなっていってしまった。やがて力ない笑みを零す歌恋と目がばっちり合ってしまい、武蔵は反射的に口元をつり上げる。


「そんな状況じゃなくなった、とか思ったのか?」

「え、えへへ……。へーい、です。すみません、つい……」


 弱々しい、と感じたのはほんの一瞬のことだった。自分自身に気合いを入れるように頬をパチパチと叩き、じっと武蔵を見据える。


「いつか行きたいね、じゃなくて行くんです! 奏ちゃんだけじゃなくて、的井くんや林檎ちゃん、呉崎さんと小古瀬さん……皆で行きたいです。それに、私の趣味を教えるだけじゃなくて、SAKURAZAKAのステージも見られる……」


 言いながら、歌恋は視線を林檎に移す。


「こんなに良い案を思い付くなんて、林檎ちゃんは凄いです、天才ですよっ」

「そ、そう? 天才は大袈裟だと思うけど……。でもとにかく、強引に行くべきだと思うから。…………それに」


 顔を寄せながらべた褒めしてくる歌恋に、林檎は視線を逸らしながら照れ笑いを浮かべた。頬を朱色に染め、何かを言い淀んでいるように口をもごもごさせている。


「それに?」

「……あたしは歌恋の笑った顔が見たいだけって言うかっ。と、とにかく、皆で遠征できたら楽しいなって思ったの。……駄目、かな……?」


 歌恋、武蔵、理人、薫。全員の顔を見つめながら、林檎は恐る恐る訊ねてくる。

 断る理由なんて、まったく思い付かなかった。それどころか、歌恋と理人と顔を見合わせて、何とも言えないニヤニヤ顔を零してしまう。


「俺は大賛成だ。久々の遠征だしなぁ、このメンツで行けるって考えるだけで楽しみだ」

「僕もだよ。でも林檎、そのフェスのチケットはまだ余ってるんだよね?」

「あ、うん。そこは大丈夫。四連番までだから、二組に分かれることになるけどね」


 煮え切らない表情のまま、林檎は頷く。

 林檎の視線の先には、同じく微妙な表情になってしまっている薫の姿があった。


「……あの、小古先輩、どうしました? やっぱりこの作戦は無理がある、とか言わないですよね?」

「ああ、いや……その」


 戸惑っているように、薫は視線をあっちこっちに動かす。こんなにも挙動不審な薫の姿を見るのは初めてで、武蔵も不安になってしまった。

 しかし、薫の口からはまったくもって予想外の言葉が飛び出てくる

「わ、私も仲間に入れてもらって良いのか? その……友達って的井ちゃんしかいないし。本当は、林檎ちゃんや歌恋ちゃん、ついでに理人くんとも。仲良くなりたいと……ずっと、思っていたんだ」


 至って真面目な顔で、薫は林檎をまっすぐ見つめる。と思ったら、すぐに口をつぐんで俯いてしまった。


「……へっ?」


 言葉も行動も、林檎にとっては想定外のものだったのだろう。目をぱちくりさせて驚きを露わにしている。でも、気持ちは武蔵も同じだった。


「薫。ずっとそんなこと思ってたのか」

「……うん、そうだよ。今だって、的井ちゃんが相談してこなかったら私はここにいなかった訳だよね。私は学校が違うし、先輩だし、色々と距離感があるって思ってたから」


 薫は俯いたまま、どこか寂しそうに呟く。

 確かに、薫の言う通りだなと思った。薫は女子高に通う先輩で、ライブやイベント以外ではあまり会うことがない。更に言えば歌恋とは出会ってまだ間もないのだ。武蔵の友達とはいえ別の学校の先輩と考えると距離を感じてしまうだろう。


「小古瀬さん、私……先輩だからって遠慮する気持ちがありました。でも、小古瀬さんともお友達になれると思うと、凄く嬉しいです! なので、これからもよろしくお願いします」


 いち早く薫の声に応えたのは歌恋だった。深々とお辞儀をして優しい笑みを浮かべる歌恋を見て、薫はようやく安心したように頬を緩める。


「あはは、私も嬉しいよ、ありがとう。でも、そんなにかしこまらなくて良いんだよ」

「すみません。これが私なので」

「……そうか。早く奏多ちゃんにも素の歌恋ちゃんを伝えられると良いね」


 薫の言葉に、歌恋は力強く頷く。そして、「次は林檎ちゃんの番ですよ!」と言わんばかりに目配せをした。


「うっ……」


 露骨に嫌そうな顔をする林檎。

 すると薫が申し訳なさそうに苦笑してしまったため、林檎は慌てて咳払いをした。


「やっ、別に嫌って訳じゃないですよ。ただ……あたしが小古先輩を嫌っていたのには理由があるんです。わかりますか?」


 林檎の琥珀色の瞳が、じっと薫を見据える。

 しかし、薫が狼狽えることはなかった。武蔵的には「こんな時に嫌っていたなんて言わなくても」と思ってしまったが、でもこれが林檎の本音なのだろうとも思う。だから黙って様子を窺った。


「私と的井ちゃんが友達だからかな?」

「はい、そうです」


 薫の返答に、林檎はきっぱりと言い放つ。


「あたしにとって小古先輩は敵だから、仲良くなろうとは思いませんでした。こうして敬語で話して、距離を取ろうとしてました」


 淡々と話す林檎に不安な表情を覗かせたのは、薫――ではなく、歌恋だった。そりゃあそうだろう。武蔵と友達=敵ならば、歌恋も林檎の敵ということになってしまう。


「あ、あの……」

「こらっ、そこの真面目っ子。露骨におどおどしない! ……今から、ちゃんと説明するから」


 歌恋にだけ優しい顔を向けてから、林檎は再び咳払いをする。


「歌恋は敵じゃなくてライバルだし、小古先輩は的井先輩に気がないことはわかってます。はあ……。あーあ、そうですよーだ。小古先輩を嫌う理由なんて、とっくになくなってたって訳。小古先輩は美人だし、スタイル良いし、性格もイケメンだし……つまりはその……」


 困ったように床を見つめて、林檎は言葉を詰まらせる。その様子を、薫や歌恋、そしてもちろん理人が心配そうに見つめていた。武蔵も、「頑張れ」と心の中で思いながら林檎を見守る。


 ――少しの沈黙のあと。


 林檎は、やっとの思いで動き出した。瞳をぎゅっと閉じながら、半ば叫ぶようにして本心を告げる。


「嫉妬してただけなのっ! だから……今まで変な態度取っちゃって、ごめん……なさい!」


 強張った顔のまま、勢いよく頭を下げる林檎。

 その瞬間、林檎からすると嫌なことかも知れないが、武蔵は笑ってしまった。「何だ今更か」とか、「そんなこと言われなくてもわかってるよ」とか、林檎をからかう気持ちで笑っている訳ではない。


 自然と、理人と目が合った。嬉しさと温かさが混ざった笑みを浮かべる理人を見て、武蔵は思わず「このシスコンめ」と笑い飛ばす。決して嫌な気持ちはなく、むしろ今くらいはシスコン全開でも構わないと思った。


「頑張ったね、林檎」

「……そのセリフ、兄貴よりも的井先輩に言われたかったんだけど」

「はは、傷付くなぁ」


 理人に声をかけられて、林檎はようやく身体の力が抜けたように拗ねた顔を向ける。嫌そうに理人を睨み付けているが、多分嫌悪感はないのだろう。恥ずかしそうに頬を掻き、ちらりと薫を見る。


「面倒臭くて……ごめん。でもこれがあたしだから。友達になるなら覚悟して欲しい」

「うん、ありがとう。やっぱりため口の方が林檎ちゃんらしいね」

「……急に口調を直すのは無理、ですよ。あの……変な距離感とかじゃなくて、小古先輩には敬語っていうのがあたしの中の素だったんですから」

「うん……そうだね。わかってるよ」


 頷きながら、薫はうっすらと微笑む。今まで微妙な距離感を保っていた林檎が本音を伝えてくれている。武蔵の友達でしかなかった薫が、輪の中で笑っているのだ。そう思うと、武蔵も何だか嬉しくなってしまう。


「でも意外だな。てっきり薫は、女子高では友達がたくさんいるのかと思っていたが」

「あぁ……いや、別にぼっちではないんだよ。私は趣味に関してはオープンだし、それで浮いていることもない。ただ、趣味の合いそうな子は女性向けコンテンツや男性声優が好きな子ばかりでね。結局イベンター仲間って言ったら的井ちゃんだけなんだよ。デートする女の子は多いんだけどね」

「そうだったのか。……そうだったのか……っ?」


 デートする女の子云々で二重に驚く武蔵だったが、薫は何でもないような顔をしている。まぁ、女性同士で遊ぶことをデートと言う人もいるし、普通のことなのかも知れない。特に薫は性格がイケメンだから、尚更だろう。


「的井先輩、何興味津々な顔してるの? 何か、気持ち悪い」

「……め、珍しく林檎ちゃんに否定的なことを言われた……」

「だって的井先輩も人間だもん、仕方ないよ。……そんなことよりも、さ」


 人間だもん、というまとめ方はいかがなものか。なんて思っていると、林檎は小さく咳払いをして、歌恋を見る。


「歌恋、わかった?」

「えっ、何がですか? 的井くんが人間だってことですか?」

「いや、そうじゃなくて」


 唐突な質問に、歌恋は口をポカンとさせる。

 林檎は少しだけ呆れたように眉をひそめながら、言い放った。


「自分で言うのもあれだけど。……林檎、今頑張ったの」

「あ、そうですね! 林檎ちゃん、偉い偉い~」


 ニコニコと嬉しそうに笑いながら、歌恋は林檎の頭を撫で回す。林檎も「うっ」と一瞬だけ呻きながらも大人しく受け入れ、まんざらでもなさそうに頬を赤らめる。

 なんて微笑ましい光景なのだろうと、武蔵は密かにニヤけ顔になってしまった。


「……って、じゃなくて! そうじゃないの。あたしは頑張った。頑張って、小古先輩に本心を伝えた。だから歌恋、次は歌恋の番だよ」


 温かな空気を断ち切るように、林檎はビシィと歌恋を指差す。


「本心を伝えるのって、結構大変だけどさ。歌恋ならきっと、大丈夫だと思う」


 きっぱりと言い放ってから、「いや、何の根拠もないんだけどさ……」と自信なさげに付け足す。思わず苦笑を覗かせる林檎だったが、歌恋にはしっかりと伝わったようだ。


「林檎ちゃん、ありがとう」

「な、何が? あたしは何もしてないよ。あたしは頑張ったから歌恋も頑張れって言っただけで、お礼を言われることなんて……」

「林檎ちゃんは照れ屋さんですね。照れ屋さんだけど優しくて、可愛らしい林檎ちゃんのことが大好きです。そんな林檎ちゃんには二回も言ってあげます。……ありがとうっ」

「なっ、なな……」


 遠慮なく顔を近付かせて囁く歌恋に、林檎はもう限界と言わんばかりに仰け反る。頬が赤らむ――どころではなく、耳まで真っ赤になっていた。こんなにも照れている林檎の姿を見るのは初めてで、やっぱり武蔵はニヤニヤとしてしまう。


「わかった。もうわかったから。今度こそはっきりと言ってあげる。そのまっすぐさがあれば絶対に大丈夫だから! あたしが保証してあげる!」

「わぁ、本当ですかっ? 嬉しいです、私……頑張ります!」


 思わずからかいたくなるくらいに林檎は照れているのに、歌恋は気にする素振りすら見せず、純粋に頷いた。


 ――そのまっすぐさがあれば、絶対に大丈夫。


 確かに、林檎の言う通りだと思った。歌恋は、今までずっと奏多に本心を隠していたけれど、それは趣味のことだけだ。自分の気持ちを隠すことは絶対にしないと思う。むしろ、自然と伝えてしまっているような、純粋な性格だ。


「とにかく私、奏ちゃんに話しかけまくります! それで、少しでも話せるようになったらフェスの話をしてみますね!」


 握りこぶしを作って、決意を固める歌恋。

 武蔵も力強く頷きながら、ふと思う。結局は、気持ちの問題だったのだ。今は少しだけ、奏多に突き放させてショックで動けなかっただけだった。でも、ちょっと背中を押して前向きになれば、歌恋は止まらない。

 何かあれば、もちろん武蔵も支える。

 でもきっと、いや絶対。

 今の歌恋ならば大丈夫だろう、という気持ちが芽生えていた。

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