第五章  それぞれの本心

5-1 恋愛フラグ

 正直、武蔵の考えは甘かったのかも知れない。

 芽生えた希望の行く末はハッピーエンドだと、武蔵は信じていた。いや、もちろん今だって信じている。しかし、現実は厳しかった。


 ――と言うより、京堂奏多が手強かった、と言った方が良いのかも知れない。


 奏多に突き放され、歌恋が決意を固めた翌日。玄関でばったり会った歌恋と共に若干の緊張を覚えながら教室に入ると、


「あっ、いくちゃんおはよー。的井くんも、おはよう!」


 なんて言いながら微笑む、いつも通りの奏多がそこにはいたのだ。

 意味がわからなかった。と言えば大袈裟かも知れないが、それでも武蔵は歌恋と顔を見合わせて驚いてしまう。てっきり、昨日の放課後のテンションで「育田さん」と呼び、避けられるとばかり思っていた。

 でも違う。少し考えれば、武蔵も納得した。そりゃあ教室内であのテンションになれる訳がないだろう。いきなり態度を変えたら、クラスメイトに訝しげられてしまうに決まっている。だからきっと、学校の外でならちゃんと話ができると思っていた。

 放課後になると、歌恋は必死になって奏多に声をかける。

 しかし、


「あ、ごめん。あたし忙しいんだ。じゃあね、いくちゃん」


 手を合わせて謝る素振りを見せて、奏多はさっさと教室を出ていってしまった。

 一瞬だけ唖然としてしまったものの、歌恋はめげずに奏多を追いかけて声をかけ続ける。でも、駄目だった。「また今度ね」と言うばかりで一向に話を聞こうとせず、ついには玄関で靴に履き替えて、駆け足で逃げられてしまった。


 もちろん、歌恋は諦めてなどいない。メールや電話は何度もしているし(完全にスルーされているが)、学校では声をかけ続けている。

 でも、決まって言うのは「また今度ね」という言葉。

 その「また今度ね」は、あろうことか一週間も続いてしまった。と言うか、奏多としては一生言い続けるつもりなのかも知れない。いつか歌恋が諦めてくれたら、教室で普通に話すだけのクラスメイトになる。奏多はそれを狙っている可能性がある、ということに武蔵は気付いた。

 あくまで武蔵は部外者だ。口を挟む訳にはいかないとは、思っている。だけどどうしても、もやもやは募っていった。


 ――どうしたら良い? 俺はどうしたら、いくちゃんを笑顔にさせられるんだ?


 悩んでも悩んでも、答えは出てこなかった。進展がないまま一週間も経ってしまったのだ。つまりは、辛そうな顔をしている歌恋を一週間も見続けているということになる。

 焦るな、と言われる方が無理だった。


「おはよう、ムサシくん」

「…………ん?」


 頭の中が意味もなく、ごちゃごちゃと騒ぎ出す。結局答えは出てこないのに馬鹿なことだと思うし、それによって周りが見えなくなってしまうのももっと馬鹿だと思った。


「いやだから、おはようって言ったの。大丈夫、ムサシくん?」


 時刻は午前八時。朝のホームルームまではまだまだ時間があるが、気付けば武蔵は教室の中にいた。人の数はまだ少なく、歌恋や奏多、理人の姿はまだない。どうやら、いつもより早い時間に登校してしまったようだ。

 心が焦りすぎている影響なのか、と武蔵は自分自身に苦笑する。


「あ……あぁ。委員長、おはよう」


 武蔵に声をかけてきたのは、二年A組の学級委員長である江ノ本えのもと君華きみかだ。深緑色の外ハネしたショートヘアーに、赤縁眼鏡。いかにも頭が良さそうな容姿をしているが、確か武蔵と同じく成績は中の上くらいだった記憶がある。


 あまり接点がある訳ではないが、君華はコミュ力が高いらしくクラスメイト全員にあだ名を付けている。武蔵のことを「ムサシくん」と呼ぶのは、武蔵=ムサシとも読めるから、ということらしい。


「あっ、ちょっと待ってムサシくん」


 とは言え君華とは世間話をする程の仲ではなく、武蔵はそのまま自分の席に着こうとした。しかし君華に呼び止められ、武蔵は首を傾げる。


「……折り入って、話があるのよ」


 更には真面目な表情でそんなことを言われてしまい、武蔵の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。何度も言うが、君華とはまったく接点がない。委員長という肩書きがなければ、ますます印象が薄いことだろう。


「それは、今言えることじゃないのか?」

「そうね……。ちょっと、人がいると困るのよ。……放課後、良いかしら?」

「…………」


 武蔵は思わず、君華を見つめて沈黙してしまう。


(いやいやいや、ちょっと待て。話ってなんだ? ここじゃ言えないことって……。いや、マジで困る。これ以上恋愛フラグを増やさないでくれ。委員長には悪いが、今はそれどころじゃないって言うか! いやでも、だからと言って委員長の気持ちを無下にする訳にも)


 心の中は当然のように大騒ぎだ。憶測と言うか最早妄想が止まらない。馬鹿なことを考えていることはわかっているはずなのだが、突然現れた新キャラ(いや、委員長として元々認識はしていたが)との急接近に、頭が追い付かないのだ。


「ああ、ごめんね。予定があったなら良いんだけど」

「あー、いや。大丈夫だ。部活は幽霊部員みたいなものだし、予定も特にはない」


 とりあえず理由もないのに断る訳にはいかない。

 武蔵は何とかして冷静を装い、さらりと返事をする。すると何故か、君華はニヤリとからかうような笑みを浮かべた。


「うん、わかってるわよそんなこと。私も料理部だから」

「えっ、あ……そうだったか? わ、悪い……」

「ふふっ、良いのよ別に。私も月に一回は学級委員の仕事で休んでるし、今日もムサシくんとの話の方が優先事項だから、部活は休むつもりよ」


 楽しそうに微笑みながら、君華は何でもないことのように言い放つ。心の底から溢れ出ているような冷静さに、武蔵の焦りは加速する。

 しかし、焦りの中に確かにあるのは歌恋の存在だった。とにかく今は彼女が心配で、早く解決しなければ自分のもやもやも治まらない。君華の発言に驚きながらも、「それどころではない」という気持ちが勝っているのだ。


(ちゃんと、断らないとな)


 戸惑いながらも、武蔵は決意する。

 歌恋と奏多の問題にしっかりと向き合うためにも、これ以上問題を多くする訳にはいかないのだ。まだ告白と決まった訳ではないし、アホなことを考えているのかも知れない。でも、万が一武蔵の想像通りの出来事が起こったら、断る勇気を持たなければいけないと武蔵は思うのであった。

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