4-3 背中を押して

「ねぇ武蔵。……小古瀬さんに相談することはできないかな?」


 呉崎宅へ向かう道すがら、理人が予想外の提案をしてきた。まさか、理人の口から薫の名前が出るなんて。唐突すぎて、武蔵は一瞬だけ思考停止してしまった。


「おっ、お前まさか、薫のこと……」

「…………武蔵。また僕に恋愛脳を押し付けようとするつもりかな?」

「わ、悪かった。そんなに睨むなって。でもそうだな。女性同士の話なら薫に相談した方が良いかも知れない。ちょっとメールしてみるか」


 武蔵の恋愛相談といい、最近薫を頼りすぎなのではないか? という疑問は確かに思い浮かんだ。突然呉崎宅に呼び出したこともあるし、申し訳ない気持ちにはもちろんなる。しかし薫は女子高に通っているのだ。もしかしたら的確なアドバイスをくれるかも知れない。

 武蔵は、そんな淡い期待を抱きながら薫にメールを送る。


 ――返事は、すぐに返ってきた。


「あー。なるほどなぁ」

「小古瀬さん、何だって?」

「……心配だから今から来てくれるそうだ」


 なんとなくそう言ってくる気はしていて、武蔵は思わず苦笑してしまう。まったくもって申し訳ない。申し訳ないが、しかし。

 とにかく今は、歌恋の力になりたい。だから薫の申し出には、素直に感謝する気持ちも湧き上がっていた。



 武蔵と理人が呉崎宅に着いてから、数十分後。


「はぁ……はぁっ、ま、待たせたな!」


 息を切らせた様子の薫がやってきた。服装はまだ女子高の制服姿(グレーのブレザーで、リボンとスカートは赤チェック)で、どうやら下校途中に慌てて来てくれたようだ。

 リビングに案内すると、武蔵と理人しかいないことに首を傾げる。


「……ん? 歌恋ちゃんと林檎ちゃんは……いないのか?」

「あー、悪い。説明不足だったな。二人は輝夜さんのCDを買いに行ってからこっちに来るんだ。アニメショップに寄るだけだから、そろそろ来ると思うんだが」

「そうか、今日はフラゲ日か。確かに大事だな」


 CDを買いに行く元気があることに安心したのか、薫は小さく微笑む。しかしすぐに蜜柑色の瞳は鋭くなった。


「で、詳しい事情を聞かせてもらおうか?」


 訊ねられ、武蔵はかいつまんで説明する。

 歌恋にはオタク趣味のない友達がいること。歌恋はずっと、自分の趣味のことを打ち明けられていなかったということ。今日の放課後、友達に突き放されてしまったこと。すべてを話すと、薫の眉間にしわが寄った。


「なるほどね。……ずっと言えなかった歌恋ちゃんにも、非があるかも知れない。って、私は思うんだけど」


 二人にも意見を求めるように、薫は武蔵と理人を見つめる。


「まぁ、そうだな。でも、京堂さんに伝えようっていう話をちょうど昨日してたんだよ。まさかこのタイミングで、京堂さんの気持ちが爆発するとは思ってなくて、な」

「……僕も甘く考えていたよ。最近、京堂さんは寂しそうにしているように見えた。けど、きっと自然と解決するだろうって思ってたから」


 歌恋は良い子だってわかっているし、奏多も傍から見ていれば不満を溜めてしまうタイプには見えなかった。だから大丈夫だろうと、勝手に決め付けてしまったのだ。


「理人くんは、意外と……林檎ちゃん以外の人のことも見ているんだね」

「そんなに目を丸々とさせないでくださいよ。一応、武蔵よりかはコミュ力があると思いますし、だいたいシスコンも少しずつ治そうと……」


 理人の発言に、薫の瞳は更に大きくなる。


「それは無理だろう! 妹の気持ちを無視して、的井ちゃんと歌恋ちゃんをくっ付けようとした君には! 絶対に、無理だろう!」

「……あの時のことを根に持たれているぅ……」


 敵意むき出しに叫ぶ薫に、理人は情けなく頭を抱えた。

 すると、そんなタイミングで歌恋と奏多が到着したようだ。理人は明らかに「この話が長引かなくて良かった」というほっとした表情をして、薫はやれやれという表情をしている。


「ごめん、遅くなった……って、何で小古先輩がいるんですか!」


 リビングに入ってくるなり、林檎が驚いた様子で薫を指差す。その後ろで、歌恋も目を大きくさせていた。


「歌恋ちゃんが心配でね。的井ちゃんにはアドバイスだけで良いって言われたんだけど、ついつい来てしまったんだ」

「……で、でも、申し訳ないです……」

「うーん。これは私のわがままみたいなものだから。気にしなくて大丈夫だよ」


 言いながら、薫は歌恋を安心させようと微笑む。眉根を寄せたままではあるが、歌恋はゆっくりと頷いた。


「じゃあ、歌恋ちゃん。早速一つ質問しても良いかな?」

「……何ですか?」


 歌恋と向き合う形で座り、薫は訊ねる。


「奏多ちゃんのことは、今でも好きなのかな?」

「それは、もちろんです。この気持ちが変わることはありません」


 歌恋は悩む様子もなく、即答した。

 背筋をピンと伸ばして正座をし、まっすぐ翡翠色の瞳を向ける。そんな真面目すぎる歌恋の姿に、薫は優しい笑みを浮かべた。


「なら、大丈夫だ」


 そして、何でもないように宣言する。

 当然のように、歌恋は「え……?」と聞き返した。どうしてそんなに自信満々なのかがわからないように、困り顔になってしまう。


「うーん……。わかってはいたけど、だいぶ参ってるみたいだね。でも歌恋ちゃんは、奏多ちゃんと友達でなくなる未来は考えられないんだよね?」

「もちろんそうです! そうなんです、けど……」


 俯きながら、歌恋は頭の中を整理するようにぽつりぽつりと言葉を零す。

 奏多が自分のことをただの話し相手だと思っていたこと。本当は違うかも知れないけど、オタクを理解できないという事実はあって……。本当にもう、ただのクラスメイトになってしまうのか。考えるだけで、様々なショックと不安で頭がぐるぐると回転してしまう。

 でも、一番嫌なのは今まで奏多に本当の自分を隠し続けていたことだ。今まで奏多と向き合うことから逃げ続けていて、昨日ようやく武蔵と林檎に打ち明けることで決意することはできたけれど、何もかもが遅かった。


「……自分を責めすぎちゃ、駄目だと思うぞ。京堂さんのあの態度も悪いと思う。まぁ……京堂さんにとっては、隠しごとをされていたっていうのが大きいんだろうが」


 武蔵が呟くと、林檎と理人が苦い顔をしながら同意する。


「私は、奏ちゃんと過ごす時間も凄く楽しいって思っているんです。だから、この関係が崩れるのが怖くて……。言わなきゃって思っても、行動に移すことができませんでした」

「気持ちはわかる。言い出せなかった気持ちも、言えなかった自分に後悔している気持ちも。でも、そんなこと言ったら俺だって一緒だろ? 最初はいくちゃんに本当のこと、言い出せなかったんだからな」


 自虐的な笑みを零しながら、武蔵は必死に歌恋を励ます。

 沈んでいる歌恋の姿を見ているのはやっぱり辛かった。だから必死になってしまうのだろうが、励ます以外の行動ができない自分が情けない。

 具体的な解決策が見つかれば良いのに。探しても探しても、見つからない。


「ごめんなさい、ネガティブなことばかり……。私がもっとしっかりしなきゃですよね!」


 必死な武蔵の姿を見て我に返ったのか、歌恋は一瞬だけ力強い笑みを見せた。でも無理をしているのがバレバレで、すぐに崩れてしまう。

 奏多のことは今でも好きで、やり直せるならやり直したい。でも、奏多がオタクを嫌っているのは変わらなくて、歌恋がオタクやイベンターをやめるのは――やはりできそうにない。アニメやアニソンは生き甲斐なのだ。もし武蔵がやめろと言われたら一瞬で拒否することができるだろう。きっとそれは歌恋も林檎も理人も薫も同じだ。アニメがなくて、アニソンもなくて、ライブやイベントにも行けない生活など、考えられない。と言うか、考えたくもない。


「はあ……。いったい、どうしたら良いんでしょう……。詰みました、私の人生……」


 大きなため息を吐きながら、歌恋はちゃぶ台に突っ伏す。

 まるで考えるのを諦めてしまったかのような、だらーんとした歌恋の姿。武蔵は思わず心の中で「可愛い……」と呟いてしまった。学校の休み時間ですら背筋を伸ばして真面目に勉強をしている歌恋が、悩むことを諦めてへにゃへにゃしている。

 これがギャップ萌えというやつか、と武蔵は思った。


「か、可愛い……。こんな可愛い子に好かれているなんて、的井ちゃんは羨ましいやつだな」

「……薫。確かに俺もそう思ったが……じ、じゃなくて。今はそんな呑気なことを言ってる場合じゃないだろ。何か良い解決策、ないか?」


 ニヤニヤと笑う薫に呆れながら、武蔵は訊ねる。

 すると、薫は何でもないように言った。


「確信がある訳じゃないけれど……。奏多ちゃんは、本当にオタクを嫌っているのかな?」

「……え?」


 あくまで薫は真顔だった。だからこそ、歌恋の心にも引っかかったのだろう。はっとしたように顔を上げて口をポカンとさせる歌恋は、吸い込まれるように薫を見つめていた。


「話を聞く限りじゃ、奏多ちゃんがオタクを嫌う明確な理由がわからないんだよね」

「き、気持ち悪い……とは、言ってましたけど」

「具体的にどの辺が? っていうのはわからないよね」


 歌恋に顔を寄せ、優しく微笑む薫。

 自然と頷く歌恋を見て満足したのか、話を進めた。


「単にお兄さんと仲が良くないだけかも知れないし、歌恋ちゃんが自分の知らない世界を楽しんでいるのが嫌なだけかも知れない。まぁ、これはただの想像でしかないんだけどね。本当のことは、本人に聞かなきゃわからないよ」

「……あ……」


 歌恋の翡翠色の瞳が、大きく開かれる。

 理人を見て、林檎を見て、武蔵を見て、また薫を見る。


「私、話したいです! 奏ちゃんと、もっと……ちゃんと、話したい!」


 言いながら、歌恋は溢れた気持ちが抑えきれないように立ち上がる。今すぐにでも奏多の元へ駆け出しそうな勢いで、武蔵は思わず笑ってしまう。


「ちゃんと自分の本音も伝えてないんだ。諦めるのはまだ早い。そうだろ?」

「はいっ、そうです! ……って、どうして半笑いなんですかっ?」


 ――そりゃあ、少し背中を押しただけで前に進めてしまういくちゃんが、あまりにも眩しいからに決まってるだろ。


 なんてことはもちろん言えるはずもなく、武蔵は笑って誤魔化す。


「どうして笑うんですか!」


 と怒る歌恋はいつも通りのリラックスした姿で、武蔵はますます笑って――ではなく、驚いてしまった。


「だいたい、少しはいくちゃんも怒ってるんだろ? 京堂さんに対して」

「それは……もちろん、そうですよ。自分の中だけで勝手に完結させて突き放してくるなんて、酷いじゃないですか。それに、奏ちゃんだって本心を隠してたってことですよね? ……って、そりゃあ、思いますよ」


 歌恋は一瞬だけ、ここにはいない人物への怒りを覗かせた。しかし、眉間に寄ったしわはすぐに消え、弱々しく眉毛が垂れ下がる。


「でもそれは、言えなかった私も悪くて、どっちもどっちなので」


 いきなり突き放してきた奏多に怒る気持ちはある。でも、きっと歌恋は自分も悪いという気持ちが勝ってしまっているのだろう。

 苦笑する歌恋を見て、武蔵は強めに言い放った。


「だからって遠慮はするなよ。本音をぶつけ合いたいんだろ?」

「……はい!」


 覚悟を固めたように武蔵をじっと見つめながら、歌恋は力強く頷く。本当にこのまま奏多の家に向かいそうな勢いだし、武蔵も「行ってこい!」という気持ちだった。

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