第四章 ぶつかる気持ち
4-1 彼女の決意
不安がまったくない、という訳ではなかった。
本当にこれから先、歌恋と林檎が仲良くなれるのか、とか。自分の気持ちにはどうやって決着を付けたら良いのか、とか。
自分一人では解決できない問題が、頭の中でぐるぐる回る。しかし、一言で言ってしまうとそれは「杞憂」だったのだ。いや、もちろん自分の気持ち云々……はまったくもって解決していない。杞憂だったのは、歌恋と林檎の仲だ。
最初は放課後や休日にアニメショップに出かけたり、林檎の家へ遊びに行ったりしていたらしい。それからリリースイベントに参加したり、ライブに参加したり(お互いに行くか悩んでいたライブで、チケットは一般発売で購入した)するまでに発展したという。お見合い(という名の修羅場)から約一ヶ月しか経っていないというのに、驚く程のスピードで二人は仲良くなっていった。
二人が楽しそうにしている姿を見ていると、武蔵も嬉しくなってくる。しかし、微笑ましい気持ちばかりではいられないのが現実だった。
「お、俺……やっぱり部活に顔出しとこうかなぁ、なんて。ははは」
ある日の放課後。
何故か、武蔵と歌恋と林檎、三人で下校するというイベントが発生してしまった。理人は変に気を聞かせて先に帰ってしまうし、二人で帰れば良いじゃないかと言うと「的井くん(先輩)と一緒が良い」の一点張り。
仕方なく三人で下校しているということだ。
「駄目だよ先輩。あたしも部活休んじゃったんだから、同罪だよ」
「同罪って。だいたい林檎ちゃん、最近部活休みすぎなんじゃないか?」
「それを言うなら的井先輩もでしょ」
歩きながら、林檎は不貞腐れたように唇を尖らせる。武蔵も言い返すことができず、苦笑してしまった。料理が好きだから料理部に入ったものの、自分を除いて一人しか男子部員がいないものだから、居心地が悪いのだ。とは言え決して幽霊部員ではない。たまに、本当にたまーにだが、顔は出している。
「林檎ちゃんって、演劇部なんですよね? 演技、好きなんですか?」
「……本当は、ね。あたし、声優になりたいんだ。なんとなーく思ってるだけだけど」
興味津々に歌恋が訊ねると、林檎は苦い表情になった。
「でも何か、いつの間にか衣装係みたいになっちゃて。紅凛華のアカウントがバレちゃってさ。衣装作れるんでしょ? みたいな。だから家で衣装作って、たまに顔出してくれれば良いよーみたいな空気になってて」
言って、林檎は大きなため息を吐く。
林檎の夢が声優だというのは前々から聞いていた。しかし演劇部での状況はまったく把握していなくて、武蔵は歌恋とともに驚いてしまう。
「そう、だったのか。……辛いなら、やめても良いと思うぞ。高校卒業してからだって、演技の勉強は遅くないはずだと思う」
真面目に、武蔵はそう思った。歌恋も全力で頷いて同意している。
しかし、林檎はきっぱりと首を横に振った。
「いや。……林檎ね、衣装作りも結構好きなんだよね。だから衣装を任せてもらえるのは嬉しいんだ。正直、声優か衣装さん、どっちになりたいか悩んじゃうくらいでさ」
「……辛くはないですか? 大丈夫、ですか?」
本気で心配しているように、歌恋は林檎の顔を覗き込む。すると、林檎の頬がほんのりと朱色に染まった。
「ちょ、顔近っ! だ……大丈夫だから。いじめられてる訳じゃなくて、他の人と距離感があるってだけで。全然、大丈夫」
「……そうですか。でも、辛くなったら言ってくださいね。その……せっかく、友達になったんですから!」
照れながら言い放ち、歌恋は「えへへへーい」と笑い飛ばす。林檎も笑いながら「またその口癖」と突っ込んだ。
「もう、いちいち突っ込まないでくださいよ。……でも、私は二人が羨ましいです。私には夢とか、特にないので」
急に歌恋は遠い目になり、ぼそりと呟く。
確かに武蔵は料理が好きだから料理関係の仕事に就くだろうなと思っているし、林檎は声優か衣装さんで悩んでいる。
将来何になりたいか、という話は歌恋とはしたことがなかった。
「いくちゃんの成績なら、何にでもなれる気がするけどな」
ついつい、そんな言葉を零してしまう。
すると、当然のように歌恋に睨まれてしまった。
「そういう話じゃないですよ。的井くんの料理とか、林檎ちゃんの声優や衣装さんとか。私には、そういう個性的な趣味とか特技がないんです」
「だったら、アニメ業界の職には就きたいと思わないの?」
「……駄目です。絵も駄目で、歌も駄目で、演技もたぶん駄目そうで……駄目駄目なんです。はあぁ……」
林檎の問いに、歌恋は「駄目」を連呼しながら大きなため息を吐く。すると何故か林檎の表情まで渋くなった。
「あたしも歌がちょっと……」
こんなんじゃ、声優アーティストにはなれそうにない……。と、林檎は落ち込み始める。歌が苦手なのは初耳で、武蔵は密かに驚いていた。理人と何度かカラオケに行ったことがあるが、結構上手いのだ。「僕、アニソン歌手になりたいんだよね」と言っているくらいだから、妹の林檎も当然のように上手いと思っていた。
「ちょっと的井先輩、そんなに意外そうな顔しないでよ。確かに兄貴は上手い……と思わなくもないけど」
「はぁ……。呉崎さんは歌が上手なんですか……。皆さん特技があって素晴らしいですね。ははは……」
完全に歌恋が落ち込みモードに入ってしまったようだ。と言うか、三人で下校していて、将来の夢の話に発展するとは思わなかった。いや、もちろん修羅場になって欲しかった訳でもないが。何にせよ、歌恋も林檎もリラックスして話せる仲になっているのは喜ばしいことだと思った。
「まぁまぁ。歌恋にもいつか夢が見つかるよ。……で、そんなことよりも、さ」
「……? 何ですか?」
「歌恋ってさ、ずっと……敬語、だよね」
まるでこの問いかけが本題だと言わんばかりに、呼吸を整えてから訊ねる林檎。歌恋は、林檎の言葉を聞いた途端に視線を逸らす。
「あ、ああ、それは……。最早癖みたいなもので、林檎ちゃんに遠慮があるとかではなく、なかなか直せそうもなくて、ですねぇ」
「でも、あーっと、誰だっけ。クラスメイトの友達にはため口なんでしょ?」
時々二年A組の教室に顔を出している林檎は、歌恋と奏多が会話をしているところを目撃している。「えっ、歌恋がため口……?」と最初は林檎も驚愕していた。後輩であるはずの林檎にさえ敬語で話すものだから、無理もないだろう。
「ええっと、奏ちゃんは特別なんです」
「えー……」
「……初対面の時に言われたんです。ため口で良いよって。最初は意識してため口で話していたのですが、今では割と……素でため口になれるようになりました」
言って、歌恋は苦笑を漏らす。
割と、と言うことは、少しは意識して喋っているのだろうか。武蔵は妙なもやもやを覚え、歌恋と同じような苦笑をしてしまう。
「いくちゃんにとっては、敬語の方が話しやすいってことなんだよな?」
「です、ね。変な話なんですけど」
弱々しく、歌恋は呟く。
すると林檎が慌てたように手をブンブンと振った。
「いや、変じゃないよ! ……ごめん。あたしが変なこと聞くから」
「そんなっ、謝らないでくださいよ!」
突然林檎に謝られてしまい、歌恋も焦って手をブンブン振り始める。何だかんだで、二人の息は合っているような気がした。
このまま微笑ましい空気を見守っていたい気もしたのだが、武蔵には気になることが思い浮かんでいた。
小さく咳払いをして、歌恋に訊ねる。
「いくちゃん、ちょっと良いか」
「あ、はい。何ですか?」
「……京堂さんには、話せたのか?」
歌恋がオタクであること。イベンターであること。奏多にはいつかは話したいと言っていたが、どうなったのか。
そんなの、本当は訊く前からわかっていた。わかってはいたが、訊かずにはいられなかったのだ。
「まだ……です、ね。あまり先延ばしにしてはいけないって、わかってるんですけど」
歌恋の表情がまた沈んでしまった。林檎が心配そうに歌恋を見つめる。
「どうしたの。何の話?」
「奏ちゃん、知らないんですよ。私の趣味のこと。オタクとか、イベンターとか、そういうの……です」
「ああ、なるほど」
歌恋が恐る恐る話すと、林檎は意外とさっぱりした反応を示した。歌恋の肩をぽんぽんと叩き、笑いかける。
「別に、大丈夫なんじゃない? 今時オタクに偏見持ってる人なんて少ないでしょ。案外、その……京堂さん? も、隠れオタクだったりするかもよ」
って、初めて友達ができたばかりのあたしが何言ってんだって話だけど。と付け加えながらも、林檎は歌恋を励ます。
しかし、歌恋は困り眉になりながら首を横に振った。
「違うんです。……これには、訳があって」
最寄りの駅に到着し、歌恋は立ち止まる。
林檎と武蔵を交互に見て、言いづらそうに口をゆっくり開いた。
「奏ちゃんにはお兄さんがいて、そのお兄さんはアニメオタクみたいなんです。……で、奏ちゃんはお兄さんのことがあまり好きではないと……。そういう話を、したことがあるんです」
「あぁ……」
思わず、武蔵は何とも言えない声を漏らしてしまった。
つまり、奏多はオタクを嫌っている可能性がある、と。奏多の趣味が男性アイドルやバラエティー番組である、というだけで割とオタクであると告げづらいのに。更には嫌いかも知れないだなんて。
そりゃあ言えないに決まっている、と武蔵は同情してしまう。
歌恋のことを心配に思う気持ちが止まらない。林檎も林檎で、歌恋にどう声をかけようか悩んでいる様子だった。
「……でも、私」
しかし、何故か歌恋の表情は輝いた。力強く武蔵と林檎を見て、小さく微笑む。
「たった今、決めました。私、奏ちゃんに言います! だって、真実を告げた的井くんや林檎ちゃんと過ごす日々は凄く楽しいんです! だから奏ちゃんにも言えばきっと……もっと楽しくなるはずです!」
夕日に照らされた歌恋の笑顔は、キラキラと眩しい。
まさか、武蔵や林檎が手を差し伸べるまでもなく立ち上がるとは思わなかった。驚いて、武蔵はまじまじと歌恋を見つめてしまう。
「歌恋って、強いんだね」
武蔵の気持ちを代弁するように林檎が呟く。
歌恋は、両手を軽く振って否定する素振りを見せた。
「そんなことないですよ。的井くんに言われなければ、こんな決意はできませんでしたから。だからありがとうございます、的井くん。林檎ちゃんも」
優しく微笑む歌恋から、目が離せない。
そんな武蔵の姿をジトーっと見つめる林檎に気付いたのは、いったい何秒後だろうか。林檎と目が合うと、武蔵は「はは……」と乾いた笑いを漏らす。
「来週、奏ちゃんを遊びに誘います。その時に、言います……頑張りますっ」
歌恋は自分自身に気合いを入れるように、両手を握り締める。ついさっきまで元気がなかったのが、本当に嘘みたいだ。
「あっ、明日って訳じゃないんだ。じゃあ歌恋、明日の放課後は林檎と過ごさない?」
「良いですよー。どこかに行くんですか?」
「あれ、忘れちゃった? 明日は輝夜さんの新譜のフラゲ日なんだけど」
「はっ! そ、そうでした! 一緒にアニメショップに行きましょう、フラゲをするんですっ。えへへへーい」
そしていつもの会話に戻っていく。林檎は当然のように明日も部活を休み気でいるようだが、あの事情を聞かされてしまったら特に突っ込む気にはならなかった。
逆に自分が久しぶりに部活に顔を出そうか、という前向きな気持ちになっていることに気が付く。歌恋が頑張ろうとしているから、自分も頑張ろうと思えるのかも知れない。と、武蔵は思うのであった。
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