3-4 友人からの頼み

 こうして、歌恋と林檎は友達になった。と言ってもまだ二人は出会ったばかりだし、どれだけ仲良くなれるかはまだわからない。でも二人とも嬉しそうにしていて、二人を出会わせたのは良かったことだと武蔵は思っている。


 ほっと一安心したところで、窓の外はもう真っ暗になってしまっていた。名残惜しそうにしている歌恋を、薫が途中まで送っていってくれるらしい。

 よくよく考えると、自分が歌恋を送るという手もあったのだ。「しまった……」と少々後悔しつつ、武蔵も家に帰ろうとする。――と、何故か理人に呼び止められた。


「どうした? もう遅いし、家族が待ってる。俺ももう帰るぞ」

「それって、今から武蔵が帰って夕飯を作るってこと?」

「いや、そこは抜かりなく連絡済みだ。今日のところは適当に惣菜で済ませてもらってるが」


 武蔵は理人に、「それがどうした?」という目線を送る。

 不思議だったのだ。シスコンの理人にとって、林檎に友達ができることは嬉しいことに決まっている。実際、さっきまでは微笑ましい顔をしていたし、嬉しいことには変わりないはずだ。


「武蔵。少し話、良いかな?」


 なのに今は、笑顔に元気がない。それに、わざわざ「話、良いかな?」なんて訊いてくることなんて、今までなかったのだ。


「あ、ああ。……林檎ちゃん、もうちょっとだけいさせてもらうな」

「? うん、わかった。あたし、リビングにでも行……」

「いや、僕達が移動するから大丈夫だよ。母さんにはあとで食べに来るって言っといて」


 林檎も兄の異変には気付いているようで、小首を傾げながらも頷いていた。武蔵も武蔵でまたよくわからない状態だったため、愛想笑いを返すことしかできない。


「僕の部屋に行こう。……すぐに終わるから」


 ただ一つわかることは、「ああ、これから真剣な話をするんだろうな」ということだけだった。



 理人の部屋も、林檎と同じく和室だ。しかし壁にはアニソンアーティストや声優のポスターやタペストリーが遠慮なく飾られていたり、フィギュア用の棚があったりしていて、武蔵の部屋とそんなに変わりがない。


(お、ASAnASAの新しいポスターが飾ってあるな)


 なんてどうでも良いことを考えながら、武蔵は座布団に腰を下ろした。


「武蔵」

「……何だよ、改まって。妹は渡さない……とでも言いたいのか?」


 理人と向かい合って真面目な話をする。そう考えると何だかぞわぞわして、思わずおどけたように言葉を漏らしてしまった。

 しかし、理人はすぐに首を横に振る。


「違うよ。そりゃあ人の性格はそんなに簡単には変わらないし、もやもやする気持ちはもちろんある。でも僕は、これ以上……自分の勝手な気持ちで林檎を悲しませたくないんだ」


 理人の顔はだんだんと俯いていく。でも声だけははっきりとしていた。理人の強い意思が伝わってくる。これは今までの償いなのか、反省なのか。いったい、いつから気持ちの変化が訪れたのか。

 声色だけでは、まだわからない。


「武蔵、頼みがある。…………林檎のことを、ちゃんと考えてやって欲しい」


 理人はその場に正座をしたまま、頭を下げる。

 まさか、理人にそんなことを言われる日が来るとは思わなかった。

 思考が上手く追い付かなくて、武蔵はポカンと口を開けてしまう。


「は、ははは……。そういう反応になるよね」


 理人はゆっくり顔を上げて、苦い表情を作る。きっと、武蔵も同じような顔になっていることだろう。


「あー、いや……。も、もしかして、薫に会ったのがきっかけか? 初対面でドン引きされてたし」

「まぁ、それもあるっちゃあるよね。あの時小古瀬さんにきつく言われて、あー確かに酷いやつだな僕、みたいな。客観的に思ってみたりして」


 理人は苦笑するのをやめ、神妙な顔で「でもそれだけじゃない」と静かに首を振る。


「僕はずっと、武蔵に嫉妬してたんだ」

「……は?」


 いきなり意味のわからない告白をされてしまった武蔵は、素直に理人を威嚇してしまった。表情が真剣そのものだから、ますます意味がわからない。

 ただ一つわかることは、ふざけている訳ではないということだろうか。


「昔から、一人ぼっちで悩んでいる林檎にいち早く気付けたのはいつも武蔵だった。僕も僕で、林檎のことを気にしているつもりだったんだけどね。何だかんだ、林檎に手を差し伸べていたのは武蔵だったんだよ」

「お、おう……まぁ、それは……な」


 確かに武蔵は昔から、林檎を気にかけていた。でもそれは、小六の時に母親を亡くしたのがきっかけで、「誰かの苦しんでいる顔を見たくない」というのが大きな理由だったのだ。だから決してやましい気持ちがあった訳ではない。ただ単に、笑顔でいて欲しいと思う人の一人に林檎がいた。それだけのことなのだ。


「うん、わかってる。これはただの自己嫌悪だ。自己嫌悪でシスコンになって、武蔵に好意を寄せる林檎にもやもやしてたんだ」

「マジかよ」

「マジだよ。でも今日の林檎、凄く嬉しそうにしてたじゃん。これから林檎にとって初めての楽しいことがたくさんあるかも知れない。なのにこれ以上、僕のどうでも良い自己嫌悪に巻き込む訳にはいかないって」


 理人の琥珀色の瞳が、情けなく沈み込む。


「やっと、思ったんだ」

「……本当に、やっとだな」


 思わず、武蔵はうっすらと笑ってしまった。

 でもこの笑顔は、呆れた気持ちからくるものではないのだ。いや、少しはあるかも知れないが、でも違う。

 思えば、理人と本音で話すのなんて初めてのような気がする。小六の時、元気のない武蔵を救ってくれたのは理人の教えてくれたアニメやアニソンだった。今では立派なイベンター……と呼べる程イベントに参加できているかどうかはわからないが、とにかく充実した日々を送っている。


「だから武蔵、頼むよ。いや、武蔵自身も戸惑ってるかも知れないけどさ。でも、林檎のためにもちゃんと考えて欲しい」


 理人は改めて頭を下げる。

 すると何故か、目頭が熱くなったような気がした。たくさんの感情が溢れ出そうな感覚。でもこれは仕方のないことだと、武蔵はすぐに割り切った。

 今の武蔵があるのは、理人がこっちの世界を教えてくれたおかげだ。ずっと心の奥底には理人への感謝の気持ちがあって、でも改めて言う機会なんてなかった。でも今理人は、武蔵に頼みごとをしてくれている。

 頼ってくれたという事実が、何故だか嬉しくてたまらないのだ。


「ああ、わかってるよ。林檎ちゃんのこと、ちゃんと考える」

「……武蔵、何か泣いてない?」

「気のせいだろ。話はそれだけか? 遅いから、俺はもう帰るぞー」


 平静を装いながら、武蔵はそそくさと荷物をまとめる。

 嬉しい気持ちはあるものの、やはり小っ恥ずかしい気持ちも止まらない。つまり何が言いたいかと言うと、逃げるが勝ち、ということだ。


「あー、うん。……武蔵、ありがとう」

「ああ。また学校でな」


 これ以上部屋に留まっては、本当に弱い部分を晒す羽目になると思った。と言うか、今は理人に頼られているのだから弱い部分など見せたくない。

 だから、理人の顔を一切見ないまま部屋を出ていくのであった。

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