3-3 そんなのどうでも良い
薫を最寄りの駅まで迎えに行くと、
「もう修羅場になっているのか!」
と、開口一番に言われてしまった。これには武蔵も苦笑することしかできない。重い足取りで呉崎宅に向かい、林檎の部屋に案内する。
「あっ、初めまして! 小古瀬さん……ですよね? 私、育田歌恋と言います。よろしくお願いします」
薫と顔を合わせるなり、歌恋が礼儀正しく頭を下げる。林檎も控えめにお辞儀をしていることから、一応「こんな時間に呼び出して申し訳ない」という気持ちはあるのだろう。薫はそんな二人に苦い笑みを返した。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。君が噂の歌恋ちゃんだね、よろしく。林檎ちゃんも久しぶりだね」
薫の言葉に、林檎は短く「ん」とだけ返事をする。
一方で、歌恋は無言だった。じーっと薫を見つめている――と思ったら、だんだん顔が険しくなっていく。
「か、勝てない……です……」
ぼそりと呟く歌恋の視線は、武蔵の気のせいかも知れないが薫の胸元に集中しているように見える。と言うか、完全に自分の胸と見比べているようにしか見えなかった。
「はあ……」
そして大きなため息。
歌恋のオーバーリアクションに、薫も林檎も何が言いたいのか気付いたようだ。
「いやぁ。私としては歌恋ちゃんくらいのサイズがちょうど良いと思うよ。って、初対面なのになんて話をしてるんだろう、あはは……」
歌恋を励ますように笑い飛ばす薫。
しかし、林檎にとってはあまりよろしくない言葉だったようだ。
「ちょっと待ってください小古先輩。それどういう意味ですか」
「ああいや、林檎ちゃんもちゃんと需要はあるはずだから」
「需要ってなんですか!」
キッと薫を睨み付ける林檎。
確かに圧倒的な薫と比べると林檎の小ささは際立ってしまう気がする。でも林檎は身長を含めて全体的に小柄な訳だから、別に気にしなくて良いと思う。
なんて、何故か心の中で励ましてしまう武蔵だった。
「的井先輩も、その何とも言えない顔やめてよ」
「お、おう……と言うか林檎ちゃん。今は別に胸の話がしたいんじゃないだろ?」
「胸の話とか、みなまで言うな!」
「……悪い」
どうしたら良いんだよ……と思いつつも、早く話を進めたいため素直に謝る。何気なく薫に視線を送ると、薫は力強く頷いてくれた。
「とにかく、二人とも。勝てるとか勝てないとか関係ないよ。私は的井ちゃんと恋愛に発展することはないから」
きっぱりと言い放ってくれた薫に、武蔵は安堵感を覚える。
しかし二人はまだ納得できないようだった。
「的井くんから話は聞きました。ずっと女子校で、男性が苦手だって。でも的井くんと友達になれたということは、小古瀬さんの男性嫌いはそこまで大きな問題ではないのかな、と……。すみません、思ってしまいまして……」
迷いながらも口にした歌恋の言葉は、何も間違っていなかった。
薫は出会った頃から、男性は苦手だがトラウマ的なものがある訳ではない、と言っている。だからこそ友達になれた訳だが、薫が少し頑張れば恋愛に発展する可能性もあるとも言えてしまう。
そこが歌恋と林檎の不安な部分なのだろう。
「確かに私の男性嫌いは酷いものではない。でも、安心して欲しい」
歌恋と林檎を交互に見つめてから、薫は言い放つ。
「的井ちゃんの顔はゴツすぎて、生理的に無理なんだ。単純に全然、タイプじゃない」
――おぉう。心が痛い。何だこの気持ちは。
ストレートな薫の発言に、二人の表情が和らぐのを感じた。しかし武蔵の笑顔は引きつる。今までにも「ゴツい」とは何度も言われているが、まさか「生理的に無理」とまで言われるとは思わなかった。
正直、ショックでたまらない。
「まぁ、私が恋愛自体に興味がないというのもあるけどね。高校生にもなって何を言ってるんだという話だけど」
まるでフォローするかのように言葉を付け足す薫。
武蔵は無言を貫いた。きっと、死んだような目をしていることだろう。
「……悔しいけど、もったいないと思いますよ? 顔も……スタイルも良いのに」
「いやぁ。まさか林檎ちゃんに褒められる日がくるとは……」
「うっさい。でもこの際だから兄貴とくっついてくれないかなぁ。彼女でもできればシスコンも治ると思うんだけど」
言いながら、林檎はちらちらと部屋の片隅に視線を向ける。
そういえば、すっかり忘れていたが理人はまだこの部屋に留まっているのだ。ただ、薫が来るとわかってからは目立たない場所で体育座りをしている。理人が薫を苦手に思っている――というより、薫に嫌われているかも知れないと思っているからだろう。だったら部屋から出ていけば良いのにと思うが、多分「修羅場も見たい」という気持ちがあるのだろう。まったくもって腹立たしい話だ。
「……理人くん、だったか。いたのか」
「は、はい……。すいません。いました」
「そうか……。まぁ、確かに……シスコンなのは目を瞑るとして、理人くんは美形だな。でも駄目だ。もっと中性的……と言うか、
じっと理人を観察してから、薫は堂々と言い放つ。
一瞬、「男の子……ショタ?」と思う武蔵だったが、すぐに自分の変換ミスだと気が付いた。つまりは女の子っぽい容姿が良いということだろう。
「薫。とりあえず落ち着いてくれ。あと、現実に男の娘なんていないぞ」
「ああ、そうだった。今は私の話なんてどうでも良いんだったな。……それと現実を言うのはやめてくれ」
苦笑を零してから、薫は武蔵にアイコンタクトをしてくる。
多分「話を進めて良いぞ」ということなのだろう。確かに話が散らかってきてしまった。さっきから顔を強張らせている理人にとっては薫と和解できるチャンスだったかも知れないが、武蔵は心の中で「悪い」と謝る。
今日はこちらの用事が優先なのだ。
「……と、言うことだ。育田さん、林檎ちゃん。薫はこれまでもこれからも友達だから。何と言うか、その……安心してくれ」
隣で薫がうんうんと頷き、林檎は渋々といった様子で「信じてあげる」と呟く。
しかし、歌恋だけが納得できていないようだった。
「育田さん?」
「それですそれ! 林檎ちゃんは林檎ちゃんなのに、私だけ距離があります!」
「……そこか……」
思わず本音を漏らしつつ、武蔵は頭を掻く。
しかし林檎は古くからの付き合いがあってこその「林檎ちゃん」だ。いきなり歌恋のことを下の名前で呼ぶのはハードルが高すぎる。
どうにかして誤魔化せないかと思う武蔵だったが、そうはさせないと言わんばかりに歌恋が見つめてくる。ついつい、変なところで積極的だなぁ、と思ってしまう。
「いくちゃん。……で、今は勘弁してくれるか?」
「わぁ、ついに呼んでくれるんですねっ。嬉しいです!」
まさかこんな流れで「いくちゃん」と呼ぶことになろうとは思っていなかった。今は歌恋と二人きりではないのだ。林檎もいて、理人もいて、薫もいる。つまり、皆に呼び方を変更する瞬間を見られてしまったということだ。
何だか、恥ずかしくてたまらなくなってきた。
「的井先輩、何か顔赤い」
「し、仕方ないだろ。薫は何かニヤニヤしてるし……あ、よく見たら理人もじゃねぇか。くそ、勘弁してくれ……」
「ふぅん、そっかぁ」
穴があったら入りたい、とはまさしくこのことかと思った。
俯き、頭を抱える武蔵の耳に、林檎の囁き声が聞こえてくる。「ふぅん」だの、「なるほどねぇ」だの、何か言いたげなのが丸わかりだ。
「わ、悪い」
ほとんど条件反射で謝ってしまうと、林檎がジト目で見つめてきた。
「別にぃ? ってゆーか林檎、何も言ってないし。嫉妬なんかしてないしぃ?」
「…………そうか」
口調も声色も、髪を人差し指でくるくるしちゃう動作も、思いっきり嫉妬してますオーラに溢れていた。いやいやいや嫉妬してるじゃねえか! と、内心ではもちろん思ったのだ。でも言えなかった。あまりこの話を長引かせたくないと思ってしまうのは、やはり自分がヘタレだからだろうか。なんて、武蔵は密かに落ち込む。
「嫉妬と言うか、さ……」
武蔵が面白い反応をしてこないとわかったからか、林檎は武蔵から目を離す。見つめる先は、歌恋だった。
「やっぱりさ。どうしても、伝わってきちゃうんだよね。本当に、歌恋って的井先輩が好きなんだなぁって」
「へ……? あ、いや、あの……っ」
「……だよね」
改めて断言されて慌てふためく歌恋を見て、林檎は冷静に呟く。ついさっきまで不貞腐れていたはずの林檎が、驚く程に真面目な表情をしていた。
「あたし達、ライバルなんだよ。いや、最初からわかってたけどさ……。的井先輩が会って欲しいって言うから会っただけで」
「そう……なんですか」
「あー……。違うの。そんな顔、しないで欲しい」
正直な気持ちをぽろぽろと零す林檎に、歌恋の表情は曇る。すると林檎は焦ったように前のめりになった。
「歌恋は良い人なんだろうなって思う。趣味も合うし、きっと一緒にいたら楽しいんだろうなって思ってるよ」
「あっ、良かった……。えへへ、へーい」
歌恋は心から安心したように胸を撫で下ろす。自然と「へ―い」が出てきたということは、それだけ林檎に心を開いてきたということだ。
武蔵は嬉しく思うが、一方で林檎の表情は陰っていく。
「ごめん」
「え? な、何でですか?」
「……やっぱりあたしには、友達なんて……っ」
俯き、弱音を零す林檎。
声も心なしか震えているような気がした。
林檎の弱い部分を見るのは、これで何度目だろうか。きっと数えるくらいしか見ていないし、見てしまうのも久しぶりな気がする。
林檎が悩みを吐露する時は、だいたい友好関係のことだ。友達ができないだの、クラスで浮いてしまうだの、一人ぼっちで寂しいだの――。
そして今回も、友達ができるチャンスを逃して震えている。
最初は「的井先輩が言うなら」と渋々だったはずなのに。多分林檎は、心のどこかでは期待していたのかも知れない。
友達ができる。しかも、同じ趣味の女の子だ。林檎にとっては望んでいた出会いだった――はずなのに。
ライバルだからという理由で、歌恋を手放そうとしている。
武蔵にはどうすることもできない。林檎の気持ちのすべてなんてわからない。ただただ苦しい気持ちに包まれて、林檎と歌恋を見ることしかできなかった。
――しかし。
「ごめんなさい!」
一人の少女が、手を差し伸べた。
勢い余ってその場に立ち上がり、ちゃぶ台に膝をぶつけながら。それでも、一生懸命翡翠色の瞳を林檎に向けている。
「私、このチャンスを逃したくないんです!」
「……っ」
まるで、育田歌恋という一人の少女から逃れられなくなったように、林檎は歌恋を見つめ続ける。驚きもあって、戸惑いもあって、でも決して嫌な気持ちはなくて。見え隠れする希望を見つけようとしているような――そんな表情に見えた。
「確かに私達はライバル同士かも知れない。でも、そんなのどうだって良いじゃないですか。私はあなたと仲良くなりたいんです!」
歌恋の言葉は驚く程正直で、まっすぐだった。
だからこそ、林檎は素直になれないように視線を落とす。でも溢れる感情は抑えられないようで、瞳がじんわりと赤らんでしまっていた。
「馬鹿じゃないの。そんなの……綺麗ごとだよ」
呟く林檎の声は、自信がないように小さい。思わず反発的な態度を取ってしまうけれど、本当は逃げたい訳ではないのだろう。
助けを求めるような視線をこちらに向けてくる林檎を見て、武蔵は確信した。
「良かったな、林檎ちゃん」
微笑みかけると、林檎は困ったように俯いた。
否定はしないということは、観念したということだろう。恐る恐るといった様子で、林檎は歌恋の様子を窺う。
「本当の本当に……良いの……?」
「良いも何も、私がそうしたいって思っているんです。恋愛と友達は関係ありません。私には……林檎ちゃんと仲良くなってみたいっていう気持ちがあるんですから」
ふわりと、花びらが舞ったような気がした。
もちろん錯覚――と言うかただの思い込みだ。でも、空気が震えた。何かが弾けたかのように、辺りの色が鮮やかになる。それは林檎の瞳も同じで、希望を帯びたように輝いて見えた。
林檎はまっすぐ、歌恋を見つめる。
「恥ずかしいセリフ……」
「えっ?」
「歌恋に慣れるのは、時間がかかりそう。だから、ゆっくり……」
覚悟を決めたように両手を握り締めて、林檎は言い放つ。
「ゆっくり……仲良くなれたらって思う。……だから、よろしく」
「っ! 林檎ちゃん……!」
嬉しくて嬉しくて嬉しくて、たまらないのだろう。歌恋も瞳を輝かせて、気持ちを抑えられないように林檎に抱き着く。林檎は驚いたように「ちょっと!」と漏らしていたが、特に抗うこともなく受け入れていた。
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