3-2 赤い耳は黒い

 歌恋に話を聞くと、ASAnASAはアニメのOPやEDで聴いたことがあったり、テレビでオンエアーされていたライブ映像を観たりしたことがあるだけらしい。だから武蔵としてはASAnASAを布教したい気持ちもあった。しかし歌恋は林檎と対面するのに少々緊張している様子だ。ここは大好きなムーンちゃんでテンションを上げさせるべきだろう。歌恋も持っているBDではあったが、相間伊月のライブBDを観ることにした。


「はあぁ、相変わらずムーンちゃんのダンスはキレキレですねぇ。格好良いです!」


 結果、この大興奮である。

 テレビの前で正座をし、ほとんど瞬きもしないままの釘付け状態。もしかして歌恋も林檎ちゃんと同じくムーンちゃんガチ勢だったのだろうか。と思ったのだが、そうではないらしく「一番は輝夜さんです」とのこと。最推しが同じなら話も弾むだろうと思ったが、そうもいかないらしい。まぁ、この盛り上がりなら何も問題はないだろうが。



「あ、育田さん、武蔵。そろそろ家に着くってさ」


 夕日も沈みかかってきた頃、携帯電話を見つめながら理人が呟く。

 すると空気が一気に変わった。ライブBD鑑賞会も切り上げ、部屋の中に無音が訪れる。「ああ、どうしましょう」と漏らす歌恋の不安気な表情に、武蔵はそっと笑いかけた。


「そんな面接じゃないんだから。気楽にいこう」

「で、ですよね……。これは面接じゃないです。こう……まるで、お見合いみたいな」

「いやいやいや」


 どうやら歌恋は、武蔵の想像以上に緊張してしまっているようだ。

 どうにかして緊張をほぐせないだろうか。――と悩んでいると、不意に部屋の扉が開いた。琥珀色の瞳と翡翠色の瞳が交差して、一瞬の沈黙が襲う。何だか、こっちまで緊張が止まらなくなってきた。


「……あっ。お邪魔しています」

「ど、どうも」


 背筋をピンと伸ばして挨拶をする歌恋と、視線を逸らしつつも小さくお辞儀をする林檎。楽しいライブBD鑑賞会が、一気に気まずい空間へと変わってしまった。でもこれは、誰が悪いという訳ではない。

 ただただ、二人ともが緊張しまくっているだけなのだ。


「まぁまぁ林檎。とりあえず座りなよ」

「うん。って、ここ……あたしの部屋なんですけど。リビングにでもいるかと思ってた……」


 一瞬だけ理人を睨み付けてから、林檎は呆れたようにため息を吐く。普段の林檎だったら「何で勝手に入ってるの、信じらんない!」くらいは言いそうだが、歌恋がいるから遠慮しているのだろう。


「BDレコーダーは林檎の部屋にしかないんだからしょうがないだろ? さっきまで、皆でムーンちゃんのBDを観てたんだ」

「そのBDもあたしの私物なんだけど。……はあ、まぁ良いや」


 ぶつぶつと呟きながら、林檎は鞄を置いてちゃぶ台の前に腰を下ろした。歌恋と向かい合う形になり、「本当に何か、お見合いみたいな雰囲気だな」と武蔵は思う。


「えっ、あ……すみません! 妹さんのお部屋だったんですね。か、勝手にくつろいでしまって……」


 まさかこの部屋が林檎の部屋だとは思っていなかったのだろう。歌恋は慌てた様子で何度も頭を下げる。

 畳に障子にちゃぶ台――武蔵はすっかり見慣れているが、呉崎家は和風な家だ。林檎の部屋もノートPCやCDラック、衣装を作るミシン類がある以外は結構すっきりしている。ポスターも「一枚まで!」と決めているらしく、今は相間伊月のポスターが一枚だけ貼られていた。自分の部屋のごちゃごちゃ感とは大違いの部屋だ。


「あー……いや、大丈夫ですよ。あたしの部屋って、あんまり女の子っぽくないので」


 相変わらず歌恋と目も合わせられないまま、ぼそぼそと喋る林檎。笑顔も引きつってしまっていて、武蔵は思わず「大丈夫だろうか?」と心配になってしまう。


「そんなことないですよ! それより、その……ムーンちゃん、好きなんですよね? 的井くんから聞きました。それと、さっきからずっとポスターが気になってまして……。あれ、ファーストライブのポスターですよね!」


 しかし、心配は杞憂だったことがすぐにわかった。

 徐々に緊張が解れていったのか、意外なことに歌恋がぐいぐいと林檎に迫っていく。前のめりになりがなら、瞳をキラキラと輝かせる歌恋。

 唐突に「ムーンちゃん」という耳馴染みのあるワードが飛び出してきたからか、林檎の態度にも変化が出てきた。


「え? 確かにファーストライブのポスター……ですけど。そ、それがわかるってことは、もしかして……」

「ツアーの愛知公演なら、ファーストから参加してますよ!」

「そうなのっ……そう、なんですね。まさか緑ノ宮高の女子にムーンちゃんファンがいたとは……。思わなかった、です」


 興奮を隠しきれない様子の林檎。

 でもやはり、先輩だから敬語で話さなきゃいけないという気持ちがあるのだろう。無理矢理敬語で話そうとしているせいでカタコトになってしまっている。


「あの……。先輩だからって気にしなくて大丈夫ですよ。あ、いや……私はちょっと、敬語で話す方が慣れてしまっていると言いますか……えへへ、へ」


 歌恋は頭を掻きながら苦笑する。「気にしないで」と言いながらも、「へーい」と言うのを堪えたように見えた。と言うか、歌恋と思い切り目が合ってしまったため、多分言うのを躊躇ったのだろう。

 やはり、まだまだお互いに遠慮が隠しきれないようだ。


「い、育田さん、林檎ちゃん。とりあえず音楽プレイヤーを見せ合ってみるっていうのはどうだ? 話すよりも伝わると思うぞ」


 見ていられなくて、武蔵は思わず助け舟を出す。

 すると二人とも「なるほど!」と思ってくれたようで、すぐに鞄から音楽プレイヤーを取り出した。


「あ、じゃあこれ……あたしのです」

「ありがとうございます。私のも、どうぞ」


 恐る恐る音楽プレイヤーを交換する二人の姿は、まるで名刺交換をしているような堅苦しさを感じてしまう。

 しかし、二人の表情はすぐに明るいものになった。


「……あっ、これは…………ほぅ」

「…………っ!」


 歌恋が我慢できないようにぶつぶつと声を漏らし、林檎が静かに目を見開く。

 なんとなく、二人の趣味は合いそうな予感はしていた。イベンターはイベンターでも、もちろんそれぞれ趣味はある。武蔵は声優よりもアニソンアーティスト寄りだし、理人も似たようなものだ。薫はアニソンアーティストや声優アーティスト問わず女性ボーカルが好き。そして林檎は声優アーティストが好きであり、歌恋もきっとそのタイプなのであろう。


「林檎ちゃん」

「……うぇっ?」

「って、呼んでも良いですか? 何だかすでに、仲良くなれそうな予感がひしひしとしています……!」


 多分きっと、歌恋は嬉しくてたまらないのだろう。

 林檎が戸惑ってしまう程に積極的で、テンションが高い。そんな歌恋の姿を見て、武蔵もまた嬉しく思った。今までずっと、自分の趣味を隠し続けてきた彼女なのだ。目の前に同じ趣味の女性――しかも同じ学校の生徒――がいるなんて、夢にも思わなかった状況だろう。でもこれは、夢ではないのだ。


「ちょ、ちょっ……ちょっと、ちょっと待って! 友達ってこんな……こんな風にできるものなの?」


 まっすぐすぎる歌恋の視線から、林檎は思わず逃げてしまった。こちらに助けを求めるように、武蔵と理人を見てくる。

 でも、ただ単に困っているだけではないのはすぐにわかった。頬はほんのりと朱色に染まっていて、照れているように見える。


「本当に、良いの……?」


 やっとの思いで歌恋と目を合わせ、震えた声を漏らす林檎。

 まるで「こんな簡単に友達ができちゃって良いの?」とでも言いたげだ。でも林檎も林檎で昔から友達関係には悩んでいたのだ。ライブ現場で「紅凛華」としての林檎に声をかけてきてくれる人はいるらしいが、深く接する相手は武蔵や薫以外にいないらしい。林檎が中学生の頃に武蔵も相談に乗ったことがあるし、そのことを考えると何だか感慨深くなってしまう。


「まだ林檎ちゃんの性格まではちゃんとわかってないですけど……。でも、趣味は滅茶苦茶合いそうな気がします!」

「それは……あたしもそう思う。って言うか、合いすぎ……? この声優さんとか、マイナーだと思ってたのに……」

「あっ、それ私も思いました! まさか林檎ちゃんも好きだなんて……嬉しいです!」


 音楽プレイヤーを指差しながら、二人は少しずつ会話を弾ませていく。林檎もいつの間にか微妙な敬語をやめ、いつも通りの話し方になっていた。


(良かった……。上手くいきそうだな)


 無言で二人の様子を眺めながら、武蔵は静かにほっとする。理人とも目が合い、頷き合う。理人も兄として、林檎のことを心配していた。歌恋と林檎が出会えて良かったと、心の底から思う。


「あたしも名前で呼んで良い? 歌恋……先輩って」

「わぁ、良いんですかっ? むしろ先輩とか付けなくて良いですよー……なんて」

「そう? じゃあ……か、歌恋」

「はあぁ……な、なんでしょうこの気持ちは……。嬉しすぎます……っ」


 へにゃへにゃな顔になりながら喜ぶ歌恋に、武蔵は「こっちとしても、なんだろうこの気持ちは……なんだよなぁ」と心の中で突っ込む。あまりにも微笑ましい光景すぎて、武蔵は自分の顔もニヤけてしまっていないか心配になった。


「……ところで、さ」


 しかし、武蔵は忘れていた。


 ――二人の共通点は「イベンターであること」だけではないということを。


「何ですか? 遠慮せず何でも訊いてくださいね。だって、私も林檎ちゃんのことをもっと知り……」

「的井先輩とデートしたっていうのは本当なの?」


 林檎は歌恋の言葉を遮り、きっぱりと言い放つ。


「…………へっ?」


 背筋をピンと伸ばして目を丸くさせる歌恋。

 唐突に飛び出てきた「デート」というワードに驚かない訳がなかった。武蔵もまさかここでぶっこんでくるとは思わなくて、思い切り顔を背けてしまう。


「えっと……。も、もも……もしかして、林檎ちゃんは的井くんとお付き合いを……」

「ううん、まだしてないよ。林檎の片思いなんだ」

「かっ、片思い……ですかっ」


 正直すぎる林檎の発言に、歌恋は動揺を隠せないようにわたわたし始める。至って真面目な顔の林檎を見て、何とも言えない表情しかできない武蔵を見て、更に微妙な表情をしている理人を見て、また林檎を瞬き多めに見つめる歌恋。


「ええっと、あの……。確かにデートをさせていただきました。色々と、的井くんにはお話ししたいことがあったので……」

「それって告白したってこと?」

「いっ、いえ、まだしてないです! あ、いや、まだと言うかその……っ」

「ふぅん……。なるほどねぇ」


 慌てふためく歌恋を冷静に分析するように見つめる林檎。みるみるうちに歌恋の頬が赤く染まっていき、林檎は「失礼」と言って歌恋の耳まで覗き込んだ。武蔵からはよく見えなかったが、きっと耳まで赤くなってしまっていたのだろう。


「あー、うん。黒だねぇ、これは。真っ黒だ」

「な、何の話ですか? 私、的井くんと付き合ったりとかは……してないですよ?」

「それはわかってる。ただ、歌恋は的井先輩が好きなんだなーって確信しただけだから」

「わっ、わーわー! ちょっと林檎ちゃん!」


 両手をバタバタさせながら焦りを爆発させる歌恋を、林檎は相変わらずの冷静さで見つめる。ちなみに武蔵はと言うと、やはりどんな顔をしたら良いのかわからないままだった。今すぐこの部屋から出たい気分である。

 と言うか、出てしまえば良いのか、と思った。


「どこに行こうとしてるの、先輩」

「……俺がここにいたら邪魔かな、と思って」

「駄目だよ、先輩もここにいて。もうこの際だから、全部はっきりさせようと思って。ちなみに兄貴は早く出ていって欲しいんだけどね」


 頼むから勘弁してくれ! と武蔵は心の中で嘆く。隣で爽やかな笑顔を浮かべる理人は完全に楽しんでいるようで、頼りになりそうにない。

 とにかく林檎は真面目な顔をしていた。でも、いったい何をどうやってはっきりさせるつもりなのか。まったく想像がつかない。


「って言うか、先輩」

「な、なんだよ」

「今から小古先輩呼んで」


 何故そうなるのか。と言うよりも、頭がおかしいのか! と思ってしまった。いったいどうしたいのか、まったく意味がわからない。

 でも武蔵は声には出さない。「んぐぅ」という謎の擬音を発するのみで、特に反論したりはしない。と言うかできなかった。

 琥珀色の瞳が武蔵を突き刺す。

 林檎は真面目も真面目、大真面目だった。


「? 誰ですか、それ?」

「小古瀬薫。女子高に通ってる先輩で、的井先輩の友達」

「はっ! 噂の異性のお友達ですか……」


 聞き慣れない人物の名前にぽかんとしていた歌恋だったが、武蔵の女友達だとわかると目の色が変わった。

 ジトーっとした目を武蔵に向け、疑問を投げかける。


「男女の友情なんてありえるんですか?」


 いや、あなたも最近友達になったところなんですが。

 という言葉をなんとか飲み込む。今は友達がどうのこうのという話がしたい訳ではないのだろう。林檎も全力で同意しているし、二人の気持ちは同じなのだ。

 本当に薫は友達として武蔵と接しているのか。それが気になるのだろう。


「……俺が恋愛感情はないって言い切っても信じてくれないんだろ?」


 訊ねると、「はい!」「もちろん!」と元気良く返事をされてしまった。さすがの武蔵もやれやれと思いつつ、携帯電話を取り出す。


「こんな時間に呼び出すなんて、迷惑だろうけどなぁ」


 時刻はもう夕食時だ。薫ももう自宅に着いている頃だろう。今から呉崎宅に来てくれなんて迷惑極まりない話だ。

 だから一応、念のため、という気持ちで電話をかけた。の、だが。


『うん、別に構わないよ』


 意外すぎることに、薫はあっさりと了承してくれた。

 どうやら、放課後にアニメのオンリーショップに行っていたらしく、今もそんなに遠くないところにいるらしい。

 それでも申し訳ない気持ちはあったが、薫は逆に「初めて林檎ちゃんの家に行けるってことだね!」とテンションが上がっていた。


「……と言うことで、来てくれるらしい……」


 最初は「お見合いみたいだな」なんて思っていたのに、いつの間にか修羅場のようになっていた。そりゃあ二人を会わせたのは自分だが、まさか薫まで呼ぶ事態になってしまうとは。薫が来たら、いったいどうなってしまうのだろう。

 武蔵は早くも怯え始めるのであった。

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