1-2 不思議な口癖

 一週間後。約束の日――四月二十五日は武蔵が思っていた以上にあっという間にやってきた。デートとライブ。同じわくわくでも種類が違う。楽しみもあるが、やはり緊張の方が大きいのが現実だった。


 今日は休日のため、いつもの深緑色のブレザーではなく私服だ。なんとかお洒落な服装を、と思ったのだがもちろんそんなものは持っていない。だいたい今日はライブもあるのだ。などという言い訳をしながら、灰色パーカーにジーンズというラフな格好になってしまった。

 よくよく考えてみると、最近買った服と言えばライブTシャツだったような気がする。武蔵は、決して親に服を選んでもらっているタイプではないのだが……いくら何でも無頓着すぎただろうか。その事実に今更気付いてしまい、武蔵は一人苦笑してしまう。


(……ん、あれは……)


 と、今はうだうだと自虐をしている場合ではない。

 今日は動物園に行くことになっていて、待ち合わせ時間は最寄りの駅に午前十時だ。今はちょうど約束の十分前で、武蔵的には先に着いて待っている寸法だった。

 の、だが。


 桜色のロングヘアーに、春らしい白いワンピース。大人びた印象のあるワイン色のパンプスに、小さな両手でぎゅっと掴んだかごバッグ。

 そして、優しく垂れた翡翠色の瞳が武蔵の存在に気付いたようにこちらを向いた。


「あっ、的井さん!」


 当たり前だが、歌恋もいつもの深緑色のセーラー服ではなく、私服だ。制服もワンピースタイプではあるのだが、全然印象が違う。いつもより可愛らしいというか、大人っぽくも感じるというか。歌恋の姿を発見した瞬間に思わず視線を逸らしてしまう程、武蔵は変に驚いてしまった。


「……あ、ああ、悪い。早めに来たつもりだったが、待たせたか?」


 咄嗟に話題を逸らすような発言をしてしまって、武蔵は心の中で後悔する。ここで普通は気の利いたことを言わなきゃいけないし、自分も確かにそう感じたのに。あーあーと思っても時すでに遅し。歌恋は「いやいやいや」と言わんばかりに高速で手を振っていた。


「いえいえ、私も今来たところですので! 言葉の綾とかじゃなくて、本当ですよ? 私も十分前くらいに来ようと思っていたので」


 いえい、ピースサインをしながら照れ笑いをする歌恋。「何だか私達、似てますね!」とか言いながら微笑む歌恋を、武蔵は直視できない。


(いや……何か本当にもう、俺なんかで良いのか……っ?)


 まっすぐな視線に、素直で明るい歌恋の声。

 学校での真面目な姿とはまた違った、ウキウキしているような姿。その相手が俺で良いのか? なんて、咄嗟に思わない訳がなかった。


「ええと……。とりあえず行くか、動物園」

「あっ、そうですね。……何だか、待ち合わせだけでテンションが上がっちゃって。恥ずかしいです」


 さっきからテンションが普段通りの武蔵を見つめながら、歌恋は笑顔に力をなくす。ああ、これはまずい。武蔵はすぐに気付いた。でも気付いただけではいけない。何か言わなくては。何か、何か……!


「いや、そんな。俺も…………なんで。ぅあ、う……い、行こうか」


 ――そう。


 そうなのだ。武蔵は緊張するとアホになってしまう。アホみたいに焦って、正常な行動ができなくなる。いや、今は武蔵なりに頑張ろうとしたのだ。しかしその結果、言葉が言葉にならなくなった。

 もう、本当に。馬鹿野郎! と叫びたいくらいだ。まぁ、実際に心の中で叫びまくったのだが。でも、だからと言って「後日出直してきます」という訳にはいかないのだ。残酷にも時間は進んでいく。


「的井さん、何だか顔色が……だ、大丈夫ですか? とりあえず、行きましょう、か?」


 意味不明な言葉を発したと思ったら急に暗くなったのだ。歌恋に心配そうな顔で見られてしまうのは当然のことで、武蔵は苦笑する。むしろ、苦笑する以外のことができなかった。余計なことをして後悔を繰り返していては、心がいくつあっても持たない。今はとにかく、動物園へ向かわなければならないのだ。


「悪い。……行こう」


 小さく頷き、武蔵はようやく歌恋とともに動物園の中へと入っていくのであった。



 ――で。

 そこから先は、武蔵も驚く程にすんなりと進んでいったというか。案外、上手くいったように思えたのだ。

 動物園に入るまでの数分間には会話が必要だった。沈黙が怖くて変に焦って、しょうもない天気の話とかしちゃったりして場をつないだ。


 でも、動物園に入ってしまえば動物がいる。動物を見て「わー可愛い」と言っていれば時間は過ぎていく。いや、勘違いしないで欲しいのだが本当に可愛いと思っているのだ。動物園なんて小学生以来な気がするし、画面越しではないリアルな動物を見るのは久しぶりでテンションが上がっている。

 だからまぁ、歌恋の顔をあまり見ることができないのは許して欲しい訳だ。


「あの、的井さん。そろそろお昼にしませんか?」

「……あ、ああ、そうだな」


 時刻は十一時半。今日は土曜日なだけあって、園内はわりと混んでいる。確かに中のレストランも混むだろうし、そろそろ向かった方が良いかも知れない。

 そんなことを考えながらワンテンポ遅れて返事をすると、何故か歌恋に「ふふっ」と笑われてしまった。


「え、あの……」

「ああ、すみません的井さん。先程まではリラックスしていたのに、急に表情が硬くなってしまったので。私まで緊張がうつってしまいそうです」


 私も元々緊張していますが、と付け加えて歌恋は照れ笑いを浮かべる。


「わ、悪い育田さん。何て言うかこういうことに慣れてないって言うか。つまんない反応ばっかりで……。でも、楽しいって気持ちはちゃんとある、から、うん。それは信じて欲しい」


 必死に言い訳をしてしまう自分が情けない。でも、緊張ばかりで楽しくないと思われたくなくて、思わず必死になってしまった。


「大丈夫ですよ、私も慣れてなくてずっと必死ですから。……でも、楽しいだなんて嬉しいです。えへへ……へーい」

「……へーい?」


 まっすぐな視線を向けながら、正直な気持ちをぶつけてきてくれるのは嬉しい。嬉しいのだが、唐突な「へーい」が意味不明すぎて思わず聞き返してしまった。

 歌恋の頬が、一瞬にして朱色に染まる。


「あっ、あああ、あのですねこれは……。私、ついついえへへって笑っちゃう癖があって、でもそれってちょっと、あ……あざとい笑い方じゃないですか! だからその、へーいって付けて誤魔化す癖があるんです……」


 すみませんと言いつつ、歌恋は恥ずかしそうに縮こまる。

 咄嗟に武蔵は「えへへへーい」も滑稽ではあるものの、充分あざといのでは? と思ってしまった。しかしそこまで突っ込んでしまうと笑い方にコンプレックスを抱いてしまい、笑いたくても笑えない性格になってしまうかも知れない。今まで誰からも指摘されていないということはそういうことなのだ。

 などと考えすぎな発想をしながら、武蔵は冷静になる。


「育田さん、大丈夫だ。育田さんはそのままで良いと思う」

「そ、そういう時だけ落ち着いて話さないでくださいよ! もう、ご飯食べに行きますよ? フードコートに行きましょう! 私、そこのハンバーガーが食べたいんです!」


 さあさあ行きますよ! と歌恋はずんずんと一人で歩いていってしまう。

 武蔵は「えへへへーい」をきっかけに少しだけ打ち解けられたことに安心感を覚えつつ、歌恋について行くのであった。

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